寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 後漢滅亡

2014-05-07 13:00:08 | 十八史略
楊邠嘗議事於前曰、陛下但禁聲。有臣等在。漢主積不能平。左右因譖之。乾祐三年殺邠・弘肇・章、遣密詔、欲殺郭威於鄴。將佐勸威入朝自訴。威引大軍至。漢主遣兵拒之。或降、或不戰而還。漢主爲亂兵所弑。威白太后、迎武寧節度贇。未至。聞契丹入冦、遣威將兵撃之。威至澶州。將士大譟、裂黄旗以被威體、共扶抱之、呼萬歳震地。擁威南行。遂代漢。漢二世、四年而亡。

楊邠嘗て事を前に議して曰く「陛下但声を禁ぜよ。臣等の在る有り」と。漢主、積もって平らかなる能わず。左右、因(よ)って之を譖(しん)す。乾祐三年邠・弘肇・章を殺し、密詔を遣わして郭威を鄴に殺さんと欲す。将佐、威に勧めて入朝して自ら訴えしむ。威、大軍を引いて至る。漢主、兵を遣わして之を拒(ふせ)がしむ。或いは降り、或いは戦わずして還る。漢主、乱兵の弑する所と為る。威、太后に白(もう)して、武寧(ぶねい)の節度贇(ひん)を迎う。未だ至らず。契丹入冦(にゅうこう)すと聞き、威を遣わし兵に将として之を撃たしむ。威、澶州(せんしゅう)に至る。將士大いに躁(さわ)ぎ、黄旗を裂いて以って威の体に被(こうむ)らしめ、共に之を扶(たす)け抱いて、万歳と呼び地に震(ふる)う。威を擁して南行遂に漢に代わる。漢は二世、四年にして亡ぶ。

事 政務。 積もって 鬱積して。 譖 そしる。 鄴 今の河南省臨漳県。 贇 高祖の弟の子。 澶州 今の河北省の地。 黄旗 黄は天子の色、郭威を天子になぞらえた。 

楊邠が嘗て政務にあたって隠帝に言った「陛下は何もおっしゃらないでください、私どもがおりますから」と。隠帝は不満がうっ積していたところに左右の者がそそのかしたので、乾祐三年(950年) 楊邠・史弘肇・王章の三人を殺し、秘密に詔勅を遣わして郭威を鄴に於いて殺そうとした。郭威の将官や佐官は郭威に入朝して自身が申し開きをしたら良いでしょうと勧めた。郭威は大軍を率いて開封に迫った。隠帝は兵を遣わしてこれを防ごうとしたが、あるものは降参し、あるものは逃げ帰ってきた。この混乱の中で隠帝は殺されてしまった。郭威は太后に高祖の甥で武寧の節度使贇をたてるように進言した。贇が都に到着する前に契丹が国境を侵したと聞き、郭威を将軍として迎え撃たせた。澶州に着くと将兵士卒が漢主に代えて郭威を天子に推戴しようと騒ぎたて、黄旗を裂いて帝の衣裳に擬し、地響きがするほど万歳の声を上げた。郭威を擁して南行し遂に漢に代わって位に即いた。かくして後漢は二世、わずか四年にして亡んだ。

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