たちねぷたのやかた

「やってま~れ、やってま~れ~♪」

こんなところがつながってた~( ;∀;)!!

2017年03月07日 16時16分32秒 | Weblog
ねぶた・ねぷたの由来は…とよく聞かれるのですが
起源には諸説あって、今日までこれといって決め手がないのが現状です。

その中でも有力とされているのが「ねぶり流し」
「眠たし(ねむたし)」の語幹に由来する説が有力で、「眠り流し」の行事が発展したものといわれています。
眠り流しの行事は、七夕に木の枝や藁人形を流すもので、秋の収穫前、過酷な農作業を強いられる夏場に睡魔を追い払うために灯ろうを川や浜に流した習慣のことです。

「眠い」を青森地方では「ねぶて」弘前地方では「ねんぷて」ということから、
呼び名が「ねぶた」と「ねぷた」に分かれたとも言われています。

最も古い「ねぷた」の記録は1713年(正徳3年)の「津軽秘鑑」にある「弘前で『ねふた』を出した」という記述と言われ、
また1788年(天明8年)の「奥民図彙おうみんずい」には「子ムタ祭之図」と題された挿絵があります。

奥民図彙(展示室内のパネル展示)
江戸時代のねぷたの様子です。


「七夕」や「織姫」など七夕を想像する言葉が書かれたねぷたや三日月モチーフのようなねぷたが書かれています。
 

(文章わかるところだけ抜粋)
七月朔日より六日の夜まで、笛太鼓にてはやし夜行をす

木守貞いわく七夕祭りにねむの葉と大豆の葉をもって人身を、また
ねむの木の葉にて目を拭くときは眠気を覚まし、大豆の葉で身を拭くときは健康になるという。
眠気は子ムタにて流し、大豆壮健にて止まり、農業に精を出さんというなり

的な感じなのかな…。(文章はもっといろいろありましたが、わかるところがほぼここだけでした
※木守貞に関しては後ほど

そして蓑虫山人が描いたこちらの絵には明治時代のねぷたが描かれています。


 

そして絵の右隅には描いたのは7月7日という表記が…。


さっきの奥民図彙には「7月1日より6日」とありましたが、江戸と明治なので少し日にちにズレがあったとしても
それはなんの不思議もないんじゃないかな…と思いましたが、どうでしょう

もちろん、その部分は現在にも受け継がれています。


やはりこれだけ七夕推しされると、ねぶり流し説や七夕説が有力なのでは…と思ってしまいますよね。
その他盂蘭盆会(今でいうお盆)説などなど説はいっぱいあるんです。

どれが正しいんだろう…。できることならタイムスリップして自分の目で確かめて来たい…

さきほど出てきた木守貞という方、なんとこちらに関係する人だと知ってびっくり



これは展示室内のパネル展示の「津軽偏覧日記つがるへんらんにっきの中の記録です。
1793年津軽藩の命により、木立要左衛門守貞等という人が書いたものだそうで、
名前では日記とありますが過去に起こったいろいろ出来事を集めた資料からまとめたものだそうです。
その木立要左衛門守貞の呼び名が木守貞。

奥民図彙を書いたのは、津軽藩士だけど江戸詰といって参勤交代の関係で江戸にいる比良野貞彦。
もしかして、木立要左衛門守貞が案内役だったのかもしれないなあ。
藩の歴史本(津軽偏覧日記)の編さんを任されるほどの人だもんな~…と勝手に思いを馳せ中。
仕事中なのに…

へえ~…なるほど、ここで長いこと働いていたのにこのつながりは全然気づかなかった
ほんとに目からウロコです

明治末期頃のねぷたの写真。
今より技術もない時代にこんな大きさのものを作っていたんだな~…。当時の人たちの努力と情熱を思うと胸アツ
こういう写真をみるたび、何回でも感動しちゃいます。



立佞武多展示室、迫力ある立佞武多とスクリーン上映が主ですがパネル展示もなかなかおもしろいです。
展示室にご入場の際は、ぜひそちらもじっくりお楽しみくださいね

話があまりまとまらなかった今日のブログはお米大使でした
へばね~


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3 コメント

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まとまらないと思うけど、つらつらと…φ(‥) (pork1300g)
2017-03-08 04:53:45
奥民図彙が「弘前ねぷた」だから、朔日から六日の夜祭りで(現代も七日は昼祭り)、
蓑虫山人画は「五所川原立佞武多」だから七日夜も(現代も八日夜まで開催)なのかなぁ?
というか蓑虫山人の東北放浪時代は既に太陽暦になっているけど、当時の立佞武多は七月行事だったんですね!

旧暦では七夕もお盆[盂蘭盆会]も佞武多も七月で、そもそも七夕がお盆前の禊払い行事だった様ですが、
何故に新暦になって七夕は七月で、佞武多とお盆が八月になったのかなぁ?
(現代でも仙台などでの七夕は八月で、逆に一部地域の盂蘭盆会は七月ですが…)

昔は雛祭りも七夕も「川(海)に流す」ほうに意義があったようですが、
「飾る」ほうに趣旨が変わっていった経緯も興味深いです。

「ねふた」や「子ムタ」が「佞武多」になって「ねぷた」や「ねぶた」になった?過程も気になります。
pork1300gさんへ (お米大使)
2017-03-08 08:52:03
ねぷた・ねぶた祭りは有名になっているにも関わらず、
pork1300gさんが疑問に思っていることなどなど、まだ全然わかっていないのが現状なんですよ。
ただ五所川原のお祭りが今のような8月4日~8日までになったのはつい最近の話で、大使が小さかったころは4日~7日までで、7日はお昼の運行でした。
もしかして、昔の人は旧暦・太陽暦関係なく「お祭りは7月!」って考えてたのかもしれませんね…。
いろいろ調べると、なぜねむの木の葉・大豆の葉なのかということにもきちんと理由があったりして、とても興味深かったです。
でもほんとにこの由来に関しては諸説さまざまあるので、どれが本当なのかははっきりとわからないかもしれませんが、自分なりにちゃんと調べてみたいですね。
pork1300gさんへ追記 (お米大使)
2017-03-13 14:05:45
明治6年に明治政府が太陽暦を採用しましたが、まだ津軽地方には太陽暦が浸透していなくてその後しばらく旧暦が使われていたとのことです。
その関係もあるのかも。…というのを最近知ったので、追記としてこちらで失礼しました。

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