tabinokoのとはずかたり

ネットの辺境でひっそりと、自分の好きなこと ―観劇、旅行、アロマetc― について、つぶやきたいと思います。

空蝉だより

2015-07-11 22:02:08 | つぶやき
 「こんなこと書いてどうするんだろう。」
 いつものようにtwitterで日常の出来事をつぶやこうとしていた時、ふと頭をよぎった言葉。

 とたんに私の手は止まった。
 急に書くことが怖くなった。
 一文字も書けなくなった。

 書けなくなった私は、twitterを読むこともできなくなった。
 人のツイートに対しても、
 「こんなこと書いてどうするんだろう。」
と思ってしまわないか不安になったからだ。

 約3週間、私は一度もtwitterを見なかった。
 心配した友達がLineで様子を訊ねてきた。
 私は正直に理由を述べた。
 友達は寂しがってくれたけれど、どうしようもなかった。

 1か月たった頃、twitterを再開しようと決心した。
 まずは、読むことから始めた。
 「どうでもいいのに。」
という感情を抑えるのに必死だった。
 それでも、何とか読めるようになった。
 次は一日一言つぶやくことにした。
 するとまた、
 「こんなこと書いてどうするんだろう。」
というあの思いが沸き起こってきて、一文字も書けない。
 今は一週間に1回書くのがやっとだ。
 読むのも3日に1回程度である。 

 私はすっからかんになってしまった。
 とはずがたりができなくなってしまった。
 大好きな観劇に行っても、感想ひとつ書くことができない。

 今は休養期間だと思えばいいのだろうか。
 無理をせず自然に任せていれば、また書くことができるようになるのだろうか。
 全く見当がつかない。
 blogの更新が滞っていたのは、抜け殻のようになっていたからだ。
 次のとはずがたりはいつになるのだろうか。

 

Toshi×Ajo talklive Vol.4~天河?×黒流~「ねぇねぇタイバンってなぁに?」

2014-11-30 16:49:59 | 観劇
 オバちゃんの認識が甘かった

 てっきり利ちゃんとAjoさんが、タイバンとは何ぞやと語り合うトークライブだと思っていたのだ。

 いつもはくじ運が悪いオバちゃんが、何と「001」番を引き当てたので、意気揚々と最前列のど真ん中に陣取った。
 大嫌いなスタンディングだったけど、目の前のスクリーンが上がれば、至近距離で利ちゃんが見られる!
 そんなことを能天気に考えていた。
 
 いよいよ開始。
 目の前のスクリーンは上がらず、その横の細い扉から、利ちゃんとAjoさんが登場した。 
 全然目の前じゃないじゃん。
 がっかりしながら、じゃあこのスクリーンの後ろに移動してトークライブが始まるのかなと、愚かにもまだそう思い込んでいた。
 2人の話の途中で「今日はたくさんのバンドが出てきますからね。」と言う言葉を聞いたとき、嫌な予感がした。
 2人が再び扉の向こうへすがたを消し、スクリーンが上がって姿を現したのは、バンド。
 「ねぇねぇたタイバンってなぁに?」は、タイバンについてトークするのではなく、実際にタイバンをやるということだったのだ。
 オバちゃんは、ライブハウスへタイバンを聴きに行ったことがないし、歌番組も見ないし、全くの初体験。
 それからは、1組終わるごとに、次の組のセッティングが完了するまで、利Ajoが話して時間をかせぐという方式。
 知らないバンドの曲を聴くのは新鮮だったが、オバちゃんのそもそもの目的は利ちゃんのトークを聞くということだったので、途中で飽きてしまった。
 正直言うと、トークも場つなぎっぽくて面白くなかったし。
 
 4~5組登場したと思う(もう忘れている)。
 最後にAjoさんのバンドが登場したとき、オバちゃんは後方にいたファンのお嬢さんに場所を譲って後ろに下がろうとした。
 ところが、後ろの人の荷物に遮られて、2列目までしか下がれない。
 結果、2列目はギッチギチに並ぶ羽目になってしまい、オバちゃんはわずかな隙間で身動きがとれず、両隣の人の邪魔にならないように身を縮めて直立不動で立っていた。
 Ajoさんの歌が始まった途端、前列の人たちがものすごい勢いでヘドバンを始めた。
 オバちゃんの顔に、髪の毛がムチのようにバッサバサかかる。
 ものすごい勢いで、オバちゃんの化粧をそぎ落とすかのようだ。
 よけようと後ろにのけぞってはみたものの、何しろ1歩も下がれないからほとんど効果がない。
 オバちゃんは、疑問なのだが、ヘドバンというのはロン毛でやらなければならないのだろうか。
 実は、始まる前、「ヘドバンやるために髪の毛40㎝も切ってきたんだから~。」とロン毛のお嬢さんたちが話しているのを聞いて、謎に思っていたのだ。
 最前列全員がロン毛で、首がちぎれんばかりに頭を前後に振っている。
 壮観だった。
 あれは脳震盪を起こさないのだろうか。
 一方オバちゃんは直立不動の姿勢が限界にきていた。
 すると、なんと振付があるらしく、全員が左右に跳びはねだした。
 オバちゃんは、動けても3歩ほど、両隣にぶつかって足は踏まれるわ、誰かの荷物を踏むわで一人阿鼻叫喚状態だった。
 利ちゃんが踊っている姿を凝視しながら、ひたすら苦行に耐えた。
 地獄の時間は去り、お嬢さんは姿を消し、オバちゃんはまた最前列ど真ん中に戻った。
 荷物が置いてあるから、戻らざるをえないのだ。
 最後にゲストのSくんが登場した時、オバちゃん以外の全員がペンライトを降り出したのには、いたたまれない気持ちになった。

 もうタイバンはお腹いっぱい。
 多分2度と経験することはないだろう。
 なかなかできない経験をして、気がすんだ。
 タガメという虫も初めて見たし(足の太いゴキブリみたいで、気が遠くなりかけた)。
 でも、楽しかったかと聞かれれば「うーん、ちょっとね...」というところである。
 利×Ajoトークライブも、今後は慎重に考えてから行くかどうか決めようと固く心に誓った。
 救いだったのは、利ちゃんのタップを目の前で見られたことと、天河さま姿を拝めたことだけだった。
 
 

アル中狂想曲

2014-10-23 13:18:50 | つぶやき
 去年の夏だったか、オバちゃんは毎日ひどい倦怠感と胃痛で困り果てて病院へ行った。
 お腹にエコーを当てられ、血液検査をされ、翌日検査結果をききに行った。
 「はい、tabinokoさん、あんたアルコール性肝障害。すぐ禁酒。」
 オバちゃんは目の前が真っ暗になった。
 三度の飯より大好きな酒が飲めなくなる!!
 こんなひどいことがあっていいのか!!
 「先生、私お酒が何より好きなんです。」
 「でも、肝臓が悪いんだからしょうがないよ。あんた、どれだけ飲んだの?」
 「毎晩缶ビール2本程度です。」
 「あんたの肝臓は人よりお酒を分解するのに向いてないよ。倦怠感も胃痛もみんな肝障害からきてるよ。」
 「そんな~、今まで健康診断で異常なかったのにー!」
 オバちゃんは、往生際悪く先生にあれやこれや言ってみたが、何より数値が事実を物語っていた。
 泣く泣くその日から禁酒生活が始まった。
 毎日、仕事から疲れて帰ると、まずは1本プシューと缶を開けるのが習慣になっていたから、なんだか忘れ物をしているような変な気がした。
 夕飯の後にもう1本開けていたから、食後のデザートが無いような物足りなさを感じた。
 とにもかくにも人生の楽しみを1つ失ったのである。
 それでも、不味い漢方薬を飲みながら、何とか3か月もの長い間禁酒をした。
 治ったらまたおいしい酒が飲める―それだけを心の支えに鉄の意志で乗り切った。
 普段は何でもすぐあきらめるくせに、自分の好きな事に関しては蛇のようにしつこいのである。
 3か月後、また血液検査をした。
 先生の「数値は正常に戻ったね。」という言葉を意気揚々と聞いた。
 「でも、まだ油断できないから、普段は飲まないで、僕みたいに友達と会った時とかに少し飲むだけにしなさい。」と釘を刺されはしたが、とにかく治ったのだ。
 オバちゃんは素直なので、先生の言いつけを守って、晩酌はやめ、観劇遠征と友達に会う時だけ飲むようにした。
  今年の健康診断でもピッチピチの健康体であることが判明し、オバちゃんは限られた中で、遠慮なく飲んだ。
 毎晩飲めない分、たまに飲む酒はよりいっそうおいしく、酒量がどんどん増えていく。
 それがいけなかったのか......。
 今年の夏、また倦怠感と胃痛が続いた。
 嫌な予感がする。
 でも、今は時々しか飲んでないし、健康診断でひっかからなかったし、漢方薬も飲んでいるし......。
 オバちゃんはドキドキしながら病院へ行った。
 また血液検査をされた。
 結果は、「はい、tabinokoさん、アルコール性肝障害。あんたどれだけ飲んだの。」
 正常値を軽く2倍超えた数値が、オバちゃんを打ちのめした。
 「先生~、私禁酒もしたし、たまにしか飲まないようにしてるし、健康診断では大丈夫だったんですー。」
 オバちゃんは、往生際悪く先生にあれやこれや言ってみたが、何より数値が事実を物語っていた。
 また禁酒......。
 この人より弱いとやらの肝臓は、あくまでもオバちゃんから人生の楽しみを奪う気か。
 わかったよ、禁酒するよ、また3か月。
 でも年末には飲むからね。
 今のオバちゃんは肝臓への怒りで禁酒を続けていられるのである。
 神様はむごい。
 どうして酒好きに弱い肝臓をお与えになるのか。
 オバちゃんの死因は肝臓癌か肝硬変かもしれない。
 体が弱いと太鼓判を押されているから、早死にするんだ。
 すっかり意気消沈していたある日、手相占いを見つけて、診断してもらった。
 「生命線も運命線も長いね。あなた90歳近くまで長生きするわよ。」
 そ、そんなに生きるのか!?
 ならば、人生を楽しまなければ割に合わない。
 肝臓癌にも肝硬変にもなっている場合ではない。
 健康な体で酒を味わい生きていくのだ。
 今度こそ、アルコール性肝障害とやらを完治して、おいしい酒を味わいたい。
 ただし、量は控えめに。 
 これが目下一番難しいことではあるけれど。
 

あれやこれやで・・・

2014-08-23 11:17:44 | 観劇
 年度末年度初めの超多忙期を乗り越え、気がついたら真夏になっていた。
 blogも放ったらかしになっていた。
 もともと観劇の忘備録のつもりで感想をあれやこれやと書いていたのに(DVDの発売されるものは別)、いつか書こう書こうと思っているうちに時間だけが過ぎていった。

 4月以降の観劇の感想を1つ1つ書いていたら、夏が終わってしまう。というよりもこの猛暑のおかげでそんな気はみじんもわかない。そこで、本当に簡単に記録だけ残しておくことにした。
 

 
 4月6日(日)ちぬの誓い千秋楽・・・5日も行く予定だったが「体力の限界、気力の衰え」という力士の引退の決まり文句状態で断念。千秋楽だけでもどうしても行きたくてよろよろと出かけて行った。体力の限界のわりには、観劇してすっかり気分がよくなり帰りの新幹線では酒を飲みまくったが。      
 

 4月19日(土)ラブ・ネバー・ダイ・・・「体力の限界、気力の衰え」という力士の引退の決まり文句状態で断念。


 4月20日(日)アダムス・ファミリー・・・友達と行く約束をしていたのにに、「体力の限界、気力の衰え」(以下同文)

 4月26日(金)~30日 ニジンスキー・・・これまでためておいた体力を爆発させて気合い十分で観劇。DVDが発売されるので感想は省略。

 5月3日(土) イン・ザ・ハイツ・・・ニジンスキーが重く深いテーマだったので、自分の心の容量があふれてしまい、、当分観劇したくない気分になり断念。

 5月9日(金) RUITAKAライブ・・・GW後半でエネルギーを充填しレッツ・ゴー!行くまで気づかなかったが大嫌いなスタンディングだった。オバちゃんはきりんかろくろ首のごとく首をのばしてまで間近で見なくてもいいやとあきらめて、一番後ろの通路とホールの境の仕切りの前に陣取った。疲れたらつかまれるポールもあるし。始まる前にふと振り向いたら義くんがいてポールごと倒れるかと思った。オー、ジーザス!ベリーべりーサンキュー♡ 義君は髪を後ろでたばね、黒縁メガネ、白のタンクトップ、白のハーフパンツにサンダルという大変ラフな(はっきりいってそのへんのあんちゃんがコンビニ行く時のようなダサい)恰好だった。・・・いいのだ、美しい人は何を着ても美しいんだから味を占めて夜の部も同じ場所に陣取った。振り返ったら、新ちゃんとマスク姿の泰ちゃんがいた。新ちゃんは社長らしき人と、ステージングについて話をしていた。さすが構成・振付家。と、ここまで書いたが類TAKAの服装を全然覚えていない。まあいい。ライブ自体はとても楽しかった。

 5月10日(土)~11日(日)Bad Cocktails Vol.2 Blue Holiday~湖の畔の最後の晩餐~・・・利ちゃん晧ちゃんお芝居第2弾。セットにソファが置かれているのを見たとき一瞬去年の続きかと思った。が、今年はコメディタッチのお話。結婚を控えたユウスケ(利ちゃん)とトモちゃん(晧ちゃん)は、長年のルームシェア解消記念に信州へ旅行へ行く。
その間に、トモちゃんのフィアンセヒロミ(利ちゃん)とユウスケのフィアンセセイコ(晧ちゃん)は電話でお互いを探る。女同士はコメディなのに、男同士に場面が変わるとなぜか会話も雰囲気もそこはかとなくBLっぽく感じたのは、オバちゃんの目が邪欲に満ちているからか。Dの間で、「利ちゃんの脚がきれい♡」と評判になったが、たしかに太ももはむっちり、ふくらはぎと足首はきゅっとしてて男の好きそうな脚だった。 オチは、ユウスケとトモちゃんはやっぱり親友相手に、つまりお互い相手にそっくりの女性を選んでるじゃんとちょっぴりBLチックなものだった。オバちゃんは、BLバッチ来~いという腐女子女子って・・・)なので、ぜ~んぜんへっちゃらである何なら毎年BLでも駆けつけるよ。
 


 5月16日(金)沢田研二コンサート・・・平日だったので忘れていたorz ああ、ジュリー!!

 5月17日(土)エディット・ピアフ物語・・・美輪明宏様の舞台をぜひ拝見したかったが、「体力の限界、気力の衰え」(以下同文)

 5月18日(日)バーン・ザ・フロア・・・エネルギーあふれるダンスを見たかったが、「体力の限界、気力の衰え」(以下同文)

 5月の16日~18日は、せっかく地元名古屋での公演だというのに、全滅。バスと地下鉄を乗り継いではるばる出かけていくのも面倒な田舎に住んでいるのも原因だが。

 5月24日(土)~25日(日)DD温泉ツアーin越後湯沢・・・昨年の鬼怒川より全体的に小規模になったような気がした。お部屋訪問は嬉しかったけれど。帰りの握手会で、ラストの方の順番になった私の肩をぐいぐい押したスタッフ出てこ~い!おかげで、片手で手紙を渡しながら片手で握手するという、まるで社会人の名刺交換みたいになったわ(怒)「ありがとうございました。」ともろくに言えず、顔もろくに見れなかった。この強引な流れ作業のひどさと人の肩を図々しくぐいぐい押しまくる失礼さは、アンケートにしっかり文句を書いておいた多分ゴ多ミ箱行きだろうけど。

 6月7日(土)ヤン・リーピン 孔雀・・・体調不良のため断念。

 6月10日(火)夜、11日(水)ファンクラブ貸し切り、15日(日)千秋楽 DANCE MAGIC・・・初めてファンクラブ貸し切り公演に行けた。10日の午後休みをとって上京、夜の部を観て、翌日は貸し切り観劇後名古屋へというオバちゃんには強行日程。翌日は疲れて仕事どころではなかった。来年はもっと貸し切り公演へ行ってみたい(けど休みが・・・)。
楽しさが忘れられなくて、千秋楽に行ってしまった。翌日は疲れて仕事どころでは(以下同文)。

 6月20日(金)~22日(日)VELVET CRAZY NIGHT Vol.3・・・オバちゃんにとっては奇跡のような幸せな舞台だったので、自分だけの思いでにしておく。

 7月3日(木)~5日(土) 恋と音楽Ⅱ・・・ご存じ国民的アイドルSMAPの稲垣吾郎ちゃんのミュージカル。Ⅰもそうだったが、極上の小品。観劇後に心がほっこりする。今年は歌える人ばかりで、吾郎ちゃんが浮くんじゃないかと心配していたが、全員の粒がそろっていた感じがした。吾郎ちゃんは、声量がないし、ビブラートもきかせられないし、決して歌唱力はないけれど不思議なことにあの甘いやさしい声が周囲に溶け込んでいて違和感がないし演技もうまい音楽にさりげなくⅠのフレーズが入っていたのが嬉しかった。秋に再演したら絶対にまた行くつもりである。

 7月6日(日)オーシャンズ11・・・今度は慎吾ちゃんのハリウッド大作映画のミュージカル。打って変わって華やかなハリウッドの世界、舞台セットはゴージャス、特別シートがあって正装したお客さんが役者からカジノの手ほどきをうけていてうらやましいこと。私は、慎吾ちゃんは瞬発力の人なので、長期間の舞台向きではないと心配していたが、この日は絶好調だったのか、一番心配していたちょっと舌ったらずの滑舌も、ちゃんと矯正されて大人の男の声に変えて貫禄を出して演じていたので安心した。ただ、オバちゃんはハリウッド大作にほとんど興味がないので、1回観たら気が済んだこの話をミュージカル化する必要があるのかなあとも感じたでも、秋の再演には多分いや絶対行くだろう。
 


 7月12日(土)水夏希コンサート・・・元宝塚トップスター水夏希さんのコンサート。だが邪欲に満ちたオバちゃんの目的はゲストの義くん以外の何物でもない。水さんは、さすが男役トップだっただけあって、男装が抜群にかっこよく、女装よりもきれいなラインが出ていた。義くんの担当は3曲。まずは、エリザベートから「闇が広がる」。ちょっとたくましいルドルフだったが水さんの妖しい妖艶なトートと負けじと両性具有の美をもつ義くんとの魅惑の対決が見ものだった。2曲目は、義くんが束ね髪をほどいて、水さんと踊りまくる。3曲目は義くんのソロ『This is the moment』。英語の発音がだいぶ様になってきた。最初に聴いたときは、正直英語がちょっと・・・と思った。Dのボーカリストでは英語の発音は類くんが断然うまい。比べられた方はたまったもんではないだろうけれど、ファンは勝手なのである。ところで、オバちゃんは義くんを見に来て水さんに惚れる」予定だったが「義くんを見に来て小野田龍ちゃん(小野田龍之介さん)に惚れる」にコロッと予定を変更したもうどうしようかと思うくらいの抜群の歌唱力。これから俄然注目するつもりである。
 

 7月12日(土)ブラック・メリー・ポピンズ・・・水さんのコンサートの後すぐ会場へ向かった。DVDが発売されるので省略するが、ついさきほどまで「義くん♡」とへろへろしていたのが吹っ飛んだ大変よくできたミュージカルなので再演があったらぜひ観ていただきたい。ただし、テーマはかなり重いので、ミュージカルは明るく楽しく笑えて泣けてという方にはお勧めできない。

 7月13日(日)天才執事ジーヴス・・・ウエンツ瑛士くん主演の明るく楽しいミュージカル。執事ジーヴスはなんと里見浩太朗黄門様。ウエンツくんはコミカルな役にぴったりで、観ていて清々しい。ジーヴスは登場するだけで、威厳と貫禄十分で空気が変わる。さすがに長年俳優の道を極めてきた人だけある。この2人の空気感がぴったりで、気持ちのいい作品だった。ちょうど千秋楽だったので、何回もカーテンコールが起こっていた。キャストあいさつで、里見さんが、「こういう形の作品に出たのは初めてでしたが、みなさん年寄りを可愛がってくださいました。・・・クセになりそう♪」と仰っていたのが可愛らしかった。カーテンコールは終わらず、しまいにはウエンツくんが、「もう帰りましょうよ。」(笑)と懇願してようやくジ・エンドとなった。

 7月20日(日)キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン・・・これが実話をもとにした物語というから驚きだ。天才詐欺師フランク・アバグネイルJrとフランクを追うFBI捜査官カール・ラハンティの物語ルパン三世対銭形警部みたいだ。松岡充さんがすごく愛らしくて役に合っている。そしてそして、何よりもオバちゃんの目的はキーヨ(今井清隆さん)。直前に大人の事情で役替わりがあったらしいが、キーヨにぴったりの役だった。キーヨには人柄から醸し出される優しさがある。それが、フランクを追ううちに親子のような関係になっていく2人の関係をすごくよく表していた歌って踊る王道ミュージカル。キーヨにはすごく似合う。水を得た魚のように生き生きと役を演じる。そしてあの歌唱力。やっぱりキーヨには大劇場でまだまだ王道ミュージカルで頑張ってほしい。

 以上、4月以降の観劇歴を長々と書いたが、つくずく疲労困憊で観ていない舞台が多くあるなあとがっかりした。チケットはもったいないから譲っているけれど、できれば自分の目で観たい。実はここには書いていないがチケットを買ってすぐ無理だと悟って譲ってしまった作品もある。オバちゃんの体力がないせいもあるけれど1回1回の舞台を渾身の力を振り絞って観るので、舞台からエネルギーをもらうのではなく全部吸い取られてしまうのだ。帰るころには魂が抜けたように疲労困憊になる。帰りの新幹線で気持ちを切り替えて翌日の仕事に備えるのだが、当然生気の抜けた状態で出勤するはめになる。それから5日間の仕事のつらいことといったら・・・いつか舞台からエネルギーを補給してかる~く仕事をこなせるように変身できたらどんなに若返るだろう。
 
 

 

オババはつらいよ

2014-04-19 11:24:13 | つぶやき
 私は体が弱いらしい。
 どれくらい弱いかというと、風邪をひいて高熱が出たので医者に行ったら、
「tabinokoさん、あんた弱すぎるわ。こんな風邪、普通の人なら市販薬を2、3日飲んだら治る程度だよ。それがあんたは高熱が出て、1週間も休むはめになってるんだから、相当だよ。」と先生に言われるくらいだ。
 私がげんなりして、
「先生、これからますます年をとったら何にもできなくなるじゃないですか。」と言うと、
「そうだよ。でもまあ、こればっかりは生まれ持った体質だからねえ。どうしようもないねえ。」と先生はいつもの風邪薬と漢方を出してくれた。
 この漢方も、
「あんたみたいな弱い体質に治療薬はないね。まあ、せいぜい漢方でゆっくり体質改善を図るくらいだね。ただし、漢方は不味いからね。70~80代のじーさんばーさんなら難なく飲めるけど、あんたくらいの年だと挫折するかもね。」
と半信半疑で出されたものを、挫折することなく飲み続けているおなじみの漢方なのだ。
 だから、私はきっと70~80代のじーさんばーさんと同じ味覚なのだろう。
 初めは不味くて吐きそうだったが、今ではすっかり慣れてしまった。
 それどころか、1袋ずつ飲むのが面倒で、2袋いっぺんに口につっこみ2種類の漢方を1度で飲んでいる始末だ。
 不味さが増幅されてえもいわれぬ味だが、変なところで時間をかけたくないみみっちい性格だからできる技だ。
 先日、先生に「精力のつく漢方はありませんか?」と冗談まじりに聞いたら、
「そんなものがあったら、医者がまず飲むよ。」と笑われてしまった。

 とにかくスタミナがない。
 月曜日から金曜日まで5日間通して働くのがつらくて仕方がない。
 毎日のストレス解消と疲労をとるつもりで缶ビールを2本ずつ1年間飲み続けたら、アルコール性肝障害になってしまった。
 例の漢方の先生に「はい、即禁酒。あんたの肝臓はアルコールを分解するようにできてないよ。」と地獄の宣告を下されて、人生の楽しみが一つ減った。
 死ぬ思いで3か月断酒して、何とか血液の数値を正常まで戻し、以来、観劇遠征した時と友達との飲み会以外飲まないようにしている。
 飲みすぎたなと思ったときは、帰ってから、汚い話で恐縮だがもどして胃を空にしてしまう。
 観劇遠征は危険との隣りあわせ。
 基本的には土曜日に東京、大阪等へ行き、マチネ・ソワレを観て、ホテルでは早々に寝てしまい、日曜日のマチネを観て名古屋へ帰る。
 帰ったら食事もそこそこに寝てしまう。
 そうしないと月曜日に動けなくなるからだ。
 そうそう仕事は休めない。

 この寝るという作業も難しい。
 なぜなら、私は強度の不眠症だからだ。
 もう7年目に入ろうしている。
 今や常時の睡眠薬は5種類、頓服薬が2種類だ。
 飲んだところで、効いてくるのは1~2時間後。
 だから、毎日9時を過ぎると布団に入る。
 子供みたいだ。
 10時を過ぎても起きていると両親から虐殺されかねない。
 そもそも不眠症になったのは、超に超がつく多忙な部署に配属されたのが原因だ。
 実は一番行きたくない、取り組みたくない嫌いな分野の仕事で、わけもわからず、それでも困っている苦しんでいる人のためにならなければならないと自分に言い聞かせ、ほぼ不眠不休で働いた。
 1か月後には、夕方になって疲れてくると首や体幹に蕁麻疹が出るようになった。
 2か月後には、夜一睡もできなくなった。
 一睡もしないまま仕事をしていても、交感神経がどんどん高まって目がますますさえてくる。
 3か月後にはしばしばめまいを起こすようになった。
 そして、8月下旬の朝、めまいがひどくて体が起こせなくなった。
 あの日以来、睡眠薬は酒と同じくらい人生の友だ。
 そして、以前のように徹夜も辞さずバリバリ働くことはできなくなった。
 仕事に身をささげた結果、仕事に病気にされ、仕事は敵になった。
 今では、仕事は観劇遠征をするための資金稼ぎとしか思っていない。

 我々の業界では、数年後に定年が65歳に上がる。
 冗談じゃない。
 65歳までボロボロの体に鞭打って働いて、退職したら即あの世じゃ、悔しくて死んでも死にきれない。
 絶対60歳で退職して、ヨロヨロと細く長く生きて観劇三昧の日々を送ってやろうと決意している。
 私はよく冗談で「一番の夢は宝くじで一山当てて、即仕事を辞めて、帝国ホテルに住んで観劇三昧すること。」と言うが、あながちうそとは言い切れないのである。