hasyan の 旅の散歩道

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西教寺と明智光秀 2016.12.28

2016年12月31日 17時18分07秒 | 神社・寺院


  所在地    西教寺     滋賀県大津市坂本5丁目13―1

 滋賀県大津市の天台真盛宗総本山 西教寺は聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。

 桜に木が植わる参道を歩き、西教寺は、天台宗総本山の延暦寺、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)と並ぶ、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、400か寺以上の末寺を有します。

 本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は聖徳太子とする伝承もあるが判然とせず、室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛が入寺してから栄えました。大師殿の正面にあり、東面して建つ1間1戸の四脚門で、両側に折曲がりの築地塀が延びています。屋根は檜皮葺で、入母屋造・前後軒唐破風付。組物は三斗組と簡素ですが、虹梁上に配された龍や獅子など多彩な彫刻、彫物欄間や板欄間、精緻な飾金具など、華やかな造形です。

 ここの西教寺も坂本周辺と同じく穴太衆という石工集団の里でもあって、加工しない自然石を上手に組み合わせて美しい石積みを見ることができます。

 本堂(重要文化財、江戸時代)
総欅入母屋造。江戸時代 元文4年(1739)に上棟落成。用材は紀州徳川家からの寄進、正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇はすべて欅の素木造で江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。ご本尊は、重要文化財の丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されています。

 元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちの際、当寺も災禍を被りました。その直後に築かれた坂本城の城主となったのが明智光秀でした。光秀は西教寺の檀徒となり、復興に大きく力を注ぎました。総門は坂本城城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。天正10年にこの世を去った光秀は6年前に亡くなった内室熙子や一族の墓とともに祠られています。

 光秀と煕子の結婚は天文14(1545)年頃と言われています。結婚前に煕子は疱瘡に罹り、顔に痘痕が残ってしまいます。煕子の実家・妻木家は、代わりに妹を嫁がせようとしますが、光秀はそれを拒みました。「容貌は変わりやすいもの。だが、心の美しさは決して変わらぬ」と語り、煕子との結婚を願ったそうです。光秀の煕子への愛を感じますね。

 真盛上人廟は西教寺では一番高いところにある建物でした。左手に名号石が建立されていて、その後に放生池があって、御廟への石段に向かう石橋が架かっています。少し急な一直線の石段を上って行く必要がありますが、疲れたので今回は階段を上がるのやめました。

 西教寺の勅使門は参道を突き当たりにあります。天皇の使者を迎えた門で、どっしりとした風格のある門です。
  次回をお楽しみに では またね

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