デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




マタイ 13:10 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。
13:11 イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。
13:12 持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
13:13 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
13:14 イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。
13:15 この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』
13:16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。
13:17 はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」

持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。

今風に言えば、霊的格差とでも言えるだろうか。
持っている人はますます豊かになり、持っていない人は持っているものまで取り上げられるという。
経済的な格差は、社会の仕組みに問題があるが、霊的な格差の場合は、個人個人の霊性や資質によるところが大きく、神と人との前で誠実であるかどうかが問われていると言えるだろう。
人は己の都合や欲望を優先して、神の御心を損ない、身勝手な思いで祈り、行動する。
その後にもたらされるものは、矛盾と混乱である。
しかし、己のことよりも、神のため、隣人のために生きようとする人は、真の幸いを得る。
それは、神の約束である。

何を見上げ、誰に聞き、どのように行動するのか、常に神のみ旨を伺いながら、歩んでいきたいものである。

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