旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

いつものように、今年も暮れていく…

2017-12-31 16:39:26 | 時局雑感



 今年は悪いことばかり起こった年のような気がするが、いつもと同じように暮れようとしている。大晦日の私の役目も、例年と同じように果たした。各部屋の掃除器をかけ、各所のカレンダーを張り替え、夕刻になって玄関周りの掃き掃除をする。(玄関周りのお飾りや、額絵の取り換えなども私の仕事だが、これは昨日までに終えた)
 机上に、過去10年間のブログ集が10冊並んでいるので読み返すと、晦日の仕事を終えたころに、毎年「今年も終わる」感慨を投稿している。以前は、迎える年に希望を抱く文章が多いが最近は(特に80歳を超えて)、むしろ長寿を呪うような記事が続く。つまり、「長生きしてもいいことは何もないのではないか?」という不安を訴える記事が多い。
 特に今年のように、あまりいいことがなかった年は、その思いを募らせる。
 しかし、平凡に、いつものように、今年も暮れていく。
 来年もまた、同じことが続くのだろうか…?

   
          玄関の額絵も、お正月用に取り替えました
   
  玄関扉のお飾り                      リビングルームのお飾り


日馬富士暴力事件の結末

2017-12-29 16:32:38 | スポーツ

 

 今年も話題に事欠くことはなく、トランプ、北朝鮮など嫌なニュースが続いたが、この年末の話題をさらったのも、大相撲日馬富士暴力事件という暗いニュースであった。ブログの記録性からしても、この問題に触れておかねばなるまい。
 そもそも誰が一番悪いのか? 

 暴力をふるった日馬富士に決まっている。その次は、そこにいた大横綱白鵬や鶴竜たちで、「何十発も殴り」、「頭部を割られ血が出る」まで止めもしなかったことで、次に悪いのはそのような暴力風潮を根絶できなかった親方衆や相撲協会の責任者たちであろう。
 最大の被害者は暴力を受けた貴ノ岩で、それを守ろうとしている貴乃花親方であろう。さすがに最大の悪者日馬富士は責任をとって引退し、次に悪い関係者も、白鵬、鶴竜、八角理事長の減給、伊勢ケ浜親方の降格と罰を受けた。ところが、被害者側である貴乃花親方が、加害者側関係者より重い(少なくとも同等の)罪を言い渡されたので、事態はおかしくなった。
 結果的に被害者側は、貴ノ岩は全休による規則とはいえ十両に陥落、貴乃花も理事資格はく奪、2階級降格ということになりそうだ。これはちょっと話が違うのではないか? しかも、貴乃花の罪は協会への報告懈怠、非協力によるもので、暴力沙汰の真相、その根絶という、ことの本質以外の理由によるだけに一層話はややこしくなった。貴乃花が事態の真相を知ったのは、事件後23日後だと報道されており、事件の報告を言うならば、当事者の横綱連中が一番問われるのではないか?
 私の感覚からすれば、貴乃花を降格させるのなら、そのような混乱の責任も含めて、八角内閣(理事会)は総辞職に値すると思っている。そのうえで、何もかも洗い出して出直すべきではないか?

 ただ、貴乃花親方は、何故あれほどまでに強情を張り報告や協力を拒んだのか? ここは常識的に報告も協力もし、しかし戦うべきは断固譲らず戦う方針をどうして取らなかったのか? これは不思議で、貴乃花にとっては残念でならない。常識的に行動しておれば、ここは貴乃花側の完勝であったのではないか?
 彼の美学があのような行動をとらせたのであろうが、残念であった。年明け後の成り行きを見守るしかない。

 


年賀状あれこれ

2017-12-26 17:31:04 | 時局雑感



 年末行事の一つに、年賀状の作成、発送という難事業がある。以前は300枚を超えていた枚数を徐々に減らし、3年前の3分の1宣言で100枚以下でご勘弁願っている。今年は84枚の発送を終えた。
 今年の特徴は、殆どの先の欄外に、直筆で一筆添えた。これは今までなかったことで、数をしぼった濃密度の表れと言えるのかもしれない。年賀状をとり交わす意義が、数をしぼったことにより生じてきたといえるのだろう。
 今年気が付いたことは、喪中はがきが3枚ぐらいしかなかったことだ。いつも10数枚はあったような気がするが、思えば、相手の両親などはほとんど亡くなり、喪に伏す対象が居なくなったということを示しているらしい。今度来る喪中はがきは、本人の死を伝えるものになるのかもしれない。その前に、私自身の死を伝えることになるのであろうが。
 そのことを、今年の賀状に書いた文章が証明している。
 「若いころは、一枚のはがきに書ききれないほど様々な思いがあふれていたが、今や書きたいことはあまりない。生命の泉の枯渇か…、さびしいことだ」
 まさに、「年賀状の切れ目が縁の切れ目」となるのであろう。


日本資本主義は大丈夫か? … 大手各社の不正品質問題について

2017-12-21 11:27:38 | Weblog



 総選挙で3分の2以上の議席を占めた改憲勢力が、いよいよ憲法改悪に踏み出し、トランプ・北朝鮮問題と相まって戦争の匂いがしてきた。政治は最悪の方向に動いているのではないか? それと同時に、今年は、経済問題でも大手各社の不正品質問題を中心に、戦後史に記録を残す年となるだろう。
 数年前から問題化した東芝の不正経理問題は、東芝が戦後経済発展の一翼を担ってきた企業であっただけに驚いていたが、今年は大企業の、データ改ざん、不正品質問題が相次いで発覚した。曰く、神戸製鋼所、三菱マテリアル、東レ、自動車各社、等など、枚挙にいとまがない。加えて、政府系金融機関である商工中金の、これまたデータ改ざん、不正融資問題まで発覚、しかも、全店挙げての不正行為であったと聞いて驚きを禁じ得ない。
 戦後の経済発展の中で示した日本経済の特質は、高い品質とそれを生み出す技術力であった…、と信じてきたが、それは不実であったのか? 上に掲げた不正は氷山の一角で、殆どの大企業に蔓延しているのではないのか? 日本資本主義は大丈夫か? 真剣に問わなければならない問題である。

 もう一つ問題がある。以上各社を含む大企業は、大変な利益を計上している。財務省が9月1日に発表した2016年度の法人企業統計による大企業(金融・保険業を含む、資本金10億円以上)の内部留保は、400兆円を超え403.4兆円になったということだ。15年度だけでも17.6兆円の増加である。
 私は何も大企業が儲かることに目くじらを立てているのではない。問題はその対極に大きな貧困が生み出されていることだ。ワーキングプア、つまり働いても年収2百万円に満たない貧困層が、1千万人を超える事態が続いているのだ。時点は違うが、国税庁の民間給与実態統計調査によれば、2014年のワーキングプアは1139万人に達し(9年連続1千万人超)、全労働者の4人に一人を占めるという。
 大企業は空前の利益を上げているが、その対極に貧困層が蓄積されている。民のかまどには火がともってないのではないか? 民が食えない状況で、企業がいくら物を作っても売れるはずはない。もっとも、データ改ざんによる不正品質のものなど買いたくもないが。
 日本資本主義は、本当に大丈夫か?


お酒の値段と美味しさ … 純米酒大賞2017金賞受賞酒を楽しむ会に参加して

2017-12-15 16:00:57 | 



純米酒大賞制定委員会(会長高瀬斉、事務局フルネット社)が選ぶ純米酒大賞の選出も、今年で9回目となるが、毎回新しい酒が多く選ばれて、日本酒の全国的な水準向上に驚く。今年も、金賞受賞酒36銘柄44点を楽しむ会が、授賞式とともに昨夜八芳園で開かれた。
 各部門ごとに10銘柄前後の金賞酒が選ばれたが、その中の最高金賞に輝いたのは、純米酒部門で出羽桜「出羽の里」(山形)、特別純米酒部門で東一「特別純米酒」(佐賀)、純米吟醸酒部門で霞城壽「出羽燦々」(山形)、純米大吟醸酒部門で望bo「純米大吟醸雄町」(栃木)であったが、全部門の中から一つ選ばれたグランプリには、毛利「無濾過原酒」(山口県)が選ばれた。
 私は不覚にも「毛利」という酒を知らなかった。初めて飲んだが、その美味しさは格別であった。「無濾過原酒の新酒なので、炭酸ガス香や粗さが残ってまして…」と蔵元は言っていたが、柔らかな酸味と言い料理との相性も良く、文句なしの美味しさであった。しかも値段は一升3200円、純米大吟醸の相場は7,8千から1万円であるが、3200円とは、その美味しさを加味して驚きだ。
 毛利は純米酒部門でも金賞を取ったが、これもおいしく、しかも値段は一升2440円であった。そのほか金賞受賞酒で一升2500円以下の酒がたくさんあった。「秀鳳純米つや姫」2300円、「白露垂球無濾過純米ミラクル77」2000円、「旭鳳香醸八反錦」2130円などなど。しかも、純米酒も純米大吟醸酒も、あまり差はない美味しい水準になっている。
 私は晩酌用には一升2500円以下の酒を選ぶ。ちょっとしたパーティ用でも3000円以下のものを選ぶ。それらで比類なくおいしい酒がいっぱいあるからだ。そろそろ精米歩合や大吟醸分類など考え直す時期が近付いているのかもしれない。

  
        
     グランプリを受賞した「毛利」の山縣社長と(上は授賞式)

ミス日本酒
   
       八芳園の料理、お酒によく合いました

    

 

 


孫、遥人 2歳7か月

2017-12-07 14:23:17 | 時局雑感




 80歳にして初孫が生まれた、と投稿したのがほんの何か月か前のような気がするが、その孫が既に2歳7か月に成長した。気が付けば、私も82歳7か月になっておる。自分のことを思えば、時を遅らせ老いを止めたい気持ちであるが、孫を見ると、その成長の早きを願う。人の世の輪廻というか、老いの進行は、ただ消え去るのではなく新しい命の生へ結実していくと思えばいいのだろう。
 わが家へ着くと愛想を振りまくのもつかの間、好きなおもちゃで遊び始める。軌道を組み立て、電車を走らせる。軌道には傾斜をつけたり、周囲に建物らしきものを配置するなり芸は細かくなってきた。生意気にも腹ばいになり傾斜を確かめ、電車も、「デンチ(電池)入ッテルカ?」と点検の上軌道に乗せる。すべて理屈はわかっているようだ。

  
    
                

 ひとしきり遊ぶと、旺盛な食欲を発揮。その食べっぷりがうれしいバーバ(女房)は、たくさん食べさせたく次々と与えるが、肥満を恐れる母親(次男の嫁)は極力抑えようとする。そこに両者の葛藤が常にあるが、まあ、孫本人も含め互いの不満を少しづつ残しながら、適当なところに落ち着く。今回は、「ミテ、ミテ、ハシ(箸)ツカエルヨ」と、その成長ぶりを誇っていた。

 
         

 こうして、今年も暮れようとしている。80年の年齢差を持つ孫との記念写真を掲げることが、今年もできたことをうれしく思う。

 
   


 
         

 


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