元たばこ屋夫婦のつれづれ

つれづれなるままに

清少納言の枕草子に見る囲碁用語

2012-01-19 | 囲碁
     紫式部に続いては清少納言。平安時代の中期の頃の上流官女、この二人の詩、日記、物語の中に囲碁に関する言語が、多数散見されるのである。平安時代とは、桓武天皇による平安京遷都(797)から源頼朝による鎌倉幕府樹立(1192)までの約400年間を指す。すなわち政治の中心地が平安京にあった時代である。

     平安初期は唐風文化の花盛りであったが、中期になると日本の要素が文化面にも強くあらわれ、平仮名、片仮名が生まれ日本独自の表記が容易になり,これが,枕草子や源氏物語に代表される和歌,日記,物語を生みだし,日本文化史上でも期を画する転機となっているのである。

     特に紫式部の源氏物語は、空想の人物・光源氏を主人公にしての恋愛物語で史上最高傑作と言われている。清少納言の枕草子は、日記・随筆。仕えていた定子中宮の死後に、回想録の一つとして書かれたもので、当時の日常生活が鋭く描写されているという。

     今回はその清少納言についての段である。「清少納言も枕草子に碁をたくさん取り上げてくれました。ただし、対局シーンはなく、碁に関するエッセイだけです。これは"源氏"と"枕"の違いからやむを得ないでしょう。僕が好きなのは"三月晦日"(やよいつごもり)の段。清少納言が宰相の中将(藤原斉信(ただのぶ)、清少納言とねんごろだった?)と、囲碁用語を駆使して男女関係のことを語っているところへ、源中将(源宣方・のぶかた)が現れ、会話に加わろうとする場面です。」

     「出てくる囲碁用語は、"手ゆるし""手うけ(受け)""ひとし碁""けちさす""おしこぼち"など。手ゆるしと手受けがよく分かりませんが、通説に従えば、手ゆるしは、こちらが上手で相手に先または何子か置かせること。手受けは、その逆。男女関係でいえば、手ゆるしは、相手に気を許すこと、手受けは、相手を警戒するとなるでしょうか。」

     「ひとし碁は、同じ腕前、互先の碁です。けちさす(結差す)がまた出てきました。ヨセを打つでしたね。男女関係が決着の段階を迎え、親密度が増すことを指すのでしょう。"おしこぼち"は難解。漢字を当てれば"押し壊(こぼ)ち"か。玄尊の囲碁式には、"こぼつ"ということばがあり、一局が終わって、双方の石をくずして片付ける意にとれます。つまり男女関係がヨセを通り越して、他人ではない仲になることでしょう。」

     「三月晦日では、清少納言と源中将のやりとりがおもしろい。源中将が"碁盤はありますか。私も貴方と打ってみたい。手ゆるしてください。宰相の中将さんと私は互先ですよ〟という。言外に"親しい仲になりたい。私は宰相の中将さんに劣らぬ男前ですよ。と、におわせているのですね。」

     「清少納言の返答がすばらしい。"さのみあらば定めなくや〟ー"私はそう誰とでもお手合わせするような、定めのないおんなではありません。〟これをあとから聞いた宰相の中将は"よくぞ言ってくれました〟と大喜びしたとか。」

     「藤原斉信も源宣方も当時を代表するインテリですが,清少納言は一歩も引きません。"手ゆるしてください〟とお願いされるくらいだから、碁も強かったのでしょうね。」

     「もう一つ、"したり顔なるもの〟の段には注目すべき記述があります(この段は版本によって大きく異なります)
     "碁をうつに、さばかりと知らでふくつけきは、又こと(異)所にかかぐりありくにことかたより目もなくして、多くひろひとりたるもうれしからじや。ほこりかにうちわらひ、ただの勝ちよりはほこりかなり。"
     碁を打つとき、相手が不備のあるのを気づかず、欲張って別のところを打っている間に、思いもよらぬ方面から行動を起こして眼形を奪い、ついに本体の大石を仕留めてしまう。こんな勝ちかたはうれしい。誇らしげに高笑いして、地を囲ってただ勝つより、ずうっと誇らしい。となります。
     技術論としても第一級です。右を打ちたいときは、左から打て、モタレ攻めやカラミ攻めの要領を述べているのです。こんなことを書ける清少納言は、少なくとも三・四段はあったでしょうね。紫式部より上ではないかと想像しますが、めったなことはいえません。いずれにしても、碁が必須の教養であり、生活の一部だった宮廷サロンを代表する二人の打ち手だったことは確かです。」

     これほどの好敵手でありながら、二人が顔を合わせる機会はなぜ無かったのか、実は宮廷で活躍する時期がずれていたからなのだという。はるか、平安時代に飛んでの話題であるが、囲碁の歴史がひもどかれるようで、ワクワクします。と同時にわが身の棋力のふがいなさにムチを打たれた気がするのである。 

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