hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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豊国神社と耳塚  2016.12.28

2016年12月31日 20時12分48秒 | 神社・寺院


  所在地    豊国神社     京都市東山区大和大路茶屋町530

 秀吉が亡くなった翌年の1599年(慶長4年)、彼はその遺言により東山の阿弥陀ヶ峰の山頂に葬られました。その中腹に秀吉を神様として祀る神社が創建されたのが、豊国神社の始まりで、後陽成天皇から「豊国大明神」の神号を賜り、盛大な鎮座祭も行われたのだそうで、お参りしていきましょう。

 1598年に63歳で亡くなった豊臣秀吉は後陽成天皇より正一位の神階と豊国大明神の神号を賜り、遺骸は遺命により阿弥陀ヶ峰の中腹に葬られました。また、その麓には廟社が造営され、その偉観は豊国祭礼図屏風にも描かれており壮観を極めました。しかし豊臣氏の滅亡後、その廟社は徳川幕府により取り壊され、豊臣秀吉の御霊は新日吉神社に移されました。その後(1880年)この地に社殿が再建され別格官幣社として復興されました。

 唐門は、これぞ豊国神社のシンボル・正面で参拝客を出迎えてくれる唐門。西本願寺・大徳寺の門と並び、国宝三唐門に数えられる見事な門は桃山時代の作という貴重なものです。かつては秀吉の居城のひとつ・伏見城の城門だったと伝えられています。伏見城が廃された後は二条城に移され、さらに南禅寺の塔頭・金地院へ、そして明治に入ってから豊国神社に移築されたのでした。

 年の瀬がせまり絵馬も飾られ新年の年を迎える時で一部ではあわただしく人々が動いています。

 豊国神社の前方にある、この塚は、16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手をのばそうとして、朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄・慶長の役(朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱、1592~1598年)にかかる遺跡である。秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級の代わりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰った。それらは秀吉の命によりこの地に埋められ、供養の儀がもたれたという。これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりです。
 次回をお楽しみに では またね

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