さて、私は前回「私は嫌いな人とは付き合う気がない」と書きましたが
大きな組織でもまれている人や、ママ友の中で仲良ししている人には、眉をひそめるような言動でしょうね。
まあそれでいいんじゃないかな。
基準が違うんで。
たとえば私にとって、悪口言われるのも商売のうち。
とくに「花風社は自閉症を治すという主張に走ってけしからん」という喧伝活動。
これなんか実はありがたかったりします。
どうして?
「治すなんて方向を志向するのはけしからん!」という人は「花風社の本はトンデモ!」と読まないでしょうが
「治るのかな?」「治せたらいいな?」という人たちは
興味を持ってくれるでしょう。
「エピソード主義でけしからん!」と書いてあったら
エピソードから学ぶのが好きな人たちは「とっつきやすそう」と思ってくれるでしょう(私自身このタイプ)。
「治らないという考えは治りませんか?」
神田橋先生の本の帯のあのコピーを見て、涙した親御さんもいるんです。
「今まで誰一人こんなこと言ってくれなかった」って。
そういう人が「治すなんてけしからん!」というネット上で息巻いている人の発言を読んで
「え、治せるって本が出るの?」ってうちにたどりついて、本を買ってくださったり。
そんなことはしょっちゅうあります。
だから私は「ああ、告知協力してくれてるんだな」と思ってます。
だって治すことにこだわっている出版社、今のところ他にないでしょ?
零細なのに寡占企業というありがたい立場。
まあ実を言えば「治す」ことにはこだわっていないんですが。
「治す」ことよりも
「治せんといかんわな」にこだわっているんですけど。
というわけで
著者・編集者一同が、最初に読んだとき身体が震えるほど感動した神田橋先生のあとがきから特別にお蔵出ししますね。
=====
元に戻す治療法などはないのです。あるのは未来に向けての援助です。
(「発達障害は治りますか?」P316)
=====
そうです。
こういう本なんです。
「発達障害は治りますか?」は。
「治療法」じゃなくて、「発達援助」の本なんです。
だって今の医療ではまだ、「マジック・ピル」は発見されてないでしょ?
医療の限界を受け入れる。
これって当事者として、保護者として、かなりきつい体験だと思います。
今の医療の限界を、ちょっとでも越えられるのなら
あまりお金がかからなくて、害が少なそうなものなら試してみたい。
そう思う方がいても、不思議ではありません。
でも検証されていない方法は「代替療法」と呼ばれます。
それを受け入れる人と受け入れない人がいます。
私は神田橋先生の本を作ることになってから
代替療法と検証済みの療法の線引きがどこにあるか、色々な方に聞いてみました。
鼎談の前日も、長崎のとある居酒屋で、
EBM志向でお仕事されている岩永先生にお聞きしました。
「検証済みのものがEBMで、検証されていないもの、検証の結果効果がないとわかったものが代替療法です」
というのが岩永先生のお答え。
はい。
それは色々な方から聞きました。
でも私が腑に落ちる答えではなくて。
と申し上げたら愛甲さんが「神田橋先生に伺ってみれば? もしかして一言で解決なさるかも」と。
で、翌日、伺ってみました。
そのときのやりとりが本になっています。
=====
神田橋 ただね、精神医療全体に、そもそも検証自体がまだ全然追いついていない。発達障害の分野はとくにそうでしょう。
浅見 ていうか私のような素人には、そもそも、EBMと代替療法のはっきりした線引きがどこにあるかわからないです。
神田橋 そらわからんよ。
浅見 岩永先生はどう区別なさっているんですか?
岩永 なんらかの科学的な検証をされたものが正規の医療で、それがまだされていない、あるいは検証がうまくいかなかったものが代替療法だと考えています。
神田橋 僕は違うと思う。検証法がまだ届かないもの、見つかっていないものが代替療法だ。検証法が見つかって無効だと検証されればそれは消える。
(「発達障害は治りますか?」 P291)
=====
そう。
「検証法がまだ届かないもの、見つかっていないものが代替療法」
これはすとんと腑に落ちる説明でした。
しかも神田橋先生が提唱されるのは、身体に悪い害があるようなものじゃありません。
しかも、安価。
しかも、家でできる。今すぐに。
だからまあ、なんとかして状態をよくしたいと思って
検証されていない方法を取ろうとしているとき「そんなこと手を出さないほうがいいよ」と親仲間に言われたら
見極めたほうがいいです。
親切心なのかな?
だったらその意見を聞けばいいよね。
あるいは
「もし効果があったら抜け駆けされる!」という気持ちからなのかな?
どうしてこう思ったかっていうとですね、やっぱりぶんパパの件。
なんで発達を喜んでいるお父さんをいじるんだろう。その存在にさえ疑義を投げかけるんだろう。
抜け駆けすんなよ、みたいな気持ちがもしかしたら(一部の)親御さんの中にあるのかな?
だから、トイレトレに成功した、言葉が出た、九九を覚えたと無邪気に喜んでいるぶんパパを
「架空キャラだと思いたい」という気持ちが(一部の)親御さんの中にあったのかしら。
ずばり、
親同士の嫉妬ってあるのかな?
こんなに苦労してるのに、そんなに成功しているヤツが実在してるわけない、みたいな。
でも実際にこういうことあるんですよ。
そういうことを可能にしてきたから、神田橋先生の治療は名人芸と呼ばれるわけでしょ。
名人芸を本にするのは難しいといわれているけど
この本は読んだだけの人の間でも、喜ばれています。
それだけ。
もちろん反論もどうぞ。メールでもついーとでも。
ただし、他人の土俵には行きません。
あと、明日いっぱいはお返事できません。
同じ土俵なら名古屋場所。というわけで明日は日帰りで名古屋に行ってきまーす!
というわけで、おやすみなさい。
追伸:ぶんパパ見学ツアー、絶賛受付中です。
大きな組織でもまれている人や、ママ友の中で仲良ししている人には、眉をひそめるような言動でしょうね。
まあそれでいいんじゃないかな。
基準が違うんで。
たとえば私にとって、悪口言われるのも商売のうち。
とくに「花風社は自閉症を治すという主張に走ってけしからん」という喧伝活動。
これなんか実はありがたかったりします。
どうして?
「治すなんて方向を志向するのはけしからん!」という人は「花風社の本はトンデモ!」と読まないでしょうが
「治るのかな?」「治せたらいいな?」という人たちは
興味を持ってくれるでしょう。
「エピソード主義でけしからん!」と書いてあったら
エピソードから学ぶのが好きな人たちは「とっつきやすそう」と思ってくれるでしょう(私自身このタイプ)。
「治らないという考えは治りませんか?」
神田橋先生の本の帯のあのコピーを見て、涙した親御さんもいるんです。
「今まで誰一人こんなこと言ってくれなかった」って。
そういう人が「治すなんてけしからん!」というネット上で息巻いている人の発言を読んで
「え、治せるって本が出るの?」ってうちにたどりついて、本を買ってくださったり。
そんなことはしょっちゅうあります。
だから私は「ああ、告知協力してくれてるんだな」と思ってます。
だって治すことにこだわっている出版社、今のところ他にないでしょ?
零細なのに寡占企業というありがたい立場。
まあ実を言えば「治す」ことにはこだわっていないんですが。
「治す」ことよりも
「治せんといかんわな」にこだわっているんですけど。
というわけで
著者・編集者一同が、最初に読んだとき身体が震えるほど感動した神田橋先生のあとがきから特別にお蔵出ししますね。
=====
元に戻す治療法などはないのです。あるのは未来に向けての援助です。
(「発達障害は治りますか?」P316)
=====
そうです。
こういう本なんです。
「発達障害は治りますか?」は。
「治療法」じゃなくて、「発達援助」の本なんです。
だって今の医療ではまだ、「マジック・ピル」は発見されてないでしょ?
医療の限界を受け入れる。
これって当事者として、保護者として、かなりきつい体験だと思います。
今の医療の限界を、ちょっとでも越えられるのなら
あまりお金がかからなくて、害が少なそうなものなら試してみたい。
そう思う方がいても、不思議ではありません。
でも検証されていない方法は「代替療法」と呼ばれます。
それを受け入れる人と受け入れない人がいます。
私は神田橋先生の本を作ることになってから
代替療法と検証済みの療法の線引きがどこにあるか、色々な方に聞いてみました。
鼎談の前日も、長崎のとある居酒屋で、
EBM志向でお仕事されている岩永先生にお聞きしました。
「検証済みのものがEBMで、検証されていないもの、検証の結果効果がないとわかったものが代替療法です」
というのが岩永先生のお答え。
はい。
それは色々な方から聞きました。
でも私が腑に落ちる答えではなくて。
と申し上げたら愛甲さんが「神田橋先生に伺ってみれば? もしかして一言で解決なさるかも」と。
で、翌日、伺ってみました。
そのときのやりとりが本になっています。
=====
神田橋 ただね、精神医療全体に、そもそも検証自体がまだ全然追いついていない。発達障害の分野はとくにそうでしょう。
浅見 ていうか私のような素人には、そもそも、EBMと代替療法のはっきりした線引きがどこにあるかわからないです。
神田橋 そらわからんよ。
浅見 岩永先生はどう区別なさっているんですか?
岩永 なんらかの科学的な検証をされたものが正規の医療で、それがまだされていない、あるいは検証がうまくいかなかったものが代替療法だと考えています。
神田橋 僕は違うと思う。検証法がまだ届かないもの、見つかっていないものが代替療法だ。検証法が見つかって無効だと検証されればそれは消える。
(「発達障害は治りますか?」 P291)
=====
そう。
「検証法がまだ届かないもの、見つかっていないものが代替療法」
これはすとんと腑に落ちる説明でした。
しかも神田橋先生が提唱されるのは、身体に悪い害があるようなものじゃありません。
しかも、安価。
しかも、家でできる。今すぐに。
だからまあ、なんとかして状態をよくしたいと思って
検証されていない方法を取ろうとしているとき「そんなこと手を出さないほうがいいよ」と親仲間に言われたら
見極めたほうがいいです。
親切心なのかな?
だったらその意見を聞けばいいよね。
あるいは
「もし効果があったら抜け駆けされる!」という気持ちからなのかな?
どうしてこう思ったかっていうとですね、やっぱりぶんパパの件。
なんで発達を喜んでいるお父さんをいじるんだろう。その存在にさえ疑義を投げかけるんだろう。
抜け駆けすんなよ、みたいな気持ちがもしかしたら(一部の)親御さんの中にあるのかな?
だから、トイレトレに成功した、言葉が出た、九九を覚えたと無邪気に喜んでいるぶんパパを
「架空キャラだと思いたい」という気持ちが(一部の)親御さんの中にあったのかしら。
ずばり、
親同士の嫉妬ってあるのかな?
こんなに苦労してるのに、そんなに成功しているヤツが実在してるわけない、みたいな。
でも実際にこういうことあるんですよ。
そういうことを可能にしてきたから、神田橋先生の治療は名人芸と呼ばれるわけでしょ。
名人芸を本にするのは難しいといわれているけど
この本は読んだだけの人の間でも、喜ばれています。
それだけ。
もちろん反論もどうぞ。メールでもついーとでも。
ただし、他人の土俵には行きません。
あと、明日いっぱいはお返事できません。
同じ土俵なら名古屋場所。というわけで明日は日帰りで名古屋に行ってきまーす!
というわけで、おやすみなさい。
追伸:ぶんパパ見学ツアー、絶賛受付中です。