こよりさんのトラウマ処理を電話でお手伝いした愛甲さんは、「治りがよかった」と言っていました。すでに言葉によるセルフケアは済んでいた感じ。だから言葉以前のアプローチを五分くらいしただけですっと取れました、と。
「こよりさんは栗本さんのコンディショニングで糖尿治ってしまうくらい身体が素直な方ですからね」と私は言いました。
これからも何度かよみがえるかも知れませんが、そのたびに愛甲さんの教えてくれた方法で取ればいいかららくちんですね。そしてこれが私たちの理想なのです。生涯にわたる支援ではなく支援者が必要なのは入り口と急性期だけ、という。そしてリソースは、本当に生涯にわたるケアが必要な人に手渡す。それが「発達障害、治るが勝ち!」のテーマでもあります。
そしてそれが可能なのは「言葉以前のアプローチ」にたどりついたからです。
ここから先は私の暴論です。
こよりさんはその生い立ちの中で、虐げられなれていた。少なくとも浅見基準では。
そしてそれを淡々とこなすことによって生きてきた。
それはそれで強みなのですが、ギョーカイに虐げられたとき、気づかなかったのですね。
一方で基底の充実があった私は、すぐに気づいたのです。そしてすぐに怒りの声を上げた。
それが様々な本に結実しました。
「ぼく、アスペルガーかもしれない。」
「発達障害は治りますか?」
「自閉っ子と未来への希望」
「脳みそラクラクセラピー」
「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」
「30歳からの社会人デビュー」
「治ってますか? 発達障害」
「自閉っ子の心身をラクにしよう!」
「芋づる式に治そう」
「人間脳を育てる」
「愛着障害は治りますか?」
「人間脳の根っこを育てる」
ギョーカイは治さない。その理由は利権だけではありません。ギョーカイ人は恐怖麻痺反射の塊。自らの空洞を埋めるため、ずっと治らない障害者を必要とする。陰謀論? とんでもない。陰謀なんて張る胆力も能力もない人たちが支援側にいる。そしてその人たちが「自閉の子は天使」「ありのままでいいのです」に涙してあがめてきたのですね。
それは違う、とこよりさんは佐々木先生に直接意見していらしたそうです。佐々木先生は黙ってきいていた。そして数多くの講演をこなす中で、バリエーションの必要も感じたのでしょう。こよりさんを使ったのですね。そのお話を聞いて奥様は「佐々木家の子育ては失敗だった」とおっしゃった。こよりさんは初めてそれを沖縄で話してくれました。
そして沖縄でもてなされお仕事の対価をきちんともらう中で、自分がいかに今までギョーカイに無礼なことをされてきたかやっと気づいた。そしてトラウマが来た。
ここでたぶん二次障害回避原理主義者のギョーカイ人だったら、活動させないことを選ぶと思うのです。
でも私はこよりさんをお連れした。それが沖縄の人のためだから。そしてこよりさんは気づいてしまった。「でもお連れした方がよかったですよね」と私は愛甲さんにききました。「それに気づいてしまったんだし。それが運命。だったらこれまでの運命同様、こよりさんには淡々と受け入れてもらうしかありません」
「気づけてよかったですね」と愛甲さんは言いました。
過去のこよりさんが淡々とギョーカイの無礼さを受け入れてしまったのは、生い立ちに原因があると私は思います。私は大事にされることを知っていたから、ギョーカイの無礼さに気づくのが速かった。まあノーギャラはありませんでした。そういう方面で無礼な扱いは受けませんでしたが、裁判を起こす前に「健常者に人権なし」をさんざんやられましたからね。
私は特にフェミニストではありません。むしろフェミニスト的運動にはどっちかというと引いている方です。でも私は生涯において男尊女卑的な文化の中で暮らしたことはこの年の日本女性にしては少ない方だと思います。まあ若いころは今よりずっと、男尊女卑でしたがそれでも日本社会ではマシな方だったと思います。私の周辺にショービニストはいない。だから森嶋氏がショービニストだとすぐに気づきました。同じように気づいた人はいました。でも彼のそばの女性たちは気づかないのでしょう。ずっと虐げられてきた人は気づかないものです。
そして発達障害者の人、その家族は、知らず知らずのうちに虐げられなれしている人が多くて、支援者はそこに付け込んでいると思います。佐々木先生もそうだったかもしれない。あれほど皆さんが涙する佐々木先生の本に私がただの一度も心を動かされなかったのはだからだったのかもしれません。
でもこよりさんは気づいた。それが今度の旅の大きな意味だったと思います。
そしてこよりさんはこれから
周りに大事にされる人へと発達したのだと思います。
トラウマにさいなまれているこよりさんを見て、だんなさまは好物を買いに行ってくれた。通院で忙しい中、お子さんたちが夕飯を作って待っていてくれる。沖縄から戻った夜も、キャベツ入りのパスタだそうです。そう、キャベツ。内側の柔らかい葉っぱのパスタですね。
そう考えると私が沖縄で取った謎の行動にも説明がつきます。
こよりさんから一日遅れで戻る当日の朝、私はホテルで荷物を整理していて、前日アウトレットで買った二足の靴を見ていました。両方ともクロックスのアウトレット。ひとつはピンクの鼻緒つきのサンダル。もう一つはシルバーゴールドのスリッポンです。
両方とも三秒くらいしか迷わずに買いました。そしてその朝よく眺めていて、なんだかこのゴールドのスリッポンはこよりさんにも似合うなあと思ったのです。クロックスだからはきやすいし、リウマチがあってもおしゃれな靴。
っていうかこれ、私きっとこよりさんのために買ったんだ、とまで思いました。
だからこよりさんにもらってもらえますか? とメッセージをしてみました。
こよりさんも前日私が買うのを見ていたからどんなものかわかっているのです。
喜んで、というお返事がきたので、送りました。
おしゃれだし、歩きやすいし、そして見分けがつきやすいし(病院の靴箱とはは黒い靴ばかりでわかりにくいそうです)言うことなし、と喜んでくださいました。
沖縄に二人で出かけたいい記念になると思いました。
先日のブログを見て、岩手の方たちも動いてくださっています。
愛知県自閉症協会は、どうせ死んだふりでしょうけど(ブ)。
「こよりさんは栗本さんのコンディショニングで糖尿治ってしまうくらい身体が素直な方ですからね」と私は言いました。
これからも何度かよみがえるかも知れませんが、そのたびに愛甲さんの教えてくれた方法で取ればいいかららくちんですね。そしてこれが私たちの理想なのです。生涯にわたる支援ではなく支援者が必要なのは入り口と急性期だけ、という。そしてリソースは、本当に生涯にわたるケアが必要な人に手渡す。それが「発達障害、治るが勝ち!」のテーマでもあります。
そしてそれが可能なのは「言葉以前のアプローチ」にたどりついたからです。
ここから先は私の暴論です。
こよりさんはその生い立ちの中で、虐げられなれていた。少なくとも浅見基準では。
そしてそれを淡々とこなすことによって生きてきた。
それはそれで強みなのですが、ギョーカイに虐げられたとき、気づかなかったのですね。
一方で基底の充実があった私は、すぐに気づいたのです。そしてすぐに怒りの声を上げた。
それが様々な本に結実しました。
「ぼく、アスペルガーかもしれない。」
「発達障害は治りますか?」
「自閉っ子と未来への希望」
「脳みそラクラクセラピー」
「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」
「30歳からの社会人デビュー」
「治ってますか? 発達障害」
「自閉っ子の心身をラクにしよう!」
「芋づる式に治そう」
「人間脳を育てる」
「愛着障害は治りますか?」
「人間脳の根っこを育てる」
ギョーカイは治さない。その理由は利権だけではありません。ギョーカイ人は恐怖麻痺反射の塊。自らの空洞を埋めるため、ずっと治らない障害者を必要とする。陰謀論? とんでもない。陰謀なんて張る胆力も能力もない人たちが支援側にいる。そしてその人たちが「自閉の子は天使」「ありのままでいいのです」に涙してあがめてきたのですね。
それは違う、とこよりさんは佐々木先生に直接意見していらしたそうです。佐々木先生は黙ってきいていた。そして数多くの講演をこなす中で、バリエーションの必要も感じたのでしょう。こよりさんを使ったのですね。そのお話を聞いて奥様は「佐々木家の子育ては失敗だった」とおっしゃった。こよりさんは初めてそれを沖縄で話してくれました。
そして沖縄でもてなされお仕事の対価をきちんともらう中で、自分がいかに今までギョーカイに無礼なことをされてきたかやっと気づいた。そしてトラウマが来た。
ここでたぶん二次障害回避原理主義者のギョーカイ人だったら、活動させないことを選ぶと思うのです。
でも私はこよりさんをお連れした。それが沖縄の人のためだから。そしてこよりさんは気づいてしまった。「でもお連れした方がよかったですよね」と私は愛甲さんにききました。「それに気づいてしまったんだし。それが運命。だったらこれまでの運命同様、こよりさんには淡々と受け入れてもらうしかありません」
「気づけてよかったですね」と愛甲さんは言いました。
過去のこよりさんが淡々とギョーカイの無礼さを受け入れてしまったのは、生い立ちに原因があると私は思います。私は大事にされることを知っていたから、ギョーカイの無礼さに気づくのが速かった。まあノーギャラはありませんでした。そういう方面で無礼な扱いは受けませんでしたが、裁判を起こす前に「健常者に人権なし」をさんざんやられましたからね。
私は特にフェミニストではありません。むしろフェミニスト的運動にはどっちかというと引いている方です。でも私は生涯において男尊女卑的な文化の中で暮らしたことはこの年の日本女性にしては少ない方だと思います。まあ若いころは今よりずっと、男尊女卑でしたがそれでも日本社会ではマシな方だったと思います。私の周辺にショービニストはいない。だから森嶋氏がショービニストだとすぐに気づきました。同じように気づいた人はいました。でも彼のそばの女性たちは気づかないのでしょう。ずっと虐げられてきた人は気づかないものです。
そして発達障害者の人、その家族は、知らず知らずのうちに虐げられなれしている人が多くて、支援者はそこに付け込んでいると思います。佐々木先生もそうだったかもしれない。あれほど皆さんが涙する佐々木先生の本に私がただの一度も心を動かされなかったのはだからだったのかもしれません。
でもこよりさんは気づいた。それが今度の旅の大きな意味だったと思います。
そしてこよりさんはこれから
周りに大事にされる人へと発達したのだと思います。
トラウマにさいなまれているこよりさんを見て、だんなさまは好物を買いに行ってくれた。通院で忙しい中、お子さんたちが夕飯を作って待っていてくれる。沖縄から戻った夜も、キャベツ入りのパスタだそうです。そう、キャベツ。内側の柔らかい葉っぱのパスタですね。
そう考えると私が沖縄で取った謎の行動にも説明がつきます。
こよりさんから一日遅れで戻る当日の朝、私はホテルで荷物を整理していて、前日アウトレットで買った二足の靴を見ていました。両方ともクロックスのアウトレット。ひとつはピンクの鼻緒つきのサンダル。もう一つはシルバーゴールドのスリッポンです。
両方とも三秒くらいしか迷わずに買いました。そしてその朝よく眺めていて、なんだかこのゴールドのスリッポンはこよりさんにも似合うなあと思ったのです。クロックスだからはきやすいし、リウマチがあってもおしゃれな靴。
っていうかこれ、私きっとこよりさんのために買ったんだ、とまで思いました。
だからこよりさんにもらってもらえますか? とメッセージをしてみました。
こよりさんも前日私が買うのを見ていたからどんなものかわかっているのです。
喜んで、というお返事がきたので、送りました。
おしゃれだし、歩きやすいし、そして見分けがつきやすいし(病院の靴箱とはは黒い靴ばかりでわかりにくいそうです)言うことなし、と喜んでくださいました。
沖縄に二人で出かけたいい記念になると思いました。
先日のブログを見て、岩手の方たちも動いてくださっています。
愛知県自閉症協会は、どうせ死んだふりでしょうけど(ブ)。
トラウマの解決方法も身に着けましたし、迷惑電話のうちの一本が「岩手県 盛岡市」から 発信されていることも 自分で突き止めました。
今後 同じような状況に陥っても、解決への道を 見つけていけるし、まだ私も変われるのだという自信もつきました。
人との関わりの中で、傷つく事もありますが、それを怖がって自分の可能性を狭めていくことを選びたくないと思います。
私を支えて下さるたくさんの方々に感謝です。ありがとうございます。
傷つけないように、ありのままにしておくのであれば原石は原石のまま、傷ついてこそ、その先に輝きは現れてきます。
また、どの原石もダイヤモンドになるわけではありません。磨いて、傷つけてみなければその原石の輝き方はわかりません。
人は関わり合う生き物ですから、お互いに傷つけ合い、磨き合うご縁を大事にしたいものですね。