<大泊海岸 おおどまりかいがん>
神武天皇が紀伊半島にたどり着いてから
ヤマトに入るまでの行程は、それまでとは違い、
様々な苦難が待ち受ける過酷な旅だったようです。
また、ヤマト入りのルートに関しても、
数多くの伝承が残る吉野川沿いだけでなく、
峰を隔てて西側にある熊野川を通った説や、
和歌山から直接紀の川を遡った説など、
多くの可能性が示唆されております。
ただ、どの説からも共通して感じられるのが、
熊野から吉野の険しい山を越える過程が、
いかに重要だったかということです。
仮に、熊野・吉野の山々を経由せず、
紀の川を遡るルートを取っていたとしても、
これらの地域を制したという証を、
伝承として残さなければいけない理由が、
朝廷側にはあったのかもしれません。