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世の中の不思議な事を勝手に追求する中年親父、何処まで行くのか?何の意味があるのか?

「人を裁く」とは? 永山事件の裁判官が初告白

2008-03-21 17:40:12 | Weblog
毎日毎日ニュースを見ると、凶悪事件が多い。時代なのか?それとも教育なのか?環境なのか?、複雑な要因が絡んでいるものもあれば全く短絡的な犯罪も多い。毎日新聞に「永山事件」の裁判官の話しが出ていたので紹介するが、重大事件の判決を言い渡す裁判員制度が、約1年後に始まる。これまで刑事裁判を担ってきた裁判官は、何に迷い、正義のありようをどう決断してきたのか。その言葉を通じて「人を裁く」意味を考えた。
「多数意見には到底同調することができない」。死刑が絡む判断は全員一致が慣例の最高裁決定で、異例の表現が2度繰り返された。
福島県で03年、元暴力団組員(29)が三角関係のもつれで2人を射殺し、30万円を奪った強盗殺人事件。第1小法廷は2月、2審で無期懲役だった被告の死刑を求める検察側上告を3対2で退けた。「死刑が相当」と強硬に反対したのは、甲斐中辰夫(検察官出身)と才口千晴(弁護士出身)の両裁判官だ。被告は事件時25歳。甲斐中裁判官は「若い被告の場合、有利な事情を可能な限り酌むことを心がけてきた」が、死刑回避の事情が見当たらないと言う。才口裁判官は「永山判決をよすがにした死刑の量刑基準を、裁判員制度を目前に明確にする必要がある」と付け加えた。
「永山判決」に、名をとどめる永山則夫元死刑囚(97年執行)は、極貧家庭で生まれた。両親から育児を放棄され、無学の末68年、19歳の時に神奈川県横須賀市の米軍基地からピストルを盗み、1カ月の間に東京、京都、函館、名古屋で警備員やタクシー運転手ら4人を無差別に射殺した。だが、拘置所で独学して著した手記「無知の涙」は高く評価され、別の作品で文学賞も受賞する。事件の重大さと公判中の変貌(へんぼう)。命を奪うのが正義か生かすのが正義か。死刑制度の存廃さえ議論になった。2審の無期懲役を破棄した83年の第1次上告審判決で死刑の適用基準が示され、「永山基準」として知られる。東京地裁で被告と向き合った元判事2人が初めて口を開いた。初公判から論告まで裁判長を務めた堀江一夫弁護士(89)は「起訴状通りなら死刑はやむを得ない。言い分をよく聞こう」と心がけた。証拠提出された手記の草稿を読んで「よくあれだけのものを書けるな」と感銘を受けた1人だ。ただ、貧しさと無知に事件の原因を求める内容に違和感も覚えた。「彼は内省するんじゃなく社会に責任を向けた。その分だけ世間の同情は薄くなったのでは」と話す。
一方、途中から審理に加わり、79年7月の死刑判決を言い渡した豊吉(とよし)彬弁護士(78)は「死刑と無期では差があり過ぎる。もし制度があれば、終身刑を選択した」と断言する。結果的に死刑を選んだが、死を望んでいたわけではなかった。3人の裁判官による合議では「こんな貧困があっていいのか。行政が何とかできなかったのか」と話し合ったという。高裁で無期に覆された時は「よかったと思った」と明かす。死刑判決は、被告の更生可能性を完全に否定する。立ち直りは期待できないから、生命を奪うことで償わせるしかない、という理屈だ。では、永山元死刑囚のケースは、どう評価すべきなのか。豊吉さんは元死刑囚を「永山さん」と呼んで振り返る。「拘置所は本でいっぱいで、永山さんは外国語の原書も読んでいた。人間って努力するとすごいと思った」。畏敬(いけい)の念すら抱いているように見えた。

こんな記事を読むと、犯した罪を償うという事と死刑が違う意味では?と思うが、被害者及び遺族の感情を考えると、極刑も致し方ないと思う。人間はそもそも揺れ動きながら生きているので、期限を切って判断を求められると相当悩むし、揺れ動くのであろう。「罪を憎んで人は憎まず」なんて事は許されない位い重大犯罪が多い世の中、どうしたものか。

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