デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ネヘミヤ1:1 ハカルヤの子、ネヘミヤの記録。第二十年のキスレウの月、わたしが首都スサにいたときのことである。
1:2 兄弟の一人ハナニが幾人かの人と連れ立ってユダから来たので、わたしは捕囚を免れて残っているユダの人々について、またエルサレムについて彼らに尋ねた。
1:3 彼らはこう答えた。「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」
1:4 これを聞いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。
1:5 わたしはこう祈った。「おお、天にいます神、主よ、偉大にして畏るべき神よ、主を愛し、主の戒めを守る者に対しては、契約を守り、慈しみを注いでくださる神よ。
1:6 耳を傾け、目を開き、あなたの僕の祈りをお聞きください。あなたの僕であるイスラエルの人々のために、今わたしは昼も夜も祈り、イスラエルの人々の罪を告白します。わたしたちはあなたに罪を犯しました。わたしも、わたしの父の家も罪を犯しました。
1:7 あなたに反抗し、あなたの僕モーセにお与えになった戒めと掟と法を守りませんでした。
1:8 どうか、あなたの僕モーセにこう戒められたことを思い起こしてください。『もしも背くならば、お前たちを諸国の民の中に散らす。
1:9 もしもわたしに立ち帰り、わたしの戒めを守り、それを行うならば、天の果てまで追いやられている者があろうとも、わたしは彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ場所に連れて来る。』
1:10 彼らはあなたの僕、あなたの民です。あなたが大いなる力と強い御手をもって贖われた者です。
1:11 おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください。」この時、わたしは献酌官として王に仕えていた。

捕囚の民として移住せられた者たちの中に暮らしていたネヘミヤは、祖国イスラエルの地に留まる者たちの現状について知らされ、彼らのため、祖国復興のために立ち上がる。
彼はまず、祈りから始めるのであるが、その祈りの前に、祖国の現状を知らせる者の報告がなければ、それさえも始まらなかったかもしれない。
祈りの働きには、祈り自体も大切だが、現状を伝える働きも大切である。

先日、ノルウェーの伝道会のメデイアスタッフのチームが日本を訪れ、日本の宣教の働きのための取材をして下さった。
そして、その時に記録した宣教レポートのビデオを見せてもらった。
日本の救いのために、祈りの支援と感謝がノルウェー語と日本語で述べられていた。
ありがたいことである。
そして、こうした地道な働きがあるからこそ、日本への祈りも捧げられる。

そう考えた時、我々は、日本の救いのために祈って欲しいとは言うものの、日本の現状を知ってもらうための努力を怠っていないだろうかと思わされる。
エルサレムの現状を伝えた者も、きっと、命がけで同胞の救いのために遠く異国の地へと旅をしたのだろう。
彼の行動がネヘミヤの祈りを起こし、そして、エルサレムの復興へと進んでいった。

一人の小さな犠牲と働きが世界を変えていく。
そのことを覚え、今日私にできる小さな働きをまっとうしたいと思う。

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エズラ9:1 このような事があって後、長たちがわたしのもとに来て、言った。「イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません。カナン人、ヘト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人と同様に行うその住民の忌まわしい行いに従って、
9:2 彼らは、自分のためにも息子たちのためにもこの地の住民の娘を嫁にし、聖なる種族はこの地の住民と混じり合うようになりました。しかも、長たる者、官職にある者がこの悪事にまず手を染めたのです。」
9:3 わたしはこのことを聞いて、衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、ぼう然として座り込んだ。
9:4 また、この捕囚の民の悪事に対するイスラエルの神の裁きの言葉を恐れる者は皆、わたしのもとに集まって来たが、夕べの献げ物のときまで、わたしはぼう然として座り続けた。
9:5 夕べの献げ物のときになって、かがめていた身を起こし、裂けた衣とマントをつけたままひざまずき、わが神、主に向かって手を広げ、
9:6 祈り始めた。「わが神よ、御前に恥じ入るあまり、わたしは顔を上げることができません。わたしたちの罪悪は積み重なって身の丈を越え、罪科は大きく天にまで達しています。
9:7 先祖の時代から今日まで、わたしたちは大きな罪科の中にあります。その罪悪のために、わたしたちは王も祭司もこの地の王の支配下に置かれ、剣にかけられ、捕らわれ人となり、略奪され、辱められてきました。今日、御覧のとおりです。
9:8 ところが今、ほんの少し前から、わたしたちの神、主の憐れみにより、わたしたちの幾人かが捕囚を免れて生き残り、あなたの聖なる所によりどころを得るようにされました。こうして、わたしたちの神はわたしたちの目に光を与え、奴隷の身にありながらも、わずかに生きる力を授けてくださいました。
9:9 まことに、わたしたちは奴隷にされています。しかし、わたしたちの神はわたしたちを奴隷のまま捨て去ることなく、ペルシアの諸王がわたしたちに対して好意を抱くようにし、生きる力を与えてくださいました。こうして、ユダとエルサレムでわたしたちの神の神殿を再建し、廃虚を復興し、城壁を得るようにしてくださいました。
9:10 わたしたちの神よ、こうした御恩をいただきながら、今何を申し上げればよいのでしょうか。わたしたちは御命令に背いてしまったのです。
9:11 御命令は、あなたの僕、預言者たちによってこう伝えられました。『これから入って所有する地は、その地の住民の汚れによって汚された地である。そこは、その端から端まで彼らの忌まわしい行いによって汚れに満たされている。
9:12 それゆえ、あなたたちの娘を彼らの息子に嫁がせたり、彼らの娘をあなたたちの息子の嫁にしたりしてはならない。あなたたちが強くなり、この地の良い実を食べ、それを永久に子孫の所有とすることを望むならば、彼らと同盟を結ぼうとしてはならない。また、それによる繁栄を決して求めてはならない』と。
9:13 わたしたちは、数々の大きな悪事と罪科のゆえに受くべき艱難をすべて受けましたが、わたしたちの神、あなたはわたしたちの重い罪悪をもそう重く見ず、わたしたちをこのように生き残らせてくださいました。この後で、
9:14 またしても御命令を破り、その忌まわしい民と縁組みをすることができましょうか。お怒りになって、わたしたちを一人残らず滅ぼし尽くされても当然です。
9:15 イスラエルの神、主よ、あなたは恵み深いお方です。だからこそ、わたしたちは今日も生き残りとしてここにいるのです。御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております。」

ようやくバビロンの地から自由の身となり、イスラエルの復興が始まったばかりにも関わらず、民は、あいかわらず以前の生活と同じ過ちをくりかえしていたようである。
それは、異教の民と共存することで、偶像礼拝を捨てぬまま、むしろそれらの神々に頼って生きようとしていたのだろう。
結局、人はいつまで経っても、何から解放されようとも、罪の奴隷であることには変わりないということなのだろう。

この箇所を見ながら、おのが身をふり返ってみる。
親のもとで暮らしていた頃、先輩伝道者のもとで指導を受けていた頃、自分が将来自立したら、もっと豊かな人生や働きをしてやろうと思ったもの。
でも、いざ自立して生活をはじめ、働きを始めてみると、様々な苦労があるし、妥協したり、つまらないことに囚われている自分に嫌気が差してしまう。
自分は何も変わっていない。
むしろ、ひどくなってはいないだろうか。

イスラエルの民があれほど願った祖国での暮らしは、バビロンにいて自由と建国を願って祈っていた頃の純粋さには、とうてい及ばないものに変わり果てていたのかもしれない。

人は一体、何者なのだろう。
どこまでいっても罪人。

ローマ7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。
7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。
7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
7:20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:21 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。
7:22 「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、
7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。
7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

私のうちには、どうしようもない罪がある。
しかし、そのどうしようもない罪から救うために十字架で死なれ、よみがえられた主イエス様もいらっしゃる。
私が罪に勝てなくても、イエス様は罪に対して勝利されるお方。
だから、私も救われている。
そこに頼り、生きていくほかないのである。

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エズラ8:1 アルタクセルクセス王の治世に、わたしと共にバビロンから上って来た家長と、その家系は次のとおりである。
8:2 ピネハスの一族からゲルショム、イタマルの一族からダニエル、ダビデの一族からハトシュ、
8:3 シェカンヤの一族の者、パルオシュの一族から、ゼカルヤと、彼と共に家系に従って記録された男百五十人。
8:4 パハト・モアブの一族から、ゼラフヤの子エルヨエナイと男二百人。
8:5 ザトの一族から、ヤハジエルの子シェカンヤと男三百人。
8:6 アディンの一族から、ヨナタンの子エベドと男五十人。
8:7 エラムの一族から、アタルヤの子エシャヤと男七十人。
8:8 シェファトヤの一族から、ミカエルの子ゼバドヤと男八十人。
8:9 ヨアブの一族から、エヒエルの子オバドヤと男二百十八人。
8:10 バニの一族から、ヨシフヤの子シェロミトと男百六十人。
8:11 ベバイの一族から、ベバイの子ゼカルヤと男二十八人。
8:12 アズガドの一族から、ハカタンの子ヨハナンと男百十人。
8:13 アドニカムの一族から、その最後の者たちで、名をエリフェレト、エイエル、シェマヤという者と男六十人。
8:14 ビグワイの一族から、ウタイ、ザクルと男七十人。
8:15 わたしはアハワに向かって流れる川のほとりに彼らを集めた。そこでわたしたちは、三日間野営した。そこには民も祭司もいるのが分かったが、レビ人が見当たらなかった。
8:16 そこでわたしは頭たちエリエゼル、アリエル、シェマヤ、エルナタン、ヤリブ、エルナタン、ナタン、ゼカルヤ、メシュラム、教官ヨヤリブとエルナタンを遣わし、
8:17 カシフヤという所の頭イドのもとに行かせた。そしてカシフヤという所の神殿の使用人である彼とその兄弟たちに、わたしたちの神の神殿に仕える者をよこしてほしいと伝えさせた。
8:18 慈しみ深い神の御手がわたしたちを助けてくださり、彼らはイスラエルの子レビの子であるマフリの一族のシェレブヤという有能な人物を、その子らと兄弟十八人と共に連れて来た。
8:19 更に、メラリの一族からハシャブヤとその兄弟エシャヤ、および彼らの子ら二十人、
8:20 また、レビ人に奉仕するようにダビデと高官たちが定めた神殿の使用人の中からも、二百二十人の使用人を連れて来た。皆一人一人その名が記録されている。
8:21 わたしはアハワ川のほとりで断食を呼びかけ、神の前に身をかがめ、わたしたちのため、幼い子らのため、また持ち物のために旅の無事を祈ることにした。
8:22 わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります」と王に言っていたからである。
8:23 そのためにわたしたちは断食してわたしたちの神に祈り、祈りは聞き入れられた。
8:24 わたしは祭司長の中から十二人、すなわちシェレブヤ、ハシャブヤ、および彼らの兄弟十人をえり分けた。
8:25 そして王とその顧問官たち、高官たち、および居合わせたすべてのイスラエル人が神殿への礼物としてささげた金銀、祭具を量って彼らに託した。
8:26 わたしが量って彼らの手に託したものは、次のとおりである。銀六百五十キカル、銀の祭具百キカル、金百キカル、
8:27 金杯二十個一千ダリク、良質の輝く青銅の器二個、これは金に等しい貴重品であった。
8:28 わたしは彼らに言った。「あなたたちは、主にささげられた聖なる人々です。この祭具も聖なる物で、この金銀も、あなたたちの先祖の神、主にささげられる随意の献げ物です。
8:29 これをエルサレムの神殿の祭司室で、祭司とレビ人の長たちとイスラエルの家長のいる前で、量って手渡すまで、よく注意して預かってください。」
8:30 こうして量られた金銀、祭具は、エルサレムの神殿に携えて行くようにと、祭司とレビ人に渡された。
8:31 わたしたちは第一の月の十二日に、エルサレムに向かってアハワ川を出発した。道中待ち伏せる敵の攻撃も、神の御手に守られて、免れることができた。
8:32 エルサレムに到着し、そこで三日間休息を取った。
8:33 四日目に、わたしたちの神の神殿で金銀、祭具が量られ、ウリヤの子、祭司メレモトの手に渡された。ピネハスの子エルアザルがそれに立ち合い、レビ人のイエシュアの子ヨザバドとビヌイの子ノアドヤもそばにいた。
8:34 数にも量にも間違いはなかった。数量はすべてそのとき記録された。
8:35 捕らわれの地から帰って来た捕囚の子らは、イスラエルの神に焼き尽くす献げ物をささげた。雄牛十二頭を全イスラエルのために、また雄羊九十六匹、小羊七十七匹、贖罪のための雄山羊十二匹をささげた。これらはすべて主への焼き尽くす献げ物とした。
8:36 彼らが王の命令書を地方総督とユーフラテス西方の長官たちに渡したので、イスラエルの民と神殿は彼らの支援を受けた。

イスラエルの民は、大勢の者たちがエズラと共に移住を始めていたが、祭司らはいるものの、レビ人がいなかったため、マフリの一族のシェレブヤという有能な人物をその子らと共に連れてきたと記されている。(18節)
イスラエルの人たちにとって、神を礼拝することはとても大切なことであり、そのために奉仕する奉仕者の存在も重要であった。
祭司だけいれば良いというものでもない。
祭司もレビ人もいて、そして、会衆もいることで礼拝は成り立つ。

教会も同じことが言える。
牧師がいて、礼拝のための奉仕者がいて、礼拝する会衆がいて、そしてはじめて礼拝は成り立つ。
独りよがりでは正しい礼拝とはならない。
「教会」という言葉は「呼び出された者たち」という意味を持つのだそうだから、そこに複数の人間がいて、交わりがある。
そのことを覚えつつ、信仰を共にする方々と共に、真の礼拝を捧げていきたいと願う。


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エズラ7:1 これらの事があって後、ペルシアの王アルタクセルクセスの治世に、
7:6 エズラがバビロンから上って来た。
7:1 エズラの祖先は、父がセラヤ、祖父がアザルヤ、更にヒルキヤ、
7:2 シャルム、ツァドク、アヒトブ、
7:3 アマルヤ、アザルヤ、メラヨト、
7:4 ゼラフヤ、ウジ、ブキ、
7:5 アビシュア、ピネハス、エルアザル、そして祭司長アロンとさかのぼる。
7:6 エズラは、イスラエルの神なる主が授けられたモーセの律法に詳しい書記官であり、その神なる主の御手の加護を受けて、求めるものをすべて王から与えられていた。
7:7 アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエルの人々、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人から成る一団がエルサレムに上り、
7:8 同王の第七年の第五の月にエルサレムに到着した。
7:9 彼らは第一の月の一日をバビロン出発の日とし、神の慈しみ深い御手の加護を受けて、第五の月の一日にエルサレムに到着した。
7:10 エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。
7:11 イスラエルに対する主の戒めと掟の言葉に精通した、祭司であり書記官であるエズラに、アルタクセルクセス王は親書を送った。以下はその写しである。
7:12 「諸王の王であるアルタクセルクセスは、天にいます神の律法の書記官、祭司エズラに心からの挨拶を送る。
7:13 さて、ここにわたしの命令を明記する。わが国にいるイスラエルの人々、祭司、レビ人でエルサレムに行くことを望む者はだれでも、あなたと共に行ってよい。
7:14 わたしは七人の顧問官と共にあなたに次の使命を託す。すなわちあなたにゆだねられた神の律法に従って、ユダとエルサレムの事情を調べること、
7:15 エルサレムに住まいを定められたイスラエルの神に、わたしと顧問官が寄進する金銀を持って行くこと、
7:16 またバビロニアの州の至るところであなたが得るすべての金銀を、民と祭司がエルサレムにある彼らの神殿に寄進する献げ物と共に持って行くことである。
7:17 それゆえ、あなたはその銀を持って雄牛、雄羊、小羊、および穀物とぶどう酒の献げ物を丹念に買い集め、エルサレムにあるあなたたちの神の神殿の祭壇にささげよ。
7:18 そのほかあなたとあなたの仲間が適切と思うことがあれば、残りの金銀を神の御旨に従って用いてよい。
7:19 あなたの神の神殿の儀式のためにあなたに託す祭具類も、エルサレムの神の御前に納めよ。
7:20 その他、神殿に必要なもので費用がかさむなら、それも国庫負担としてよい。
7:21 天にいます神の律法の書記官、祭司エズラの要求には、すべて怠りなくこたえるように、このアルタクセルクセス王がユーフラテス西方の全財務官に命令しておく。
7:22 銀は百キカルまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バトまで、油は百バトまで、塩は制限なく与えられる。
7:23 王とその子孫の国に怒りが下らないように、天にいます神の命令であれば、天にいます神の神殿のために、すべてを滞りなく実行しなければならない。
7:24 また祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人など総じて神殿に仕える者に、年貢、関税、交通税を課す権限が、だれにもないことをあなたたちに知らせておく。
7:25 エズラよ、ゆだねられた神の知恵によってあなたは治める者と裁く者を任命して、ユーフラテス西方のすべての民、あなたの神の律法を知るすべての者を治めさせ、律法を知らない者にはあなたたちは教えを授けよ。
7:26 あなたの神の律法と王の法律に従わない者は、すべてこれを厳しく裁き、死刑または流刑、財産没収、または投獄によって処罰しなければならない。」
7:27 わたしたちの先祖の神、主はほめたたえられますように。主は、このようにエルサレムの神殿を栄えあるものとする心を王にお与えになり、
7:28 わたしには王とその参議官、そのすべての優れた高官の好意を受けるようにしてくださった。わたしは、わが神なる主の御手の加護によって勇気を得、イスラエルの中でわたしと共に上って行こうとする頭たちを集めた。

祭司エズラは、アルタクセルクセス王からの命を受け、イスラエルの復興のために必要なことの全てを行う権限を与えられ、それを実行していくことになった。
エズラは、主の戒めと掟の言葉に精通したものであったと記されており、つまり、御言葉に基づいたイスラエルの復興計画を進めようとしていたということであろう。

神の国の働きを進めていく上で大切なことは、いろいろな権限を委ねられることもさることながら、御言葉に精通し、御言葉に基づいた行動を取ること言える。
「自分には権限がない」と思う前に、まず、主に信頼し、祈るところから始めたい。
それが働きを進めていく上で大切なことであると思う。

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エズラ6:1 そこで、ダレイオス王により命令が出され、バビロンにある記録保管所が調べられ、
6:2 メディア州の都エクバタナで一つの巻物が見つかった。それには、このように記されていた。「覚書。
6:3 キュロス王の第一年、キュロス王、勅令を発布。エルサレムの神殿、いけにえをささげる場所として、以前の基礎を保ったまま、神殿は再建されなければならない。建物の高さは六十アンマ、間口は六十アンマとする。
6:4 切り石の列を三段置き、木材の列を一段置く。費用は国庫負担とする。
6:5 更に、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から取り出して、バビロンに持って来た神殿の金銀の祭具類は返還され、エルサレムの神殿にある元の場所に戻されなければならない。それをその神殿に納めるようにせよ。」
6:6 「それゆえ、ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタル・ボゼナイ、およびその仲間であるユーフラテス西方の巡察官たちは干渉をやめ、
6:7 その神殿の工事をさせることにせよ。ユダの長官と長老たちは、かつて神殿があった場所にその神殿を再建しなければならない。
6:8 この神殿を建てるために、あなたたちがそのユダの長老たちを援助することを、わたしは命ずる。その経費はユーフラテス西方からの税収による国費によって賄われ、滞りなく正確にそれを彼らに与えよ。
6:9 天にいます神に、焼き尽くす献げ物としてささげるために必要な雄牛、雄羊、小羊、それに小麦、塩、ぶどう酒、油をエルサレムの祭司たちの要求に従って、毎日欠かさず与えなければならない。
6:10 こうして彼らが天にいます神に供え物をささげ、王と王子らの幸福な人生を願って祈ってくれるようにせよ。
6:11 この定めに違反するものはだれであれ、自分の家から抜き取られた角材にはりつけにし、その家も廃虚とすることを、わたしは命ずる。
6:12 この命令をあえて犯し、エルサレムにあるこの神殿を破壊しようとする王や国があれば、そこを御自分の名の住まいとされた神が、一人残らず滅ぼされるように。わたしダレイオスが、この命令を下す。命令どおり実行せよ。」
6:13 そこで、ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタル・ボゼナイ、およびその仲間たちは、ダレイオス王が書き送ったことに従い、命令どおり実行した。
6:14 ユダの長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言に促されて順調に建築を進めていたが、イスラエルの神の命令と、ペルシアの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって建築を完了した。
6:15 この神殿は、ダレイオス王の治世第六年のアダルの月の二十三日に完成した。
6:16 イスラエルの人々、祭司、レビ人、残りの捕囚の子らは、喜び祝いつつその神殿の奉献を行った。
6:17 この神殿の奉献のために雄牛百頭、雄羊二百匹、小羊四百匹をささげ、また全イスラエルのために贖罪の献げ物としてイスラエルの部族の数に従って雄山羊十二匹をささげた。
6:18 そしてモーセの書に書き記されているとおり、エルサレムにおける神への奉仕のために、祭司たちをその担当の務めによって、レビ人をその組分けによって任務に就かせた。
6:19 捕囚の子らは、第一の月の十四日に過越祭を行った。
6:20 祭司とレビ人は共に身を清めていたので皆清く、捕囚の子ら皆のため、仲間の祭司のため、また彼ら自身のために、過越のいけにえを屠った。
6:21 捕囚の地から帰って来たイスラエルの人々も、イスラエルの神なる主を尋ね求めて、その地の諸民族の汚れを離れて来た人々も皆、過越のいけにえにあずかった。
6:22 そして七日間にわたって、喜び祝いつつ除酵祭を行った。主がアッシリアの王の心を彼らに向け、イスラエルの神の神殿を再建する工事を支援させて、彼らに喜びを与えられたからである。

ペルシャの王キュロスは、勅令を発布してエルサレムの神殿の再建を命じている。
しかも、神殿建設のためにかかる費用までもが、国庫による負担とすると言うのだ。
いわゆる、国家賠償の類であろうか。

今、私たちの国でも国家による賠償ということが問題となっている。
しかし、忘れてはならないのは、国家というのは国民の集まりであり、私たち一人一人もそこに含まれているということ。
ならば、安易な国家批判というのは避けるべきではないだろうか。
国家の指導者が悪いとか、リーダーがだめとか簡単に言う前に、そのリーダーを選んだ者(国民)の責任もある。

批判するのは誰にでもできる。
でも、一人の国民として果たすべき責任を果たすことがまず先決。

だから、私はまず祈る。
この国の救いのために祈る。
神の国の民の一員として、この国の民の救いのために祈る。

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エズラ3:1 第七の月になって、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民はエルサレムに集まって一人の人のようになった。
3:2 祭司たち、すなわちヨツァダクの子イエシュアとその兄弟たちは、シェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちと共に立ち上がり、イスラエルの神の祭壇を築き、神の人モーセの律法に書き記されているとおり、焼き尽くす献げ物をその上にささげようとした。
3:3 彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、その昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物、朝と夕の焼き尽くす献げ物を主にささげた。
3:4 書き記されているとおり仮庵祭を行い、定めに従って日ごとに決められた数を守って日ごとの焼き尽くす献げ物をささげた。
3:5 その後、絶やすことなくささぐべき焼き尽くす献げ物、新月祭、主のすべての聖なる祝祭、主に随意の献げ物をするすべての人のために献げ物をささげた。
3:6 第七の月の一日に、彼らは主に焼き尽くす献げ物をささげ始めた。しかし、主の神殿の基礎はまだ据えられていなかった。
3:7 彼らは石工と大工に銀貨を支払い、シドン人とティルス人に食べ物と飲み物と油を与え、ペルシア王キュロスの許しを得て、レバノンから海路ヤッファに杉材を運ばせていた。
3:8 エルサレムの神殿に帰った翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは彼らの他の兄弟たち、祭司とレビ人、および捕らわれの地からエルサレムに帰って来たすべての人と共に仕事に取りかかり、二十歳以上のレビ人を主の神殿の工事の指揮に当たらせた。
3:9 イエシュアもその子らと兄弟たち、カドミエルとその子ら、ホダウヤの子らと一緒になって、神殿の工事に携わる者を指揮することとなった。ヘナダドの子ら、およびその子らと兄弟たち、レビ人も同様であった。
3:10 建築作業に取りかかった者たちが神殿の基礎を据えると、祭服を身に着け、ラッパを持った祭司と、シンバルを持ったアサフの子らであるレビ人が立って、イスラエルの王ダビデの定めに従って主を賛美した。
3:11 彼らも「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と唱和して、主を賛美し、感謝した。主の神殿の基礎が据えられたので、民も皆、主を賛美し大きな叫び声をあげた。
3:12 昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声をあげて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた。
3:13 人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別することができなかった。民の叫び声は非常に大きく、遠くまで響いたからである。

イスラエルの民は、みな心を一つにし、エルサレムの神殿の再建に着手しようとしていた。
一大事業に取り掛かろうとするとき、人々の心は限りなく一致していなければならない。
教会建築などの時もそうかもしれない。
教会員が心一つになって進めなければ、大きな事は成し遂げられないのである。

しかし、そこにいる人たちがみな、全員全く同じ考え、同じ思いになるということはありうるのだろうか。
エズラ3章1節には、イスラエルの人たちが、まるで一人の人のようになったと記されている。

長い人類の歴史の中で、全体が一つになって突き進んでいった時、必ずしもそれが良かったと言えない事もあったはず。
一致するということが悪いことではないが、よくよく注意しなければならないだろう。

何によって一致するのか。
それが重要である。

3:11 彼らも「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と唱和して、主を賛美し、感謝した。主の神殿の基礎が据えられたので、民も皆、主を賛美し大きな叫び声をあげた。

願わくは、全ての人が同じ主、同じ神を見上げ、心を一つにして主を賛美することができますように。



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ヨハネ14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
14:4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
14:7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
14:8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、
14:9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
14:10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
14:11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
14:12 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。
14:13 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
14:14 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

ここ最近、よく夢を見る。
内容はあまり覚えていないけど、なんとなく落ち着きのなさを感じたまま目が覚める。
心のどこかに、不安や恐れ、焦りや戸惑いなどがあるのだろう。

イエス様を信じ、救いの約束を頂いているのに、なぜ、人はこうも落ち着かないのか。
イエス様の弟子たちもそういう心境だったのだろうか。
イエス様を見ているのに、イエス様がどこへ行こうとしているのか、何をなそうとしておられるのか分からないのである。

イエス様を見たものは、父なる神御自身を見ている。
それが全てなら、何を不安に思う必要があるのだろう。
何を焦っているのだろう。

この世の様々な事柄に心を囚われすぎなのだろう。
そんなちっぽけなことに一喜一憂せず、もっと大きな業を期待し、主を仰ぎ見て歩み続けていきたい。

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ヘブル13:20 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、
13:21 御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。
13:22 兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください、実際、わたしは手短に書いたのですから。
13:23 わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、一緒にわたしはあなたがたに会えるでしょう。
13:24 あなたがたのすべての指導者たち、またすべての聖なる者たちによろしく。イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています。
13:25 恵みがあなたがた一同と共にあるように。

手紙の最後の挨拶部分。
様々な祈り、願いがあるが、イエス・キリストを死からよみがえらせた素晴らしい神の御心が最善であり、御心だけが行われるようになることを願っている。

私の祈りはどうだろうか。
自分の欲望、身勝手な願い、自分の都合だけを押し付けているのではないだろうか。
何より最善をなさるのは神。
この方の御心をただ求める者となりたい。

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ヘブル13:1 兄弟としていつも愛し合いなさい。
13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。
13:3 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。
13:4 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。
13:5 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。
13:6 だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」
13:7 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。
13:8 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
13:9 いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません。食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物の規定に従って生活した者は、益を受けませんでした。
13:10 わたしたちには一つの祭壇があります。幕屋に仕えている人たちは、それから食べ物を取って食べる権利がありません。
13:11 なぜなら、罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運び入れられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。
13:12 それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。
13:13 だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。
13:14 わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。
13:15 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。
13:16 善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。
13:17 指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。
13:18 わたしたちのために祈ってください。わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています。
13:19 特にお願いします。どうか、わたしがあなたがたのところへ早く帰れるように、祈ってください。

ここには、主にある者たちがどのように生きるべきか、具体的に記されている。
たとえば、旅人をもてなし、苦しんでいる人たちを思いやり、金銭に執着しないで、恵みに信頼して生きるように、といった事柄である。
しかし、なぜそのような生き方を求めるべきかというと、既に私たちの救いは完了しており「わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めている」からなのでしょう。

この地上の事柄は永遠ではない。
ましてや、そこに生きる私たちも、永遠にこの世に留まることはできない。
それを誰もが知っていながら、それに背き、いつまでもこの世にしがみついていようとする。
一体それで何が得られるのか。
失うものの方が多いのではないか。
欲に囚われ、自己中心に行き続ける限り、地上の人々との信頼は損なわれ、天における永遠の命も失ってしまうだろう。

そうならないために、できる限りここに記されている事柄に沿って歩んでいきたい。

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ヘブル12:14 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
12:15 神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。
12:16 また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。
12:17 あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。
12:18 -19 あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。
12:20 彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなかったのです。
12:21 また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。
12:22 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、
12:23 天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、
12:24 新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。
12:25 あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか。
12:26 あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」
12:27 この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。
12:28 このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。
12:29 実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。

主イエス・キリストの尊い贖いによって救われた者ならば、その支払われた代価に値する生き方が求められる。
聖なる生活を送るのは、そういった動機によるものであるべきであろう。
もし、救われたにも関わらず、以前と同じこの世的な生活を続けているならば、それは、イエス様の十字架の犠牲を全く無駄にする行為に他ならない。

私たちは、一体どれほど大きな犠牲を支払って救われたのか。
恵みの大きさを忘れることなく、聖なる生活を送れるようにと願うものである。


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