旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

年々質を高めていくミャゴラトーリ支援者の集い

2017-04-24 15:40:11 | 文化(音楽、絵画、映画)



 一昨日(22日)、今年度のミャゴラトーリ支援者の集いが開かれた。渋谷区幡ヶ谷の「KMアートホール」に、約40名の支援者の方々のご参集を得て、非常に質の高い会が持たれたと思う。質が高いというのは二重の意味で、一つは約1時間のミニコンサートの素晴らしさである。国光ともこさん(ソプラノ)、薮内俊弥さん(バリトン)、大澤恒夫さん(バスバリトン)のお三方が、ミャゴラトーリを支え続けてきたピアニスト神保道子さんのピアノで、実に高質な歌唱力を披露してくれたことによる。40名の方だけに聞かせるのではもったいないコンサートであったと思った。
 もう一つは、その後のパーティでほとんど全員に発言してもらったが、その内容が実に質の高いものであったことによる。それぞれ素晴らしいご体験をお持ちの方ばかりで、その内容あるご体験をもとに、ミャゴラトーリに貴重なご提言をいただいた。資力も後ろ盾もないミャゴラトーリであるが、このような素晴らしい方々のご支援こそ、最大の後ろ盾だと思っている。
 私は、恒例によりパーティ用のお酒の担当で、今回は、秋田の「新政」、熊本県小国町河津酒造の「花雪」、福島県会津若松の鶴乃江酒造の「ゆり」などを準備、参加者の中から、秋田の銘酒「まんさくの花純米大吟醸」、菊水酒造の「KAYOIGURA」、熊本県人吉市の高橋酒造の本格焼酎「しろ」などの差し入れがあり、実に多彩なs酒盛りとなった。これら銘酒も、参加者の質の高い発言に一役買ったと自負している。
 以下にミニコンサート写真をいくつか掲げておく。

        
       ビゼー 「カルメン」より『闘牛士の歌』を歌う薮内俊弥さん(バリトン)

  
            
    プッチーニ「つばめ」より『ドレッタの夢』を歌う国光ともこさん(ソプラノ)

   
     モーツァルト「ドン・ジョバンニ」より『カタログの歌』を歌う大澤恒夫さん(バスバリトン)
 
     
      チマローザ「秘密の結婚」より2重唱『もし息をしているなら』(薮内、大澤さん)

  
     ピアノ神保道子さん、司会の首藤史織を含めて出演者のご挨拶
  

  

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久しぶりの熱海(つづき)

2017-04-19 17:42:06 | 



 古屋旅館は、さすがに熱海最古、210年の業歴を誇るだけ立派であった。東郷元帥の常宿で、元帥が当館14代当主と打ったという碁盤なども飾られてあった。碁石は水晶とメノウで作られているということだ。部屋のたたずまいといい、大風呂もヒノキ張りの湯加減といい、文句なしの雰囲気であった。
 食事が始まると、娘たちから私の誕生日を祝った花束をいただいたが、同時に、料理を運んできた女中さんから「若女将からのプレゼントです」と立派な湯呑を渡された。奥ゆかしいおもてなしで、花束ともども心に届いた。

 料理も素晴らしかったし、そろえてある日本酒も、純米酒を中心に名だたる銘酒ばかりであった。私はその中で「地酒」として薦めている「開運」、「正雪」などを飲んだが、「而今」や「新政」や「醸し人九平次」など飲みたい酒がずらりと並んでいた。1歳11か月の遥人も一人前に特別料理を作ってもらい、ちゃんと箸を使って食べていた。

   遥人のお膳
          

   
  誕生祝に贈られた花束と、若女将からの祝い品の湯呑


 

 朝食では、運転する息子に悪いので飲酒はやめようと思っていたが、「アジの開きがついてきたら、やっぱり酒だよなあ」など話していたら本当についてきたので、息子が冷蔵庫の中にあるのを確かめていた「大阪屋長兵衛」(「大関」の大吟醸)を添えてくれた。息子には悪かったが美味しかった。

    

               
 
 いやあ、大満足の旅でした。




 



 

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久しぶりの熱海

2017-04-17 14:12:00 | 



 何十年ぶりかで熱海に行った。次男夫婦の招待で、来月13日で満2歳を迎える孫の成長の披露と、10日早いが私の82歳の誕生日を祝ってくれる集まりであった。実は昨年も湯河原の老舗旅館に招待してくれたのであるが、その時は孫の遥人が風邪で高熱を出して、大騒ぎの末に翌朝早々に引き上げることになったので、そのリベンジだと時を伺っていたようだ。桜は満開、熱海最古の旅館『古屋旅館』(業歴210年)は、もてなしも湯加減も最高のものであった。
 私のこのたびの狙いの一つは、孫遥人と露天の大風呂につかることであった。前記のごとく昨年の湯河原では風呂どころではなかったので、今度こそと満を持していたのだ。ところが……
 着いて早々、まずは部屋続きの露天風呂で試そうと、次男が湯につけようとするが、何を恐れてか頑として拒否、ついには泣いて抗議するありさまで実現しなかった。大風呂に連れて行こうとしたが、風呂と聞いただけで湯部屋に入ろうともしない。ようやく翌日の「足湯」ではやっと慣れて、最後は湯船をはしゃぎまわってズボンを濡らしママを困らせるまでになったが、うまくいかないものである。

 
   一人前にリュックを背負って、張り切って我が家を出発

   
        部屋続きの露天風呂に入れると、怖がって泣いて拒否
 
     
           
 翌日、熱海の海岸に繰り出し、水に触れさせようとるがなかなか近づかない。

 
      
 最後の湯河原万葉公園の足湯でやっと慣れて、今度はズボンを濡らしてママを困らせた。
 
     

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上野の桜と山桜桃の会

2017-04-06 15:20:44 | 

 



 第14回「山桜桃の会」を湯島の『ふくろう亭』で開いた。ここでは2回目の開催となったが、それは前回欠席したMiさんが「『ふくろう亭』の焼き筍」をどうしても食べたいという強い要望を持っていたことによる。彼女は前回、ロスアンジェルスの息子のうちにいて、「焼き筍がおいしかった。あまりおいしいのでお替りした」という私のブログをロスで読み、その要望を抱き続けていたのだ。太平洋越しの強い要望を無視したのでは何が起こるかわからないと、シーズンまで指定して今回の山桜桃の会となったのだ。
 ところが、これが桜のシーズンと重なった。このところ桜の満開は3月下旬が続いていたので、4月4日は見どころを過ぎているかと思ったが、今年は寒さが続いて満開の時期となった。それなら、近くの上野公園を回り、湯島に降りて宴を張ろう、ということになって、久しぶりに上野の桜を満喫した。
 毎年どこかの桜を見るが、中でも「東京の桜のメッカ」の一つとされる上野公園の桜は何十年ぶりのことである。何十年も近づかなかったのは人込みを恐れてのことであったが、その人混みがいいものだとつくづく思った。桜にも、枝垂れ桜や八重桜などいろいろあるが、結局はソメイヨシノではないか。ごった返す人込みと歓声、酒の香りと食べ物のにおい、この人の営みを覆いつくすのはソメイヨシノでなければならないと改めて思った。

   

 上野に詳しいM君、U君の案内で、「時忘れじの塔」、「時の鐘」、「上野大仏」、「清水寺」など周り、不忍の池を経て湯島に向かった。これらの史跡を回りながら、桜の美しさもさることながら、東京都民と上野公園の縁の深さに思いをはせた。大きい事件だけでも大正末期の関東大震災、第二次大戦の東京大空襲があるが、そのような災害から、都民はまず上野の山に逃げたのだ。そのさまざまな思いが、華やぐ桜の陰に毅然として残っていた。

    
                      
                                    

 『ふくろう亭』では、「焼き筍」はもちろん、様々な季節の料理で定番の「一ノ蔵掌」を傾ける。今回はそれに「酒呑童子あらばしり」(由良の「ハクレイ酒造」の酒)を加えた。刺身の盛り合わせが出たが、その中にクジラの刺身があった。いかにも哺乳類の肉らしく、赤々と存在感を示していたが、塩釜出身のU君が、港にあげられるクジラの様子や、東北の人たちがいかにクジラを常食していたかを語ってくれた。いやあ、全ておいしかったなあ。Miさん執念の「焼き筍」の写真だけは掲げておこう。

   


 上野の桜のついでに、その前後に見た「上北沢の桜」よ「神田川の桜」も掲げておく。いずれも上野に比べて寂しいが。

   上北座の桜
            神田川の桜

 

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遥人、保育園のお別れパーティ

2017-03-31 14:14:01 | 時局雑感

 



 孫の遥人は永福町に住んでいるが、近くの保育園に入れなかったので、我が家の近くの八山駅に近い無認可保育園に一年通った。無認可ではあるが、英語を使った指導や、調理師免許を持つ園長が、パーティの食事を自ら作って振舞うなど、なかなかユニークな教育方針を持った保育園であった。
 このたび自宅近くの認可保育園に入れることになり、4月よりそちらに転園するのでお別れパーティを開いてくれた。園児の成長を見せるためにお遊戯などを披露するというので、両親にジジ、ババまで加わってパーティに出向いた。お遊戯などといっても未だ1歳10か月、とても様にはならないだろうと思っていたが、ところがドッコイ、なかなか立派なもので、先生の指示通り並んで「キオツケ!」までして、音楽に合わせて踊り出した。毎日やるので覚えているのだろうが、先生のしぐさをよく見て、その通りに体を動かす。
 子供の中には寝そべったり、わんわん泣いたり様々いたが、わが遥人は立派に最後まで「お遊戯」をやった。親バカならぬジジ馬鹿の典型であるが、他の誰よりも遥人が上手だということになった。
 ここで一挙に桜が満開に向かいそうであるが、遥人の成長はすでに満開の域に達している。

  
           
  体を揺らしながら、先生の通りのしぐさでリズムをとる

  
   終わって拍手を送ると、本人も満足げに拍手

 
                 
 我が家に帰り、お母さんがスマホの動画を見せると、自分のダンスに興味津々、大満足の笑顔でした。
  担当の先生から「お別れメッセージ」が添付されていたが、それはこの笑顔を讃える言葉であった
   




 



 

 

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政治・官僚の世界と忖度(そんたく)

2017-03-27 14:28:04 | 政治経済

 



 森友学園問題がマスコミ界を賑わすようになって、忖度(そんたく)という聞きなれない言葉が飛び交っている。広辞苑を引くと、「他人の心中をおしはかること。推察。」と出ている。共同社会を営む一般人間社会の中では、お互いに相手の心を推し量りながら、相手を傷つけず、できるだけ問題を起こさないように生きることは必要であろう。その意味では、忖度というのは大変良い意味の言葉であろう。
 ところが、今世間を騒がせている政治家、官僚がらみの事件にあっては、どうも悪だくみの陰にその忖度が働いているのではないかと報じられ、また世間もそう見ているのである。森友学園の籠池理事長は、安倍晋三首相夫人を名誉学園長に引っ張り出し、一時は学園名に安倍の名前を付けようとまでして安倍色を打ち出し、その意向を利用して有利な学園設立を図ろうとした。首相の名前をちらつかせられた官僚側は、当然その意向を「忖度して」要望に応えてきた、というわけだ。
 不穏を感じた首相夫人は名誉園長を辞退し、何も関係ありませんと言っているのであろうが、官僚に働きかけた事実が、FAXなどの物証として出てきた。確かに夫人が直接依頼した形跡は残していないが、「首相夫人付キャリア―官僚」が交渉にあたり、その結果を夫人に報告している事実までFAXには記載されている。相談を受けた官僚どもが、首相夫人、ひいては安倍首相からのからの意向、とその意を忖度して行動したことは十分に想像できる。
 首相は躍起になって「私も家内も一切かかわりない」を叫んでいるが、多くの一般国民はそれを信じていない。世論調査でも圧倒的多数が「首相側の説明は信じられない」としている。国民は、忖度という言葉を、そのむつかしい意味にもかかわらずよく理解しているのである。政治と官僚の世界では、現実には目に見えないが、お互いに忖度しあって悪だくみが行われているということを、長い歴史の中で知ってきたからだ。
 東京都の豊洲問題だって根は同じだ。東京ガスとの、あれほど大きな取引を水面下でやるというのだから、そもそも「忖度だらけ」といっていいだろう。東京ガスとどんな利害関係があったのか知らないが、とにかく「豊洲移転ありき」で上も下も忖度しあいながらことを進めてきた。その結果、最高責任者たちは、「下に任せた」、「聞いていない」、「記憶にない」と責任逃れで逃げまくる。
 忖度ほど目に見えないものはない。また、これほど憶測の飛び交う世界もない。しかし、真実はたった一つであるはずだ。それをこそ暴くのが、国会であり都議会であると思うのだが。

 

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「春はウララの…」とはいかない春

2017-03-18 11:12:23 | 時局雑感



 前々回、「春を求めて」と題して書いて、その春がようやくそれらしい姿を現してきたが、自然に反して人の世はちっとも春らしくない。「森友学園問題」、「防衛庁南スーダン日報隠ぺい問題」、「稲田防衛大臣ウソ発言問題」から、東京都議会の「築地・豊洲移転問題」や、「福島原発廃炉問題」など連日新聞やテレビを賑わして大混乱である。
 「森友問題」では、この種の事件で必ず登場する品格に欠ける人物、籠池理事長などが現れて、「何をしゃべり出すかわからない」と、政界もマスコミも浮足立っている。国有地を考えられない格安値段で買い取った金の問題もさることながら、教育勅語やビンタ教育、はては「安倍首相がんばれ!」と園児に斉唱させるなどを教育方針とする、およそ時代はずれの学園の存在自体にあきれ果てた。安倍首相側から百万円の寄付がうわさされているが、これだけ持ち上げてくれるのなら百万円など安いものだろう。
 稲田大臣は大臣としての資質があるのか? 答弁内容がたびたび変わり、しかも「本当に記憶にないんです」と涙ぐむなどは、感情の制御もできない人間のようだ。このような人間に国防の責任を負わせるなど、安倍首相の任命責任も重い。靖国派として単に自分と考えが合うからと言って大臣に引き上げるなどは、これまた首相の資質に欠けるのではないか?

 スポーツの方も騒がしい。待望の4横綱時代を迎えたと思ったら、白鵬は早くも2敗して5日目から休場、日馬富士、鶴竜も序盤で2敗、4横綱体制は早くも崩壊を始めたようだ。ただ新横綱の稀勢の里が快調、高安など新勢力が力を発揮し始めているので楽しみだ。時代は変わろうとしているのであろう。
 野球界では、ワールド・ベイスボール・クラシック(WBC)での侍ジャパンの活躍がさわやかだ。6連勝負けなしで準決勝入りとは頼もしく、またその戦いぶりが素晴らしい。中でも守備と攻撃の好循環—―菊池のファインプレーとその直後の筒香のホームラン、が話題を呼んでいる。特に2塁手菊池のファインプレーシーンが、たびたび画面に映し出される。2塁手などというのは一番地味な存在であるが、それがこれほど主役を務めるとは珍しい。オランダにもイスラエルにも、「菊池で勝った」といえるのではないか?
 大ファンの活躍に大満足している。こちらは政財界に比してさわやかだが、とても「春ウララ」という心境ではない。うれしい限りだが…。

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インフルエンザに罹る

2017-03-10 13:58:10 | 時局雑感

 



 全く予想していないことが起こった。インフルエンザに罹ったのだ。
 インフルエンザというのが多くの人が罹る著名な病気であることは知っていたが、それを自分が患うということは、なぜか想定していなかった。今になって考えれば、インフルエンザというものは、周囲の一般の人の病気で自分には関係がないものだという、実に非合理的な考えに陥っていたのである。当然のことながら予防注射などやったこともない。
 ところが、この予想だにしなかった病魔に襲われたのである。今月4日(土)、義兄(薫さん)が来たり、孫の遥人が来たりで何となくザワザワしていたが、夕方から喉がいがらっぽかったことを思い出す。5日(日)朝から発熱、8度台が続く(最高8度8分)。
 6日(月)は東京医大で目の注射の予定であったが慌てて取り消し、行きつけの内科医柴本先生に向かう。先生は一通り診て、「念のためにインフルエンザの検査をしましょう」と、いかにも当然の行為のごとく、綿棒みたいなものを鼻に突っ込む。そしてわずか1,2分後には、これまた当然のごとく、「ハイ、出ました。A型インフルエンザです。数日間、ひたすら寝てるほかないですね」といいながら、点滴治療(約10分)をやってくれた。
 私は狐につままれたような気分であったが、以降、医師の指示通り数種の丸薬を朝昼晩と飲みつづけ、ひたすら寝て過ごした。その結果、7日7度台から午後には6度台、8日から5度台の平熱に熱は下がった。8度台の6日は苦しかったが、その後は苦しむこともなく、かねて予想していたインフルエンザに罹ったという印象はあまりない。いまのところ妻や娘に移った形跡もない。ピアノやオペラのレッスンが続く娘へうつることを一番気にしていたが、どうやら大丈夫のようでホッとしている。
 自分はインフルエンザと無縁の存在、という非合理的な妄想に、なぜ取りつかれていたのかは全く分からない。それは何の合理性もないだけにあっけなく破られ、見事に罹病したが、その病気は想像していたほど大変な病気でもなかった。これまでに罹った最も軽い風邪、という印象であった。このままで終わるとすればの話であるが。

 もしかして俺は、インフルエンザではないのではないか? 世にいうインフルエンザは、やはり俺とは関わり合いがないのではないか? 柴本先生にそれを聞く勇気はないが……。

 

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春を求めて

2017-03-04 14:33:19 | 時局雑感

 



 季節の変わり目で、春ほど待ち遠しいものはない。夏と冬は、いつ変わったのかわからないことさえあるし、秋は暑さを逃れて涼を求める気持ちが強いが、秋を迎えるのは何となく寂しい。それに比して、春を迎える気持ちには希望がみなぎる。
 ところが、その春はなかなか来ない。今年も、立春を過ぎてすでに1か月を経過するが、寒い日が続く。「春は名のみ」である。しかし春を求める気持ちは強く、寒さをついていろんなところに出かける。2月18日、山びこの会の2月行事「葛西臨海公園を巡るえどがわ散歩」に参加した。臨海公園には、菜の花、水仙、河津桜が満開であった。


 
        
       

 2月25日には、府中郷土の森梅園に梅を訪ねた。なかなか立派な梅園で、中でも、しだれ梅が目を引いた。枝垂桜は豪華さを誇るが、初めて見た枝垂梅は、梅の清楚さを一層引き立て、なんとも奥ゆかしい風情であった。

  
         
                  
           

 ようやく3月を迎えて1日、我が家も遅ればせながら雛人形を飾った。恒例によりグランドピアノの上に飾る男雛と女雛だけであるが、今年はバックの屏風も一枚で、両側の灯篭も省略するという手抜きお飾り。それでも、レッスンに来る女の子たちには、一息の余裕を与えることだろう。それに合わせて、玄関の額絵(井堂雅夫画伯の版画)も、雪のシーから桜に変えた。
  直後、孫の遥人が現れたが、これはひな祭りには関係なく、部屋の中を走り回り、椅子にふんぞり返るやら、ロバのぬいぐるみをぶん投げるやら元気がいい。5月の端午の節句には満2歳を迎えるが、一足先に春爛漫である。

 
              
                           
   
 
                

 

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改めて小林多喜二の生涯に感動 … 多喜二祭に参加して

2017-02-26 14:42:04 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 

  2月20日は小林多喜二の命日(正確に言えば官憲の手により殺された日)である。だからこの前後に各地で多喜二をしのぶ会「多喜二祭」が開かれる。21日の「第29回杉並・中野・渋谷多喜二祭」に参加した。多喜二の後輩にあたる小樽商科大学卒の佐々木憲昭氏(元日本共産党参議院議員)が、多喜二の実像に詳しくふれた素晴らしい講演を行った。

 多くの人は小林多喜二を共産党員作家と認識しているだろう。確かに彼は共産党員として官憲の手にかかり虐殺される。しかし彼の29年4か月という短い生涯の中にあってさえも、共産党員として生きたのはわずか1年4か月であった。佐々木氏の年表によれば、28歳を迎えた1931年10月に日本共産党に入党となっている。
 あの全国一斉共産党弾圧事件を描いた『一九二八年三月十五日』(28年8月完成)も、最近になってベストセラーとなった『蟹工船』(1929年3月完成)も、また『東倶知安行』や『不在地主』なども、すべて共産党員となる前の作品である。もちろん彼は、前衛芸術家同盟に参加し、日本プロレタリア作家同盟の中央委員に選ばれたりしているので、波はすでに共産党員に劣らない活動をしていたのであろうが。
 私は、多喜二は、自分を確固としてプロレタリアートの立場に置き、虐げられた人たちの目線を離れずも、一党一派に属さず広く一般人の中に身を置くことによって、人間の普遍的課題を追及しようとしたのではないかと思っている。そこに、『蟹工船』などが一世紀近い時空を超えて若者たちに読まれ、ベストセラーになった理由もあるのではないかと思っている。
 もちろん時代はそれを許さなかった。治安維持法が極刑を死刑とするまでに改悪され、1931年9月満州侵略戦争が開始されるまでに及び、多喜二はその10月、日本共産党に入党し戦争反対はじめ諸活動の先頭に立つ。それは当然のことながら死を覚悟してのことであったであろう。そしてその通り、官憲は、死を賭して戦争反対運動の先頭に立つ多喜二を生かしておくことはできなかったのである。1933年2月20日、スパイの手引きにより多喜二を逮捕した築地警察署は、わずか数時間の拷問により多喜二を抹殺したのである。

 考え方の違い、思想の相違を理由に人間を捕らえまた抹殺する…、この治安維持法という悪法の罪を日本人は未だ裁いていない。しかもそのような悪法により、小林多喜二のような崇高な文学の作り手、かけがえのない作家を抹殺した国家的罪を裁いていない。それどころか、今再びその道を歩もうとする動きさえある。
 折しも、シカゴ大学出版局が日本のプロレタリア文学の短編・評論40作品を英訳し、「尊厳、正義、そして革命のために」と題して『日本プロれtリア文学選集』を刊行したというニュースがある。多喜二の文学ほど、この「尊厳、正義、そして革命のために」という題にふさわしいものがあろうか。日本は、この選集を逆輸入しなければならない遅れをとっているのではないか?

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