旅にしあれば

人生の長い旅、お気に入りの歌でも口ずさみながら、
気ままに歩くとしましょうか…

「写真か?」生活21年

2017-01-08 17:18:00 | 老人のつぶやき

改めまして、今年もまた相も変らぬつまらないおしゃべりにお付き合いください。

掃除など一通りの定番メニューをこなし終えた大晦日、すごく久しぶりに
ニコンのフィルムスキャナーを操作して、ポジフィルムのスキャン作業を行いました。
どうにかこうにか、せっかく現行OSのウィンドウズ7でもこのスキャナーを使えるようにしたものの、
そのあと例のごとく放りっぱなしにしていたのが気になっていたのを、ようやく重い腰を
上げる気になったのです。

それから3日間ほど、あーだこーだといじくってみたんですが、結局以前スキャンした以上の
クオリティでは読み込めそうもないとあきらめて、また放置してしまいました。まさに
三日坊主ですわ。元々スキャン作業は猛烈に時間がとられる上に、時々ソフト?がフリーズし、
せっかく時間をかけてスキャニングした画像がパソコンに転送されない事態も発生して、
イラつくことこの上ないんですよ。よく当時はめげずに続けていたものだと我ながら感心します。

それで次に始めたのが、以前取り込み済みの画像(作品)をDPP4で再調整する作業でした。
当時からナナオ(EIZO)のモニターには変化はないはずなのに、パソコン本体が変わるとここまで
画質に差が出るのが不思議です。その時もモニターとマッチングをとっていたはずなのですが。
ただ色味が大きく変わっているわけではなくて、ひとまず再調整するのは「明るさ」と「シャープ」
の二箇所のみで、全般に暗いのでオート・ライティング・オプティマイザで明るさを自動調整
(3段階使い分けて、時にはオフも)し、ピンボケしているような寝ぼけた画像がほとんどなので
シャープを+5~7くらい強調して見かけ上のピントを修正しました。当時はこんなピントはずれな
画像だとは気づかなかったのですが、PCのグラフィック性能が上がり、逆にこんなアラが
目立ってしまったのでしょうか?


撮影の古い順から調整を始めましたが自分の写真ながらデキの悪さにうんざり嫌気がさして、
遅々として作業がはかどりません。その原因は何なのか?

・技術&知識の不足&未熟
・機材(レンズ&三脚等々)の貧弱さ
・被写体を見る目のなさ

などが考えられ、カメラ本体はポジフィルムを使い始めてすぐに EOS-1N というプロライクな
高級機に代えたので問題ないとして、レンズや三脚はお粗末な装備のままでしたので、これが如実に
作品の悪さに現れているようです。被写体に関しても、今だったら絶対写さない、あるいは、
写しても間違いなくボツだろうというものが多々見受けられます。元々スナップ写真的なものから
入っているので、その癖が治らなかったのでしょう(その癖は今でも完全に抜け切ってませんが)。

それでも現在に近づくにつれ徐々にそれら全てが改善され、比例して調整するのも楽しくなり、
少しずつペースは速まってきました。スナップ風になんでも撮りまくったおかげか、今では写せなくなった
ような被写体もあるようです。基本的に撮影は単独行動なのですがいくつかは誰かと共に
(知人が横にいたりして)写したものもあって、そんな人とのふれあいなども含め、様々な「想い」が
写真に詰め込まれている場合も多く、駄作だろうがなんだろうが、やっぱり写しておいて良かったな
というのが正直な感想ですかね。


で、遅かれながら気づいたのですよ、ポジフィルムと三脚を使って、いわゆる「風景写真」的なものを
写し始めて早や丸21年も過ぎていたことに。21年というのが決まりが悪く、ちょうど20年だと
わかっていたら「20周年記念パーティ」でも催したところだったんですがねえ。中途半端ながら
次は「25周年・四半世紀」記念ですかな。記念品贈呈として、持てるお方は遺産相続でもめる前に、
恵まれないわたくしに善意の寄付をどうぞよろしくお願いいたします。

まあ、冗談はともかく、25年は難しくとも、せめて30年になる頃には、何らかの形で作品を
まとめられたらいいと思っています。「展」になるのか「集」なのかはわかりませんが、
これは私だけではなくて、およそ写真的なものを趣味としている人にとっては、多かれ少なかれ
目指しているところではないでしょうかね。実現するかどうかはともかくとして、ひとつくらい
人生の目標があってもいいですよねえ。

ただ、それにつけては、あまりにも作品数が少なすぎることに、このたび過去の写真を振り返る
機会を得てますます痛感した次第です。自分ではもっとたくさん撮っているつもりでいたのに、
いざ選ぼうとするとないんですよね、これが。実はちょっと前に「紅葉の大雪山写真・ベスト30(仮)」
と題した企画をブログ上で行おうとして、作品が全然足らずに頓挫したことがあったんです。
そのときに、自分でなんとなく把握しているより、実際にははるかに写真を写せていないことに
薄々勘付いてはいたのです。今回の微調整で見返してみて、そのことを再認識させられました。

この原因も先の三点と重なり、当時自分ではちゃんととらえたつもりだったのが、今となっては
使い物にならないものが多いのと、私の場合、同じ場所で同じ季節に撮ることを繰り返したので、
どうしても似たような写真のオンパレード、あきらかにレパートリーが不足しています。
もちろん、自分が気に入った場所で撮り続けることにはメリットも多々あり、今後も基本的な
パターンは崩さないとして、でももうちょっと視野、行動範囲を広げなければならないでしょう。

そのためにはもっと積極的に出かけなければ始まりませんが、出かけるには費用がかかり、
ますますひっ迫した生活を強いられることになります。そうかといってバイトの身では、そうそう自分の
思い通りにお出かけできませんしねえ、悪循環だあ~。やっぱ「寄付」をよろしくお願いしなくっちゃあ!
(長々書いて結局言いたかったのがこれかよ、冗談にもならん)


「ところで、君のは人さまにお見せできるような写真か?」


とにもかくにも、「写真か?」生活22年目の始まりです。





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