治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
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借りてきた虎の旅(岡山講演ご報告) その3

2017-06-20 10:59:27 | 日記
さて、豪華お弁当のあとはニキさんの講演から。

とは言ってもニキさんは、あまり自分の講演内容が漏れるのを好まないので、私がニキさんの講演を聴きながら何を思ったかを書いておきますね。

基本的には老後準備の話だったんですけど、私の関心事は「大脳皮質とその下の関係」に集まっていました。

実は今回主催の「岡山自閉症児を育てる会」さんでは数年前に一度三人で呼んでいただいています。そのときの主催者の方から見た私の印象を「頭のいい方」と書いてくださっていたのを読んだんですね。そして実はこれ、私にとっては意外な感想なんです。私は自分で頭がいい、という自己イメージはないんですね。どっちかというと「カンがいい」ので得してきた人間だと思っているんです。

長沼先生の本を作ったとき、私は自分が何かとうまくやってきたのは「無意識が賢い」からだろうなあと思いました。試しに夫に「私は知性の人か本能の人か?」ときいてみたら「本能」と即答されました。一番近い人から見ると即答なわけです。割と本能にしたがって生きていくとあまり間違えのない人なんです、私。それが私の自己認知。

でもニキさんはあれだけ言語力がありながら体温調節ができないとか、たぶん土台脳の方があやしげ(だった)。そして大脳皮質だけで考えに考えて世の中乗り切るのがサバイバル法になっているんだな、と『10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!』を作ったときもそう思ったんですけど、改めてそう思ったんですね。

岩永先生がニキさんのことを「脳が頭でっかち」と言われた。そしてニキさんは、優れた大脳皮質だけで相当のことをこなそうとしている。これを別の見方をすると「取り越し苦労(に見えるもの)」だったり「脳みそぐるぐる」だったりします。これは私にとってはしんどそうに見えるけど、ニキさんとしてはこうじゃなきゃ安心できないんでしょうね。

そして私が出した結論としては

たいていの人はやはり土台から育てた方が早い、っていうことですね。
ニキさんみたいに大脳皮質、言葉だけの部分が特化して発達している人は少ない。
だからたいていの人は根っこから育てた方が速いです。
ニキさんは、そういう意味で特殊です。

主催者の方の数年前にニキさんに会った感想は「チャーミング」なんですね。
これは不思議なほど皆さん同じ表現をされるし、私も一言でニキさんを形容するとしたらこの言葉を使います。言葉遣いなんてみな相当違うはずなのに一様に「チャーミング」になる。

そしてここからがますます不思議なところなんですけど

大脳皮質を極限まで使って(と少なくとも私には見える)世の中をサバイバルしているニキさん。土台脳にあまり仕事をまかせていない、まかせると不安なんだろうと思うくらい大脳皮質だけ使っている(ように見える)ニキさんなんだけど、いわゆる重度のお子さんとの地続き感がすごいんですね。だからでしょうか。重度のお子さんを持つ親御さんたちのニキさん大好きぶりは際立つものがあります。もちろんアンチもいるでしょうが。

赤本以降いろいろなプロ当事者の人が世に出ましたが、重度の人との地続き感をニキさんほど感じさせる人は他にいないのではないでしょうか。まあギョーカイ事情にうとい私の知らない人が誰かいるかもしれませんが。

そして逆に、高機能の人の親御さんは藤家さん好きですね。もちろんこちらもアンチもいるわけですが。

高機能の自閉っ子をお持ちのお母さんたちは「藤家さんのように(頑張れる人に)なってほしい」とは言いますが、「ニキさんのようになってほしい」っていう声はあまり聞きません。ニキさんはむしろ「ロールモデル」というより「語り部」として評価されている。

ちなみに主催者の方の数年前の藤家さんを見た感想は「(以前より健康になった)上品なお嬢さん」です。老舗の会の方ですから、どこかで骨川筋子時代を見ていたかもしれません。

ちゅん平さんはきちんとしたおうちできちんとしつけを受けて、弱かった時も上品なお嬢さんだったと思います。でも世の中に出ないとしつけの部分はあまり活きない。家でひっそりと上品なお嬢さんなだけですね。

それが世の中に出るところ、出た後にはしつけを受けてきたことがきちんと光るんです。
面接ちゃんと通ったり、接客で表彰されたり。

これも土台。
そして早期診断されて「傷つけないように」ろくすっぽしつけをされなかったお子たちがこの後どういう道をたどるか、そろそろ答えが出るころではないでしょうか。二次障害回避原理主義でしつけをしなかったお子さんはしっぺ返しがくるような気がしますよ。

そんなことを考えながら、ニキさんの話を聞いていました。
私はニキさんのように脳みそぐるぐるはできないし効率悪いししんどいように感じます。
でもニキさんは私のように「悩み事はくよくよ考えずとりあえず頭にぶち込んどいて身体動かしてお酒飲んで熟睡して起きて浮かんでいるのが正解。だからそのとおりにする」みたいなのは怖いだろうなと思います。
難しいのは「やり方が違うよね」という言葉を否定と受け取る度合いはちゅん平よりニキさんの方が強いということで、このあたり気を使います。おそらくそれが反射だったり育ちの中で培われた何かであるのだと思います。
おそらく猿烏賊体験はニキさんの方が多く、育ちの中で「ありのまま」を認められなかった主観的な経験(客観的な事実と一致しているかどうかは不明という意味で主観的)はニキさんの方が多かったような気がします。

そしてちゅん平にはそういう反射がニキさんよりは少ないことが、「治る」という言葉を屈託なく使う理由のひとつですね。

そして「治る=否定されている」と感じる多くの人たちは、やはり育ちの中であまり肯定されてこなかったのかもしれませんね。

そういえばなぜ私が「治る」という言葉を使い続けるか、岡山では言いませんでしたね。やはり「借りてきた虎」だったんだな。岡山では抑えめだった。
東京では言いましたね。
それはまた、東京講演のご報告の時にでも。
それとも新刊にとっとこうかな。
考えてみます。
なぜ私が非難ごうごうでも「治る」という言葉を使い続けるか。
理由は三つあります。
それをしゃべりました。
最後は爆笑でした。

でも考えたら東京でもしゃべらなかったことがもう一つありますね。
私は自分を否定された主観的な経験がない。
いや、客観的にはアンチも多いし悪口もいっぱい言われるし否定されまくっているんだろうけど「うるせえな」と思っているから主観的にはないんですね。
だから「治る」という言葉を被害的に取りませんね、私は。

ニキさんのぐるぐるはきっと福生でも聞けるでしょう。
ご都合のつく方はぜひ。
ニキさんは自分で自分にする説明が長いです。じゃないとサバイバルできない。でもその説明が他人の役に立っている稀有な人です。それと自分で思っているよりは辛抱強く他人の長い説明でもきく力があります。そこが言語体力のある私と相性のいいところです。




続く








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