デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




イザヤ 18:1 災いだ、遠くクシュの川のかなたで羽の音を立てている国は。
18:2 彼らは、パピルスの舟を水に浮かべ海を渡って使節を遣わす。行け、足の速い使者たちよ。背高く、肌の滑らかな国遠くの地でも恐れられている民へ。強い力で踏みにじる国幾筋もの川で区切られている国へ。
18:3 世界の住民、地上に住むすべての人よ山に合図の旗が立てられたら、見るがよい角笛が吹き鳴らされたら、聞くがよい。
18:4 主はわたしにこう言われた。「わたしは黙してわたしの住む所から、目を注ごう。太陽よりも烈しく輝く熱のように暑い刈り入れ時を脅かす雨雲のように。」
18:5 刈り入れ時の前に、花が終わり花の房が実となり、熟し始めると主は枝を刃物で切り落としつるを折り、取り去られる。
18:6 それはすべて、山の猛禽と野の獣に与えられる。猛禽は、それを餌として夏を過ごし野獣もすべて、それを餌として冬を過ごす。
18:7 そのとき、貢ぎ物が万軍の主にもたらされる。背高く、肌の滑らかな民から遠くの地でも恐れられている民から強い力で踏みにじる国幾筋もの川で区切られている国から万軍の主の名が置かれた場所シオンの山へもたらされる。

クシュとはエチオピアのことを指し、イスラエルからは遠く離れた地である。
イスラエルからは、エジプトを通じて、ナイル川を経て、ようやくたどり着くような場所である。
そのため、普段は、そうそう交流を持つことは多くはないかもしれない。
しかし、主の時が来れば、そのような遠く離れた地にも、主の御業が現わされ、主の支配のもとに置かれるようになるということであろう。
これは、単なる裁きが行われるということだけではなく、恵みによる支配、すなわち、世界宣教の働きともつながっていると考えることもできるのではないだろうか。

ローマ10:11 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
10:12 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
10:13 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
10:14 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
10:15 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。
10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。
10:17 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。



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