治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「通じる」嬉しさ

2014-09-27 13:46:03 | 日記
自閉っ子に通じなかったことが通じる嬉しさって、経験がある方多いと思うんですけど
老舗系の支援団体に花風社が言いたいことが通じるのも嬉しいものですよ。

たとえば先日桃太郎ぶどうをくださった岡山の「育てる会」さんでは7月25日発売の会報で、「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」を取り上げてくださっているのですが、そこの引用箇所が嬉しいですね。こちらも書評の引用をさせていただきます。その中にまた、本からの引用があるというマトリューシュカ仕様の記事です、これ。

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【育てる会】さん

また、自閉圏の人と非自閉圏の人がうまく社会を構成していくためには、お互い相手を警戒しすぎない、異端視しないということが大切ですね。

(以下「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」より引用)

浅見 私はニキさんたちの本を出して、「自閉っ子、不思議なことを言ったりやったりするけど、ワケは浅いので、あまり悪意にとらないでほしいな」と世の中に訴えているわけなので、逆に自閉っ子の皆さんにも、世の中を悪意に取らない努力をしてもらいたい、って思っているわけなんですね。人の注意を悪意に取らない、というのは社会人をやる上で必要なスキルでもありますし。

ニキ 家でも学校でも「社会は怖い」とさんざん聞かされたけど、実際社会に出てわかりました。直近のクラスタに適応できればなんとかなるんですね。

浅見 そうそう。だから、相当偏りのある人でも実はなんとかなるのよね、世の中って。どこかいやすい居場所を見つければ。そこに特化して生き方探っていけばいいんですよね。周囲の人たちと場の共有ができるように。相性のいい場所では、あんまりつらくないんですよね、それ。

(引用終わり)

【育てる会】さん

ここでわかりやすく生きてくるのが、ちょうど本書の真ん中あたりにある、見開き2ページの小暮画伯の大きなイラストです。言葉で説明するのは大変すぎるので、ぜひ本書を手にして見てほしいのですが、大宴会場で宴たけなわ、お開き間近という頃のイラストです。「社会適応」を難しく、”こういうもんだ”と画一的にきめつけないでほしい、という意図から書かれています。

(再び引用的に)

浅見 社会とは饗宴なんです。みんな好きなことをしている。一人で手酌で飲んでいる人がいます。酔いつぶれて寝ている人がいます。剣玉している人がいます。ラーメン食べている人がいます。お酌している人がいます。みんなこの場を共有sじているんです。コミュニケーションって結局「場の共有」なんだから、自分にできるやり方で人と場を共有できればいいわけです。ところが療育の世界で語られる「社会適応」って、しばしば社会の人々が一糸乱れぬ更新をしているところに参加していくような印象だったり。そりゃ無理だよ、と思います。

ニキ 社会を見ると、別に一糸乱れぬ行進はしていないしね。


【育てる会】さん

要は、今の日本、自分の居場所さえあれば、自閉症のままでも幸せに暮らせる社会だと言えるのでしょう。

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そうそうそう、そうなのよ!
それがいつも言いたいのよ、私は、と思いました。
その存在を万人にいやな顔されないのが「社会に適応する」じゃないんです。
それだったら私だって適応してないじゃないですか。猿烏賊に嫌われているんだから。
それでも私が幸せに暮らしていけるのは、この世には非猿烏賊の人も多いからです。
その人たちと仲良くしていけばいいんです。その人たちと建設的な社会構築に参加すればいいんです。
社会適応が、一糸乱れぬ行進についていくことじゃなく
自分の好きなやり方で饗宴に参加することだと思っているからこそ、私は社会適応しようよ、と言ってしまうのですよ。
そしてそれを差別だと受け取る人は、たぶん正解幻想に裏打ちされた強迫観念があるのでしょうね。
正解幻想をもって、いつもそこから外れまいというのを人生の目的にしてしまうと、人間卑屈になりますよね。

資質の開花、はその真逆なんです。
「長所を活かし、欠点をも利用して、ありもので勝負する」ことなんです。
それは「治る」の全部ではありませんけど、大事な一部です。

それを知りたい方は「10年目の自閉っ子」読んでね。

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