治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

大手をふって治していい時代

2016-11-26 09:53:55 | 日記
「愛着障害は治りますか?」を送ったあとの愛甲さんからいただいたメール、その一部を貼ります。

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「愛着障害は治りますか」が世に出て思うことは、不思議な力で産み出された本なのだなぁということです。
力むことなく生まれたので(浅見さんは大変だったかもしれませんが)、自分でも驚くほどの安産でした。
私の中のこれまで言葉にならなかった思いが浅見さんのおかげで万人に伝わる言葉になりました。
ありがとうございました。
多くの方々が「明日への希望」を持って修行に励んでいかれるものと期待しています。

「愛着障害は治りますか」を読んで実践していただくことで、難治性の愛着障害も必ずや改善していくことでしょう。
自分らしく主体的に生きることが許される時代になった今、誰もが気兼ねなく自らの愛着障害を治していけるようになりました。
ひとりでも多くの方に自分らしい豊かな人生を歩んでいただきたいと心から願っています。

愛甲修子

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ブログをお読みいただいている方たちにはおわかりいただけるように、この本は私が着想したものです。最初に思いついたのはタイトルでした。

なぜ愛着障害の本を出そうと思ったかというと、ある読者の言葉を借りれば、愛着障害が普遍的なものだったからでした。

普遍的とはどういうことかというと、もっと細かく言えば、あからさまな虐待・被虐待がないところにも愛着障害はあるということでした。

ではそれがどういう形をとっているかというと

・自分の考えをはっきり持とうとしない。
・他人にどう思われているかを気にする。
・他人の指図に心ならずもしたがって病んでいく。
・自分が好きなものをはっきり好きと言えない。
・(何か軋轢をおそれて)自分の中にある信念を実現しようとしない。

という形をとっているように思えました。

最近また、読者からこういうメールをいただきました。

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先日のブログ、"「治りますように」と神仏に祈っていい"の記事に朝から泣きまし
た。
いつの間にか「この状況をそのまま受け入れなければいけない」と思いこんでしまっ
ていたようです。

次男の登校しぶりが本格化し、もしかして背景には発達障害があるのではないかと思
いはじめた時に出会ったのが、職場にあった赤本でした。
そこから黄本、芋本、猫本…と次々に読ませていただきましたが、いつもそこに「治
る」というメッセージがあったからこそ、
ここまで次男と向き合うことができたし、あきらめずに試行錯誤することができてい
るのだと思います。

次男は未診断ですが、発達障害であろうと思っています。新刊によって、愛着障害も
ありそうです。
それがわかるまでに1年以上かかりましたが、もし、私が赤本に出会わず、ネットや
書籍でよくある「登校しぶりはゆっくり休ませて様子をみましょう」に従っていた
ら、
次男は「学校に行く」という当たり前のことが定着しないまま完全な不登校生活に
入っていたかもなあ…と思っています。

今は保健室登校で、私の付き添いが必要な状況が続いています。
仕事を続けながら付き添うのは大変で、これまで何度も気持ちが折れそうになりまし
たが、その度に浅見さんのブログや花風社の本に勇気をもらってきました。
今の修行は大変でも、「治る」と信じられるから、親も頑張れるし、子どもを頑張ら
せることができます。

これからも花風社の本を楽しみにしています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
=====

支援者から「一生治りません。ありのままを」と言われたとき、それを心ならずものみこもうとしてしまう。
そういう素直さは私の中にはありません。
それは私が反抗的だからだけではなく
私がきちんと愛情を受けて育ったがゆえに、他人軸に支配されないからだ。
いわば「自分らしさ」が発達しているからだ。
そう気づきました。
それに気づいたとき、愛着障害の本を作ろうと思いました。
だからこの本を着想したのは私ですが
本の中では今までの本よりずっと「教えてもらう立場」がはっきりとしていることに読まれた方は気づいたと思います。
愛甲さんにとっては愛着障害は支援の対象であり一人称の問題でした。
私にとっては二人称、三人称の問題だったからです。

でも「自分らしさ」を発揮するのはつらいことでもあります。
だからそれを発揮しないことを「戦略的に選ぶ」人が多い。その人たちから見て、私はバカに見えるんでしょう。さんざんそれを言われてきました。
この人たちとどう折り合うかがこれからの私の修行でしょう。
それは「おおよしよし」方面にはなりませんが。なぜならそれは相手にも自分にもためにならないことをまた、私は教わったからです。

この歳になって、自分の選択は間違っていなかったとはっきり言えます。
私は他人がどう思おうと自分のやりたいようにやってきて本当によかったです。

そして新刊で愛甲さんが明らかにしてくださったのは
これからは主体性を発揮しないと生き抜いていけないということです。

いわば、
大手をふって治していい時代がきたのです。
そのことを皆さん
強く自覚してくださいね。
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2 コメント

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Unknown (nonmama)
2016-11-27 22:51:28
新刊、読ませていただきました。
愛着障害というのは私にもあって息子にもあって主人にもあって、誰にでもあるということにとても驚きました。誰でもいつからでも治せるということを知りとても嬉しく希望を感じました。治りたいし、治ることを諦めなくていいんだと思いました。

今更なのですが、消化試合という言葉の意味がいまいちわかっていなかったのでググってみました。「残りの試合が意味の無いものとなる」と書いてありました。なんだそりゃーと思いました(笑)そんな生き方をしないさせないためにも主体性は必要ですね。

これからも花風社さんのご本を楽しみにしております。
今回もありがとうございました (浅見淳子)
2016-12-03 05:14:49
nonmamaさん、ようこそ。
今回もお買い上げいただき、お読みいただき、ありがとうございました。
そうなのですよね。愛着障害は虐待・被虐待に限らないのです。どこにでもあり、そして誰のせいでもない。このことから目を背け、愛着障害を変に被害的にとらえることで、解決が遠ざかっていたことがたくさんあります。だから皆さんに愛甲さんの知見を借りてより生きやすくなっていただきたいです。

またお越しくださいませ。

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