治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「治った」と言える人が増えるといい

2017-05-20 07:27:00 | 日記
皆さん、お誕生日のメッセージを様々なチャネルでいただきありがとうございました。
昨日は昼も夜も祝杯あげました。今日はあまりおなかのすかない一日になりそうです。

さて、二度目のアンケートのお答えを続々と様々なチャネルでありがとうございます。
大変に興味深いですよ。
そのまとめはまた改めてやりますね。
今日は5月2日にブログに書いた新婚の方から新しいメールが来て、先日から考えてきたことを書いておこうと思い出しました。



新しくいただいたメールにはこう書いてありました。

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今回「治った」や「私は幸せ」と言葉にしてから、それ以前よりずっと穏やかな気持ちで過ごせていて自分でも不思議です。

言葉にしたことで自分を縛っていた何かがスッと解けた気がします。
「何か」とは、この状態で治ったと言い切るのは間違いじゃないだろうか?という不安で誰かに答えを求めたいような気持ちでしょうか。

治ったと宣言したことが、愛着障害が治る最終仕上げだったような気がします。

悩むことや苦労することはこれからもあるけれど、そんな自分を俯瞰で見ることができて、ラクになる自分なりのいろんな対策を持っている。この状態が「治った」だと自分なりに理解しています。

でも、他の病気では一般的にそう理解されてるのではないかな。
と思うと発達障害や愛着障害のことになると治ったと言ってはいけない雰囲気があるというのはおかしな話です。

発達障害も愛着障害も怖がらず「治った」と言える人がどんどん増えてほしいです。

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これを読んで、「そうか『治った』と自分で思える、言えることも癒しのプロセスなのだ」と腑に落ちました。
だとしたら治ると偽者扱い、のギョーカイは治せないどころか治っている人にまで水を差す本当に役立たずで有害な存在ですね。

藤家さんはたしかにまだまだハイパーりちぎだし、つかまり立ちも下手だし、そういう意味では特性を残しているかもしれません。主治医を心から信頼しているから、これからも定期的に通うことはやめないでしょう。
でも治ったと自分で言っている。
ところがそこに水を差す人がいるのですね。

南雲さんは生まれつきよりずっと読めるようになった。でもまだ書店での立ち読みがきついときいて「そうか、なるほどあれも読字だな」と逆に気づかされました。
よく私のところに「長いメールですみません」と長いメールを送ってこられる方がいますが、私にとって読めない長さってなかなかないんですね。読むの早いので。
これはそれぞれが偏りをもって生まれてきたということで、南雲さんは修行しても読字が私レベルにはならないかもしれません。
でも「治った」という南雲さんを嘘つき扱いするのはやはり水を差すことです。

科学的な態度が大切? だったら、本人にとっては科学が主観を凌駕することを知るように。
その辺が謙虚じゃなくて結果性格悪い支援者が多いですね。
医師の集まりが東田さんに三下り半をつきつけられたのはその典型です。あれを無礼と思っていなかった医師の集まりは大いなる社会性の障害があるのではないでしょうかね。じゃあ社会性の障害治せるわけないよね。

時々ジムの更衣室で、明らかに摂食障害のやせ方をしている人たちを見かけることがあります。
普通にやせているのとは違うでしょ。

肉が一片もないから、もうろくすっぽ運動はできないんですけど、骨を必死にマッサージしたりしている。きっとまだ自分には肉が残っていると思っているんだろうなと思います。

「完全な健常者にならないと治ったとは言えない」という強迫観念を、その姿を見て思い出しますね。ちゅん平や南雲さんは、まだ肉がついていても「治った!」と喜んでいる。すなわち精神が健康なんですよ。南雲さんの青春なんて、強迫観念とともにあったようなもんだから、立ち読み難しくても「治った」と思えるということは本当に治ったんです。

でもまあ、猿烏賊方面が「治る=完全な健常者だから治らない!」と息巻いているときはそういうことではないんです。強迫観念、までいかない。たんなる「負け惜しみ」です。

自分たちが手を出す勇気のないやり方を採り入れて治っているという人たちがいる。それを見て負け惜しみを言ってるだけなんです。

だいたいこの世界、違和感がある言葉を聴いたら「負け惜しみ」か「ポジショントーク」を疑った方がいいです。

私が「人間脳の根っこを育てる」の最後に書いた「改善するけど治りません」は典型的な支援者のポジショントークです。それを真に受けてきてしまったんですな、私たちは。それはまたまとめましょう。それにもちろん「発達障害、治るが勝ち!」では徹底的にこの辺斬りますからね。

お楽しみに。

ギョーカイは読まないふりしなきゃいけないから、きっと文句も言えないでしょう。
彼らの死んだふりを私は活用するのです。

☆☆☆☆


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2 コメント

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専門職、支援職は (373)
2017-05-21 08:23:33
「治していきましょう」「治りましたね」と言える人を増やさないといけませんね。
Unknown (けい)
2017-05-26 20:09:27
浅見さん、こんばんは。

私はここ2、3年ずっと無職だったのですが、最近やっとアルバイトを始めることが出来ました。
仕事という面ではまだまだ出来ないことも多いですが、アルバイトが出来る状態になったこと自体が、私にとっては「愛着障害が治った」であり、自信です。

治ったと自覚すると、「実は愛着障害を抱えている人はとても多い」ということに次第に気が付くようになるのですが、そういう人たちとどう接し、距離を取っていくのかも、これからの課題だなぁと感じています。

治ると生きやすくなるので、治った人を見て『羨ましい』と駄々を捏ねる、その人こそ愛着障害を治せたら良いなぁって感じます。