たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

東征の道筋

2016-06-26 10:32:00 | 名草戸畔・神武東征

<大泊海岸 おおどまりかいがん>

 

神武天皇が紀伊半島にたどり着いてから

ヤマトに入るまでの行程は、それまでとは違い、

様々な苦難が待ち受ける過酷な旅だったようです。

また、ヤマト入りのルートに関しても、

数多くの伝承が残る吉野川沿いだけでなく、

峰を隔てて西側にある熊野川を通った説や、

和歌山から直接紀の川を遡った説など、

多くの可能性が示唆されております。

 

ただ、どの説からも共通して感じられるのが、

熊野から吉野の険しい山を越える過程が、

いかに重要だったかということです。

仮に、熊野・吉野の山々を経由せず、

紀の川を遡るルートを取っていたとしても、

これらの地域を制したという証を、

伝承として残さなければいけない理由が、

朝廷側にはあったのかもしれません。

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