Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

【八仙過海(八福神海を渡る)】~その5~

2014年03月13日 | 中国
ボイジャー・オブ・ザ・シーズの威容


4月24日(水)曇り
 昨日はあまり深酒をしなかったので爽やかなお目覚めを迎えた。今日は午前中が富兵女史とのデート。午後はいよいよ豪華客船ボイジャーへの乗船。どちらも胸がわく。Dr.山中を除く他のメンバーは団体行動で市内の「預園」見学に出掛ける予定。Dr.山中もジュオジンと同じく酔狂な人間で、言葉も不自由なのに何回か行ったことのあるゴルフ道具屋に独りで行くという。言葉がある程度操れてしかも地元中国人と一緒に行動するジュオジンならともかく、話せない、不案内、それに二日目から右と左を間違えてバイクとぶつかるような人間を団体から外れた単独行動を許すところがこのツアーの大らかさ、太っ腹さを表している。自己責任を認める真の大人のツアーなのだ。他の旅行社では絶対に認めてもらえない。認めたとしても〈何があっても一切責任は負いません〉という一筆を書かされること必定である。このツアーは自分で自分の責任がとれる旅行者にとっては最高のツアーだ。

 余談になるが、いい旅社をもう一つ褒めておくと、昨晩はジュオジンの勝手で晩餐会をキャンセルしたわけで、晩餐会費は当然のごとく召し上げと言うのが道理のはずだ。ところが公平性の高い黒崎会長はそれを戻してくれたのだ。こんな旅行社は他にはまずないだろう。本当に素晴らしい理念の旅行社だ。

 朝食が済むとジュオジンとDr.は皆を見送った後、それぞれの地下鉄駅に向かった。富兵女史とは静安寺駅のホームで待ち合わせた。そこから浦東に向かった。特に目的は無かったし、行きたいところもない。わざわざジュオジンに会うために無理やり出張を組んでくれた富兵女史を食事だけご馳走してさようならでは冷たすぎると思って、富兵女史が案内したいところを見学した後、昼食を一緒に取って別れようと思った。しかし、みんなとの合流時間が思いの外早まってそれもままならなくなった。ジュオジンが上海テレビ塔に登ろうと提案しても何故か断る。結局、二人は上海老街をぶらつき、骨董店を冷やかしたり、街の点心屋を覗いたりした。点心屋では富兵女史が土産物にいいという点心や粽をかった。点心は彼女に上げて、粽だけ持ち帰った。ちなみに真空パックされているとは言え、鳥インフルエンザが話題になっている今、この手の食品は日本国内持ち込み禁止になっている。二人ともそんなこととはいざ知らず、買って帰って、無知とは恐いもので、税関で疑われることもなく通過してしまったのだ。その粽にインフルエンザウイルスが取り付いていたかどうかは分からない。何故なら、ある食べ物持ち寄りパーティーが有ったときに持ち込んだのだが、結果として粽はテーブルに載らなかった。後日ホストの家で食べたのか、はたまた気色悪いと棄てられたのか。その後、日本初の鳥インフルエンザ発生のニュースは出なかったのでとりあえず安心している。

 話は戻る。街をぶらついている内にツアーの集合時間11時が迫ってきた。二時間あまりの短いデートは終わった。ジュオジンはこれからバスに乗って宝山港まで行ってそこから日本を目指す船に乗る。富兵女史は午後、仕事をしてから北京へ戻ると言う。彼女のご主人は大学の歴史科教授で、しばしば来日しているそうなので、ご夫妻との東京での再会を約し、別れた。

 時間に間に合うように待ち合わせ場所に向かっているのに早めに着いたらしいDr.山中が「みんなが待っているから急いで!」とせかしに来た。みんなは狭い預園を見終わって、時間を余し、一部のメンバーは有名な《南翔包子店》の包子(パオズ)まで食べてもまだ時間が余り、早めに集合してしまったようだ。

 バスに乗り込み二、三十分高速道を走るとだだっ広い港が開けた。宝山ふ頭だ。山崎豊子作「大地の子」に登場する新日鐵と中国政府の合作である「宝山製鉄所」のための積み出し港だ。重い鉄鋼を積んだ巨大タンカーさえ船腹をこすらないぐらい水深がある。しかし今そこにあるのはタンカーではなく、視界を遮る鉄の壁であり、見上げれば十数階はあるマンモスビルがそびえ立っていた。これこそが今回乗り込む《ボイジャーオブザシー号》だ。これはもう船というイメージを越えている。島に商業ビルが立っていて町を形成しているという印象だ。事実、この船の収容乗客人数は最大三千人、乗組員は千二百人いる。まさに小さな村の規模をはるかに超越している。乗組員の数はほぼ一定だが、今回の乗客は千ニ百人、一人に一人の乗組員が付く贅沢さだ。船旅初体験者にとってはこの船と待遇はいきなり最高級レベルに遭遇したと言うべきだ。旅慣れた黒崎会長の一行もおしなべて驚きの表情を顔に宿していた。出国及び乗船手続きを済ませ、続々と豪華客船に乗り込んだ。一旦船室に荷物を置いた後、まず最初のイベントである避難訓練に参加することが義務づけられている。

 船内は入り組んでいて数百ある船室の中から自分たちの部屋を探すのがまず一苦労なのだが、地図上で確認した場所を迷路のような船内の中から探し出すのがまた大変なのである。ここでタイタニックのような海難事故にでも遭ったら逃げ道を失って命を落とすことになること間違いなしである。何度も乗務員に尋ねてなんとか部屋にたどり着くことができた。これは絶対に避難訓練を受けておくべきである。早速、集合場所である二階デッキに馳せ参じた。乗客全員がいくつかの場所に分かれて訓練を受けているようだ。二階デッキにも百人以上がひしめき合っていた。訓練が始まったが、講師側も受講者側も今一つ緊張感が無い。どう観てもどちらもこんなに巨大な舟が沈むわけがないと信じ切っている様子だ。だが、波や風で転覆する心配はないが、大きいが故に座礁する可能性は高い。とは言うものの、海の上に浮いていて微動だにしない安定感。つい気を緩めてしまう気持ちも分からないではない。なにせ船が動き出してもほとんど気付かず、船窓から外を覗いても海の上を走っているという感覚が無く、大河の川べりに建つビルの窓から流れている河を眺めているような錯覚に陥るほどだ。形ばかりの避難訓練が終わり、昼食時間となった。朝食と昼食は11階のビュッフェ式レストラン、夕食は3階のイタリアレストラン「カルメン」と決められている。他の階にもレストランはあるようだが、なにせ千人以上の乗客の胃袋を満たすのに一か所では賄い切れないので時間と場所を分割しているようだ。レストランはどちらも広い。夕食のイタリアンは席が決まっているが、ビュッフェレストランは客も多く、なかなか席の確保が難しい。特に山下チームは8名の団体行動なので席取りが難しい。みんながそれぞれ探し回るものだからますますまとまらない。ようやく席が確保できて、先ずはビールを注文。夕食のビール、ワインは黒埼会長が船の旅行会社と交渉してフリードリンクにしてくれていた。昼は自腹だが、昼から飲むビールは最高に美味い。ジュオジンは早速挨拶代りにいつもの従業員を手なずける手口で、消しゴムでできたミニ小籠包や餃子を中国人ウェイトレスに差し出し、御機嫌を取った。効果はてきめん。その場で名前を覚えられ、その後も何くれとなく対応を良くしてくれた。従業員は多国籍で夕食の時のテーブル着きウェイトレスはフィリピン人だった。朝食、昼食はビュッフェ形式で席が決まっていないのでウェイトレスも決まった人間ではないが、夕食は常に同じテーブルで、したがって同じウェイトレスが給仕をしてくれる。自然と馴染みになり、名前も覚える。彼女はジョスリンと言った。勿論、このウェイトレスにも同じ手を使って籠絡した。

昼食が終わって、午後にも予定は詰まっている。先ずは乗船説明会。今回は全体の乗客数1200人強に対して日本人乗客1000人と日本人の比率が高く、説明会も日本人をシアター会場に集め、日本人司会者金沢かおるちゃんが日系ブラジル人前田君と組んで行った。かおるちゃんといっても三十歳を少し超えた妙齢の女性だ。このペアはその後も何かあると司会者として駆り出されていた。
乗船説明会の後にも続いて13階デッキにて乗務員による歓迎レセプション。ヒップホップその他のダンスで盛り上げる。飛び入り参加歓迎とのことで、山下チーム突撃娘の関本チャンはいつの間にかダンスの群れの中に飛び込んで盛り上がっていた。その果敢さにはさすがのマッちゃんも外から眺めているに留まった。

 夕食後にも盛りだくさんのエンターテインメントが催される。中国人双子姉妹によるアクロバットショー。シアター劇場で実演。勿論無料だ。一時間近くの見ごたえのあるショーだった。見終わって十時。ジュオジンはクロちゃんとバーでカクテルを飲み、豪華客船の夜を過ごした。山下チームのメンバーもそれぞれ夜の船内各所で楽しんでいたようだ。

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