hasyan の 旅の散歩道

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根日女の物語の舞台になった玉丘古墳 2015.05.21

2015年05月22日 19時51分49秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   玉丘史蹟公園   兵庫県加西市玉丘町76

 ここ玉丘史跡公園内には、根日女の物語の舞台となった5世紀前半造立の玉丘古墳をはじめ、移築復元された1基の愛染古墳をふくめて合計7基の古墳が残されています。

 駐車場横には、移築復元古墳である、<愛染古墳>があります。佐谷町にあった円墳の古墳で、世紀中頃の構築ようです。無袖式横穴式石室で内部に組み合わせ式石棺安置され、出土品は須恵器が出土しました。開口方向は180度変えて復元しています。

 ここ長倉池は農業用ため池としても大きく貢献しておりますが、加えてミズトラノオをはじめとした貴重種の宝庫であり、冬場のコハクチョウの越冬地でもあることなどから、生物多様性に大きく関わっているため池です。

 少し歩くと、ちびっ子遊具広場ねひめの森があり、親子で楽しめる楽しい広場があり、近くには、ガイダンス施設があり古墳に関する案内パネルが多数展示されています。

 倍塚第1号墳は、史跡公園のほぼ真ん中に位置する古墳で、五世紀前半の構築のようです。そばに隣接する方形丘と組み合わせて前方後円墳とする説もあり。調査の結果、幅約4メートルの周濠が四方を巡っており、一辺約24メートルの方墳とされています。

 手作り埴輪が並ぶ道を歩いていきます。

 その横、周濠を持つ目立つ古墳は、クワンス塚古墳で5世紀前半の築造のようです。径35メートルの円墳で埋葬施設は竪穴式石室、割竹型木棺。約10メートルの周濠を有し、造出を持ち出土品に周濠から鳥形などの形象埴輪、杵型、円板形などの土製品が、その他、円筒埴輪、朝顔形埴輪、副葬品は小刀、鉄鏃などです。

 やっと入口に、ここを上ります。播磨国風土記に、玉丘古墳のいわれとして根日女伝説が記されています。それは、根日女と二人の皇子との出会いから始まった、美しくも悲しい恋の物語。後に23代顕宗天皇と24代仁賢天皇に即位する事となる、意奚(おけ)、袁奚(をけ)の兄弟であるニ皇子が、皇位継承争いで父を殺害されて都から逃れ、播磨の国に名前を変え身分を隠し、密やかに移り住んでいた時、根日女と出会いました。根日女は、播磨国賀毛の里を治める国造許麻(くにのみやつここま)の娘で、神秘的な美しさと巫女としての不思議な力を持っていたと言われています。

 ここ玉丘古墳の長持形石棺は昭和6年調査で古墳に四敵する巨大で優美な長持形石棺であることが報告されましたが、その後 埋もれるままになっていましたが、これらの石棺材の存否を確認し、今後の保存と活用の資料とするため、3月から86年ぶりに石棺の発掘調査を実施したようです。

 二人の皇子は、根日女に対する恋が芽生え、仲がよかった兄弟は互いに譲り合ってしまい、どちらとも結婚しないままでした。やがて、二皇子は都に帰る事となり、根日女への愛を心の支えに、大和を平定し帝につきました。しかし、二人の安否を気遣う心労から病の床に伏していた根日女は、ここ播磨の地で息を引き取ってしまうのです。それを知った天皇と皇子は嘆き悲しみ、根日女のために賀毛の里に墓を築き手厚く葬りました。当時、表面を美しい玉石でおおわれたその墓は、今も玉丘古墳として残っています。古墳時代の恋物語を今に伝える古墳ですね。
次回をお楽しみに では またね


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