イギリスの田舎とB&Bめぐり

留学中の娘を訪ねた45日間のイギリス旅行記。月1間隔でUPしていく予定なので、ゆっくり・じっくり読み進めてください。

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2013-12-17 11:09:06 | Weblog
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22  コッツウォルズへ    6月29日(木)

2013-08-15 13:15:48 | イギリス旅行記
    
 
  レイコックを充分堪能した後コッツウォルズへ向かった。
今夜の宿泊場所はバイブリー(Bibly)村。しかし、その前に二か所寄り道をする予定。
先ずはShelldon manor houseへ。Manor house(マナーハウス)とは直訳すれば「荘園領主の館」。日本でいえば「地主さんのお屋敷」といったところで、貴族が建てたカントリーハウス以上にイギリスのあちこちに現存している。
  バースで入手した観光案内に「美しいマナーハウスとガーデンが見られ、ティールームもある」との紹介記事を見つけ立寄ることにした。
  到着すると、先ず車の音を聞きつけた二匹の犬がいそいそと出迎えてくれて、続いて老婦人がゆっくりと現れ料金を徴収すると、会話を交わす間もなくさっさと引込んでしまった


この丁重とはいえない出迎えに出鼻をくじかれた思いがしたが、とりあえず入口を探すと、右手にそれらしいものがあった
おそるおそる中に入り、館を取り囲むあまり手入れされていない庭園を一巡した。そのあいだ誰にも会わず(ティールームなどあろう筈もなく)、唯一出会ったのは屋根職人たち。陽気に歌など唄いながら二階大屋根の瓦を張り替えていた。さっき支払った料金(一人£3.5)は、きっと修理のための必要経費なのだろう。庭の其処ここには、こぼれ種から育った草花が石段を占領し、低く傾いた屋根に届かんばかりに咲いている光景が見られ、野趣があってそれなりに印象深いものであった。


もう一度二匹の犬に見送られて屋敷をあとにした。
 次に目指したのは「バンズリー.ガーデン(Barnsely House Garden)」。バイブリーに通じる田舎道の、バイブリーから4キロほど手前にある美しい庭園だ。
 5年まえ(1995年)初めてイギリスを訪れたとき、最初に英国庭園の美しさを目の当たりにしたのがこの庭園だった。ローズマリー(Rosemary Verey)という著名な園芸家が住む旧マナーハウスと、彼女が丹精こめて作り上げた見事な庭園(家は非公開)で、庭園だけを見学できる。
   今回は。前に来た時よりも季節が一ヶ月程遅いので、咲いている花々も微妙に異なってはいるものの、全体としての美しさは変わらない。ハーブガーデンでは、満開のラヴェンダー(前回は蕾もつけていなかったが)を見ることが出来た。
   
   この写真は家に間近い部分だが、庭園は家から離れてまだまだ広い。


   「The Lime Walk」といって、両側をライムの木に挟まれた散歩道がある。その道は更に「The Laburnum Walk」へと続く。「Laburnum」の和名は「キングサリ」と辞書に出ているが、日本では見たことがない。英国での通称は「ゴールデンシャワー」といい、黄色い花が房状に垂れ下がり、下に立つと、文字どうり金色のシャワーを浴びている心地がする。
   が、今回は花が終わってしまっていた。前回より1ヵ月も時期がずれているので無理もないが・・そこで前回、花ざかりだった「Laburnum Walk」をちょっとご紹介。


   その後ローズマリー夫人が逝去され、庭園公開が廃止されたと聞いて寂しく思っていた。現在どうなっているのだろうか。この原稿を書くにあたって調べてみると、ナント!
同名のホテルとして健在であった。庭園はもちろん元のままで、おまけに、立ち入ることの出来なかった石造りの古風なお屋敷にも入れるとは嬉しいことだ。
   もし許されるなら、「Laburnum」が咲く季節、6月初旬~中旬に訪れてみたいものだ。
あっという間に閉園時間の5時になってしまった。まだまだ明るい日差しの中をバイブリーへ向かった。鬱蒼とした樹木と道沿いの清流、コッツウォルズストーンで出来た家々の庭先を彩る花々等々、道沿いの眺めもため息が出るほど美しい。
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21  レイコック(Lacock)    6月29日(木)

2013-03-11 20:43:00 | イギリス旅行記
 
  再び車をレンタルしてコッツウォルズへと向かった。
 
  コッツウォルズ丘陵地帯は、その北と南の端を鉄道がかすめ通るだけなので、奥深く入ろうとすると、バスか車を利用するしかない。バスは時間、場所共に制約が多くあって、車で行くのが最適である。という訳で、車の特典を生かし、寄り道しながらコッツウォルズへ向かうことにした。
 
  寄り道の最初はレイコック。日本ではあまり知られていないが、英国内では人気の観光地であり、村全体をナショナルトラストが所有している。
 
  5年前初めて叔父達と一緒に英国旅行をした際に(叔父の勧めで)レイコックを訪れ、その時はなんの予備知識も無かったのだが、その佇まいにすっかり魅了されてしまった。
 
  ナショナルトラスト(N.T)の管理の下で、中世からの村の姿がそのまま残っているのだ。その建築スタイルは木組み白壁、あるいは大小さまざまな石を巧みに組み合わせた外壁を持つ可愛らしい家々。しかも、そこには人々の生活が息づいていた。
 
  着いてみると、5年前と何も変わらない村の風景 ! N.T管理の下では改築は許されない。が内装を変えてショップにするくらいは出来るらしくて、そこここに小さくてお洒落な店がある。

  今回は少し下調べをしてきた。誰かの紀行文で知った ”King John’s Hunting Lodge”という、素敵なTee Room を大目的にして「レイコック」にやって来たのだ。 
 
  ところが、村に一歩足を踏み入れるとなかなか先へ進めない。趣のある中世の家並と、各家が寄植え鉢やハンギングフラワーで美しく 飾りつけられている様子を目の当たりにしては、とても素通りはできない。それぞれ花の横に並んで、互いにカメラのシャッターを切るのに夢中になってしまった。





 心ゆくまで写真撮影したあと、地図を見ながら路地を曲がり、“King John’s ~”の入り口を示す大きなティーカップを見つけた。ぽっちゃりした形といい色艶といい、見ただけで店への期待が高まってくる。



  ドアを開けるとテーブルと椅子が並んだ室内には誰もいない。しかし庭に目を転じると、広い芝生の木陰を選んで、長机とベンチが置かれ、お客達は思いおもいの席に座を占めて、お茶や食事を楽しんでいた。頭上には古木に絡みつくように伸びたイングリッシュローズが咲き誇り、心地よい香りが漂っている。庭を見下ろすように古い石造りの家が見える。それが「ハンティングロッジ」なのだろう。「キングジョン」の名前が冠されているのだから「ジョン王の狩猟小屋」・・・「ジョン王」といえば13世紀初頭の王様だけど、そんなに古い建物が残っているなんて驚きだ。きっと一部分だけであとは修復したのだろう。



  さっそく私達も食事を注文した。空腹なのであれもこれもと欲が出て、中身の違うランチディッシュを二つ+アフタヌーンティーセット(二人分)を三人で分けた。三段重ねのセットには、サンドイッチの他にスコーンとデザート菓子も付いていて紅茶もたっぷり。

  心地よい初夏の陽光と微風の中で食欲も旺盛となり、ぺろりと平らげてしまったのだった。




【写真 渡辺未知】
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20  バース 2    6月28日(水)

2013-03-10 21:21:21 | イギリス旅行記
  今日は、週一回水曜日に開催されるアンティークマーケットの日だ。

  このマーケットは結構有名らしく、近郊の人やディーラー達で賑わうそうだ。この日、私達がバースに居るのは偶然ではない。こうなるように、日程を組んだのだった。
  それだけに、前日からワクワクソワソワで、朝食もそこそこに会場へ向かった。疲れて朝食に降りて来なかったノブさんを残して・・・
  
  マーケット会場はホテルから5分程の近さ。黒ずんだレンガ造りの建物の前に看板が立ち、未だ人はそんなに多くはなさそう。一歩中に踏み込むと薄暗くて、最初は良く判らなかったが、目が慣れてくると細長く奥行きの深い廊下の両側に、小さな店がズラリと並んでいるのが見えてきた。どの店も持参した台や棚の上に、商品を無造作に並べていた。気軽に手にとって見られるのが嬉しい。中には高価なものを鍵のかかるガラスケースに陳列しているのもあるにはあったが。
  ワクワクしながら、1軒ずつ丁寧に見て回った。店主はみな話し好き。日本人と見ると(知識が余り無いと思われ)すすんでいろいろ説明してくれた。
  私達が欲しいものはだいたい決まっていて、小さなアクセサリーや置物、それに紅茶に関連する雑貨などに、いつも目が行ってしまい、あれこれ物色を始める。
  今回も迷ったあげく数点買い求め、満足して会場を出た。

  市中を流れるエイボン川に掛かるプルトニー橋は、両サイドに店舗が並ぶ、フィレンツェのポンテベッキオ橋を模して作られた橋だそうだ。



道を歩いていて、いつ橋にさしかかったのか分からないが、5年前に来たとき買ったパン屋さん(PHIPPS)を見つけて「橋の上」と気が付いた。相変わらず美味しそうなパンがウィンドウいっぱいに並んでいる。
   偶然にも、元気を取り戻したノブさんと店の前でパッタリ出会ったので、奥のレストランで昼食をとることにした。

  それぞれ気に入ったパンに紅茶という、いたって簡単かつ安上がりな昼食であったが、紅茶はポット入りで(イギリスでは必ずポットで供される )たっぷり飲めて満足!ここは人気の店らしく、お客が引っ切り無し。注文に応じて忙しく立ち働く店員さんの様子が席から面白く眺められた。
 




  再び買物がてらのぶらぶら歩き。バースは常設のアンティークショップも軒並みにあって楽しめる。ノブさんの大きな買い物はテディーベアと旅行カバン。時々エンストを起こしてしまう日本から持ってきたカバンは、慈善事業団体オックスハム(OXHAM)に寄贈し、新しく特大のサムソナイトを購入。私達も、これで異動がやり易くなるとホット胸を撫で下ろした。
オックスハムは全国いたる所に店舗を展開しており、あらゆる物の寄付を受け入れている。ミチはある時、ウェディングドレスを見たことがあるそうだ。寄付された物は必要があれば修理して、格安でオックスハムの店で売られるという仕組みだ。売上金は慈善のために使われている。「不要になった物をむやみに捨てず必要な人に再利用してもらう」この循環が素晴らしいと思う。
私も目に付けば店に入って、いろいろ物色するのが楽しみだった。何度も洗濯を繰り返した風情の、しかも丈夫な生地と堅牢な染めと型崩れしていないしっかりした仕立て・・・三拍子そろった子供服を見つけたら、喜び勇んで、遊び盛りの孫へのお土産に買い求めた。値段は大抵100円から500円どまりと大変お買い得!
 
夕方、閉館ぎりぎりにバース観光の目玉「ローマンバス」に入館し、古代ローマがイギリスに侵攻してきた時に発見開発した温泉施設を見物した。現在も豊かに湧き出る温泉は、いったんプールに溜めてあとは流すだけ・・・日本人から見れば、なんとも勿体無いかぎり(ちなみに、英語バス(bath風呂)の語源はここから)。




ホテルに帰り、夕食はホテルのレストラン(というより小ぢんまりしたダイニングルーム)で。相客もなくゆっくりくつろぐことが出来た。
 
明日はレンタカーでコッツウォルズへ行く。ドライブマップで入念に道路をチェックする。イギリスの道は、離合できないような狭い田舎道でも全て番号が付いており、地図に載っているので(標識もある)わかり易いのだが、当然のことながら全て英語と数字なので走りながら素早く読み取るのが難しい。ナビゲーターとしてはなるべく運転者ミチの足を引っ張らないように頑張らなければ!!!
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20  バース 1    6月27日(火)

2012-10-20 17:53:28 | イギリス旅行記


 1時間半ほどで快適な鉄道の旅は終わった。バース駅からタクシーで「ハリントンズ・ホテル」(Harington)へ。
  そのホテルは「クイーンストリート」という、石畳の細い路地が行き交い、古い建物が並ぶ美観地区にあった。周辺は関係車以外は乗り入れ禁止(タクシーは可)なので、中心に位置しているのにその一角は比較的静かであった。
ホテルの入り口は、看板が無ければ見逃してしまいそうな目立たないたたずまいだったが、中へ入ると、客室はゆったりして居心地がよさそうだ。私とミチはツイン(3F)、ノブさんはもう一階上のシングル部屋に旅装を解き、すぐ街へ飛びだした。
先ず向かったのはローマ(占領)時代から続く大浴場の一角にあるレストラン「パンプルーム」。そこでランチとデザートで空腹を満たし、国教会(Bath Abby)前の広場でベンチに座り、しばしバロック様式の教会や行き交う観光客を眺めていた。



そして楽しいぶらぶら歩き。バースは18世紀に王侯貴族や裕福な市民によって栄えた保養地なので、その頃に建設された瀟洒な建物がそのまま残っている。多くが白い石造りで街全体が輝くような明るさに満ちている。それらの建物は博物館に、またホテルにそして多くはショップになっていて、観光客を楽しませてくれている。白い壁面を飾るハンギングフラワーも抜群のセンスの良さだ。



店々は折しもサマーセールの真っ最中。紅白の「セール」と書いた貼り紙がウィンドウにべたべた貼ってあり、ほとんど店内が見えない。美観を無視するほどたくましい商魂である。それに誘われ、人はよく入っていて、私達もその一員に。自分の物を買うよりも、お土産選びに忙しい。子供や孫が大勢いるノブさんは大変なことに・・・
この季節の午後5時といえば、昼間と同じくらい明るい。なのにショップは律儀に閉店してしまう。そこで一度荷物を置きにホテルに戻り、再び外出した。
川沿いのバス停に、街を一巡りしてくれるオープントップ(屋根の上に座席が付いている)バスが5台ほど客待ちしていた。どれも大型で、客が一人も乗っていないのに少し不安を覚え、乗ろうかどうしようかと決めかねていたら、一人の運転手が「自分のバスは日本語の案内付きだよ」と誘ってきたので、それに決めた。乗客は私たちの他に男性が一人だけだった。街の中心には入れないので周囲を巡り、名所や名建築の前でしばらくストップしてくれる。その際、座席に付いているイヤホーンをはめ、ダイヤルを「日本語」に合わせると解説が聴ける仕組みだ。ところが、聞こえてくるのは英語解説のみ。しかも音声が悪くてさっぱり聞き取れない。“ひょっとしてかつがれたかな”と嫌な気がしたが、すぐに美しい眺めに気をとられた。バスの通り道は緑したたる樹木と咲き乱れる花々で溢れていた。そのうえさらに、道路沿いの家々の垣根の内側(道を歩いていても見ることの出来ない)、その彩りも上品なイングリッシュガーデンを、高いところから覗き見することができ、気持のいい夕風に吹かれながら、うっとりと時間が過ぎていった。
バスを降り、この時間になるとハンギングフラワーがいっそう映える街を歩く。



枝を広げた一本のスズカケ(sycamore)の大樹を見つけた。その大きさに驚き、しばらく見上げていたが、枝先が触れそうな所に丁度パブあり、樹が良く見える窓際に席を占めた。客は私達だけ。バーカウンターの中にハンサムな青年が立ってるのに気が付いた私達は“一緒に写真撮りたいね~”と機会を狙っていたが、実現させる前に彼は奥に引っ込んでしまった。
パブを出てホテルに戻る道すがら、もし声をかけていたら、一緒にカメラに収まってくれただろうか、それとも断られただろうか等と、未練がましく詮索する私達だった。。
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19 ロンドンからバースへ     6月26(月)~27(火)

2012-07-31 22:22:30 | Weblog
 
  ホテルを9時に出発して、この地を離れる前に先ず向かったのが郵便局。
又もや増えてしまった荷物を日本へ送るためであるが、イギリス、特に田舎の郵便局へ行くのは、気の遠くなるような長蛇の列が思い浮かんで、少し気が重い。
  とはいえ、イギリスの郵便局は郵便業務だけではなく、他にいろいろな物が売られているのは面白い。一番どこにでも在るのがカード類だ。生活のありとあらゆる場面をタイトルに掲げたおびただしい種類のカードがずらりと並んでいて壮観である。時間が有ればじっくり見るのも楽しい。

▼旅行中に買ったカードの一部。


ねずみが本の上に座って“どーぞ私の本を返して”は秀逸!
田舎では、「POST OFFICE」の看板もあまり目立たない(日本のように〒マークがあればわかり易いのに・・・)。
  やっと見つけて一歩中に入ると、菓子類や雑貨品等の陳列棚にさえぎられてなかなか進み辛い。小包を抱えている場合はなおさらだ。しかも、大抵郵便局窓口は、一番奥にある。
  ここ、スランゴスレンの郵便局は窓口が二つしかなく、10人位の列が2本できていた。小包専用窓口が無いので最後部に並んだが列はいっこうに縮まらない。見ていると、局員の接客態度がのんびりゆっくりしていて列など眼中に無い様子。おまけに顔なじみのお客と世間話までしている。
  私が“まだかしら”と顔を横に突き出して前方を伺うと“はしたないから辞めて!”とミチから注意されてしまった。周りを見ると成る程、みんな、なにくわぬ表情で静かに順番をまっている。
  イギリス人は行列を苦にしない(少なくとも顔に出さない)のだ。「いったん並んだらイライラせずに待つ」これがイギリス風マナーであることを学んだ。
  シュルズベリーでレンタカーを返却し、バーミンガム乗換(乗換駅が離れていて大きなスーツケースを押しての移動は結構大変だった)でロンドンへ向かった。

  ロンドン、パディントン駅に到着。駅にほど近い「Rホテル」にチェックインした。翌朝同じパディントンから出発だし、どうせ寝るだけだからと、安宿(ツインで£75)を予約しておいたのだが、通されたのは半地下の息が詰まりそうな穴倉のような部屋。安すぎたか!と後悔しても後の祭り・・・田舎の「B&B」で£75(ツイン)は上等の部類に入るが、ロンドンでの「ホテル」となると下等になってしまうことも学んだ。
  
日本から到着するノブさんを出迎えるためにヒースロー空港へ向かった。 顔を見るまでは一抹の不安があったが、元気いっぱいで姿を現したノブさんをみたら、全ての懸念は吹っ飛んだ。彼女は海外旅行の経験はあるが、イギリス旅行と一人でのフライトは初体験。それで少々テンションが上がりっぱなしのままホテルに着いたのだが、部屋に通された途端にテンションは下がってしまった。
  彼女のシングル部屋はナント私達とは道路の角を曲がった別棟の、やはり半地下の穴倉部屋。イギリスでの初日がこんなことになってしまって申し訳なさで一杯だ。
  夕食はソーホー地区の中華料理店へ。渡英以来、中華は2回目だが、さすがに本場ソーホー地区は美味しい。ホテルでの時間をなるべく短縮するために、ゆっくり食事を楽しんだのは良かったが、ビールと老酒をちゃんぽん飲みした為か気分が悪くなり(他の人は平気!)、タクシーで戻る破目になってしまった
  
  27日(火)
 待望の朝が来て、早めにチェックアウト。部屋に備わっていた湯沸かしの内部にカビが生えていたので、£5,0宿代を値引きさせ、少し溜飲を下げた。
  
  パディントン駅まで2ブロックの道のり。すがすがしい朝の空気の中を、駅から吐き出されてくる通勤客の流れに逆らって、スーツケースが人に当たらないよう気をつけながら歩く。でも・・・ノブさんの動きがおかしい。時々ギクッとケースが止まってしまう。そのケースは私達のよりフタマワリ程も大きい超ビッグなもので、機嫌良く動いてくれないと体力を消耗してしまう。なんとかしなければ・・・

  パディントン駅は道路から段差なくホームへ入れるので(横から自動車でホームに乗り付けられる)、旅行者にはありがたい。
(今はセキュリティーが厳しくなっているのでどうなっているか・・・)

バース方面行きの列車に乗り込み、旅の最終章がスタートした。ノブさんが加わった女三人旅である。
ノブさんは40年来の気の置けない友で年齢は私より2歳下。子供は3人ずつで、どちらも孫持ち。環境も話題も共通点が多く楽しい旅になることだろう。

バースは5年前に叔父叔母と訪れているので、この路線に乗るのは2回目だ。車窓から眺める美しい田園風景が忘れられず楽しみにしていた。そして、前に見たのと少しも変わらない風景が広がり、心地よい振動に身をまかせながらバースへの郷愁にも似た期待感がふくらんで来るのを感じた。

▼パディントン駅 段差が無いので無料カートで何処にでもスイスイと行け


▼バース・スパ駅着 ロンドンからの到着ホームからは直接駐車場へ出られる

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18 スランゴスレン(Llangollen) パート2   6月25(日)

2012-05-20 21:35:16 | イギリス旅行記
 
 5月25日に日本を出発してから今日でちょうど一カ月がたった。毎日、「楽しい楽しい」で過ごしてきたが、これでいいのか?という自責の念も、少し芽生えてきた。
英国は今や、カラリとした冷涼な季節を迎え、花は咲き乱れ、最高に美しい。

それに比べて、日本は今頃梅雨の真っ最中・・・じめじめとうっとうしい日が続いていることだろう。
さぞや家の中はカビだらけだろうなあ。郵便物の整理や鉢植えの水やりを頼んできたお隣さんも、そろそろ、ウンザリしているに違いない・・・等々日本のことを考えると少し気が滅入ってくる。が、それも余り長続きせず・・・
10時頃ホテルを出発し、車で中心部に向かった。今日の予定はボートと蒸気機関車、乗り物三昧の一日である

船乗り場に行くと30分ほど待ち時間があったので、ぶらぶらしながら運河を行き交うボートを見ていた。橋から見下ろすと運河の幅が狭いことに気がつく。パーキングエリア(駐船場)で広くなっている場所もあるが、国中この幅が基本である。
  そのために、船幅が厳格に決められている。なぜなら、それを守らないと船と船が離合出来なくなってしまうからだ。運河を航行するボートの愛称「ナロウ(narrow 幅が狭い)ボート」の由来はここから来ている。
  
出発の時間が近づくと小柄な馬が曳かれて来た。

馬の胴体に結ばれているなが~いロープがボートに繋がれた。馬の蹄の音が聞こえたと同時に、ボートはゆるゆると進み始めた。エンジンが付いて無くて馬力だけで動いて行く。なんだか馬に申し訳ないような気分になってきたが、乗客はほんの10人程と犬一匹なので、それほど重くは無いだろうなと思い直した。馬とボートを繋ぐロープはピーンと真直ぐ伸びたまま、歩く速度より遅く(散歩の人達がどんどん追い越して行った)のんびり進んでいった。

  時々他のボートとすれ違ったが、乗っている紳士はこんな体型が多かった。

好物のビールをあおってもボートの上では運動もままならず、その結果自然とこうなるのだろうと想像される。
ある地点で馬が10分間休憩をとり、そこから引き返し40分程で出発点に戻って来た。

  昼食後、次は逆方向へ向かうボートに乗った。今度はエンジン付きで乗客は満員。人気のコースと見た。岸辺の草花を間近に眺め、私達の泊まっているホテルの下を通り(窓辺に置いたベアはボートからは見えなかった!)ゆっくりと進んでいく。
  やがて乗客たちの間にざわめきが広がった。船が「アクアダクト(高架式水路橋)」にさしかかったのだ。それまで 「ディー川」に沿って流れていた運河が、いよいよ対岸に行くために川をまたぐハイライト地点にやって来たのだ。
  進行方向を見て胸がドキドキした。横の窓から下を覗くと水路の縁が低すぎて見えない。まるで宙に浮いているようだ。何かの拍子で大きく横揺れすると、縁を乗り越えて下に真っ逆さま?・・・更に進んでディー川の真上にさしかかると、はるか下に見えるのは急流ばかり。なにしろ橋脚が川から38.4メートルもあるのだから目がくらむのも当然。であれば、見なければ良いのにそこは怖いもの見たさで、こぶしを握り締めながらスリルを堪能した。


  橋を渡り終えるとそこが終点。「怖かったわね~」と興奮冷めやらぬ面持ちでミチに話しかけると「そうだったぁ?べつにぃ―」とケロッとしている。聞いてみると、ミチは私と反対側の窓から眺めていたそうだ。反対側には歩行者用通路と手摺が設けられており(写真参照)、高さのスリルは全然感じなかったとか。ミチにとっては残念なことであった。
  2時間かかった運河体験だったが、バスで出発点まで戻るのにかかった時間は30分程。が、これが普通なのであって、ボートで体験した速度は別世界のものだ。それだけに人々は束の間の快感を求めるのだろう。自家用ボートを所有し、何週間もかけて運河航行を楽しむことが出来るのはほんの一握りの人達に違いないのだから

  休む間もなく次に乗ったのが、蒸気機関車が牽引する時代物の列車でディー川沿いに2時間の旅。時々見かける羊の放牧風景を楽しみ、折返し駅では、ホームに並んだ鉄道関係の本や雑貨(ガラクタまがいの)を冷やかして帰って来た。

(写真は発車前の点検に余念のない駅員)。

最後はディー川を見下ろすレストランで、川音を聞きながらの夕食。充実していたがさすがに疲れた一日であった。
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18 スランゴスレン (Llangollen)パートⅠ 6月24(土)~25(日)

2012-03-06 11:15:07 | イギリス旅行記
 
 幸い、ミチの風邪は大事にいたらず、朝10時すぎにラドロウのホテルを出発した。
出発はしたものの、道路は一方通行の標示ばかり。何回行っても同じ場所にもどってしまい、苦労の末にやっと町から抜け出すことに成功した。あとはイングランドとの境界線添いに真直ぐ北上するだけ。気楽なドライブだった。
 途中、シュルズベリーという古風な町で昼食をとり、2時30頃分目的地に到着した。
ウェールズには変わった地名が多い。カタカナで「スランゴスレン」と書いたが、Lが2つ重なった発音(タイトル参照)はウェールズの人以外(例え英国人であっても)正しく発音するのが難しいと聞いた。
 
スランゴスレンは、両側を小高い山に挟まれた谷あいの町で、更に下の谷底をディー川(River Dee)が蛇行しながら流れている。
ディー川からかなり高い位置に、川に沿った細長い町があり、その町の中を「保存鉄道(蒸気機関車)」が走り、「運河(canal)」が通っている。

 産業革命時代、物資の運搬用に運河が掘られ、イギリス全土に張り巡らされていたのは有名な話。現在でもイギリス人の舟遊びの場として大切に保存(英国の得意技!)運営されているところが凄い。専用のボート(canal boat)で運河を往ったり来たり、ほとんど国中を巡ることができるそうだ。
  そのボートは自家用車ならぬ自家用舟(レンタルも含め)なので、ボートを持っている知人に恵まれでもしないかぎり、旅行者は羨ましげに目を見張るしかない。
  ところが、スランゴスレンでは観光客が運河体験できると案内書で知った。これが、わざわざウェールズの北端まで足を伸ばした理由である。
  
  ささやかながら町の中心部と呼べる辺りに、町の両側を結ぶ大橋と、鉄道駅、船着場、郵便局、レストラン、土産物店、駐車場などがまとまっている。取りあえずそこは通り抜けて、大橋を渡りホテルへ向かった。
中心部からはかなり離れた、周囲に何も無い静かな場所にホテルは建っていた。このホテルに決めたのにも理由がある。旅行雑誌(たぶんフィガロ)で「レストランから眺める、山の端に沈む夕日の美しさは格別」との記事を読んだから。
チェックイン手続きをしているとなんだか周りが賑やか。見ると花嫁さんがロビーを歩き回っている。フラワーガールらしいロングドレスの子供が走り回っている。結婚式の前か後なのだろう。
  通された部屋はさすが(『B&B』ではなく)『ホテル』という名にふさわしい広さと内装。大きな出窓の外は緑の牧草地で、なだらかなスロープ越しに運河が見える。ミチはさっそくテディーベアを窓際に置いた。往来するボート(canal boat)からも見えるだろうか?【写真1】
  気持のいい部屋で午後の時間をゆっくり過ごす事にした。先ず溜まっていた洗濯物を片付けなくては・・・と、これは私の仕事だ。バスルームには大きなタオル乾燥パイプが備わっていた。このパイプ、じっと触っていると火傷しそうなくらい熱いが、布は焦げない優れものだ(ちゃんとしたホテルには必ず備わっている)。早速、タオル類を取り払って洗濯物を掛け、部屋のラジエーターにも、(有り難い事に)日中からお湯が通っていたので、その上にも広げ、洗濯物は一挙に片付けることができた。
   せっかく書き物机があるからと、ミチは絵葉書を書き始めた。窓辺に立って時々通り過ぎるボートの乗り手に手を振ったり、ベッドに寝転んで、山の稜線と空だけをぼんやり眺めたり、気ままな時間を楽しんでいた。
  すると突然、部屋の電話の音に驚かされた。日本の友人ノブさんからだ。彼女とは2日後にロンドンで落ち合い、共に旅行する手筈になっている。ノブさんにとって初めてのイギリスに一人でやって来るのだから、不安は当然だ。まだ携帯電話を持っていなかったあの頃、見知らぬ外国の大都会で、はぐれてしまったら・・・という恐怖は大きい。「こちらは万事順調よ。予定通りヒースロー空港で会いましょう」と、また、「もし私達がすぐに見当たらなくても、必ず行くから動かずに待っていてほしい」と念を押して電話を切った。
   そうこうするうちに、いよいよディナー予約時刻(7時)になった。
  「シーダールーム」という名のレストランは、広い窓から射し込む夕陽で窓際の席は黄金色に輝いていた。団体客(ドイツ)との競合時間を避けて予約したので、希望どおり窓際席に案内してもらえた。
   大きな一枚ガラスの窓越しに芝生の庭と、その先に、谷底から伸び上がってきた数本のシーダー(レバノン杉)が、ちょうど私達の目線と同じ高さに、見事な枝を広げていた【写真2】。レストランの名前の由来はこれだったのだと納得した。
夕陽を映すグラスで乾杯し、空の色の移り変わりを楽しみながら、すっかりロマンティックな気分で料理を味わっていると、いつの間にか周りは団体さんの一行で満席になっていた。ドイツ語が飛び交い、心地よいざわめきがレストランを満たす・・・いつまでも空は明るさを残しているのに、もう9時30分!驚いて席を立ち部屋に戻ったのだった【写真3,4】。
   
   明日は1日かけて、ボートと蒸気機関車を楽しむ計画である。

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17 ラドロウ(Ludlow) 6月22(木)~23(金)

2011-12-26 15:35:53 | イギリス旅行記

 
  お昼前、愛想の良いB&Bの奥さんに見送られて出発した。次の行く先はラドロウ。
 が、その前に私達は先ず、昨日訪れたテディーベアの専門店に向かった。
   今まで伸ばし伸ばしにしていたテディーベアの購入。これまで訪れた町々で沢山のベアたちを熱心に見比べ、目が肥えてきたところで、ここで買うことに決めた。そうなると、目星を付けていたあのベアが売れずに残っているかが、気がきではなかったのだが、幸い、ちゃんと私達を待っていてくれた。
   テディーベアは、大きさやメーカーによって値段がピンからキリまで差がある。それがアンティークものとなると、全く私達には高嶺の花。上限が80ポンド位でしかも気品のあるクマちゃんにやっとめぐり合えて、晴れてミチの腕にしっかりと抱かれて店を出た(ベアの写真は次回お楽しみに)。
   ウェールズからイングランドの方向へ真っ直ぐ走り、ヘレフォードという街では大聖堂を横目で見て(寄って見学したかったが、街の出入りが複雑そうだったので止めた)、2日前にお茶休憩をしたレミンスターを通過して、2時間ほどでラドウロウに到着した。

   ラドロウは中世に発展した小さなマーケットタウンだ。ここの目玉はラドロウ城と聖ローレンス教会。両者とも町の中心部にあり、それを中世の可愛らしい建築が取りまいている。
   先ずはホテルで荷を解き(ちょっと問題が生じたが、後述)、ラドロウ城見物からスタートした【写真1】。濠に掛かった橋から門をくぐると、外壁だけが残った廃墟の城は中が広く空いていて、その一角に、にわか作りの舞台がしつらえられ、折りたたみ椅子がずらりと並べられていたのは、翌日上演されるシェークスピア劇のためだとか。          
屋根部分が壊れてしまっている中で、頑丈な塔とその周辺部分が、かろうじて登れる姿で残されていた。暗く狭い塔の中、磨り減った石段を登っていくと屋根なしの最上階に出た。足場が悪く、安全柵が張られた通路をソロソロと歩きながら、見渡す限りの田園や山並の美しさに目を奪われた。すぐ下には、先生に引率されてきた小学生達が、輪になって説明を聞いている姿が小さく見えた【写真2】。
  ラドロウ城は16世紀初め、王子アーサー(ヘンリー8世の兄、王位に就く前に死去)と、その妃キャサリン(アーサー王子の死後、ヘンリー8世の最初の妃になった)が、新婚時代(1501~1502)を過ごした城であり、わずか一年でアーサー王子が急死してしまった悲話が残っている。そのためかどうか、見学者でなかなかの賑わいだった。
  
  城からほど近く、より町の中心に建っているのが「セント・ローレンス教会」。大聖堂ばりの立派さだが、(格下の)教区教会と知ってびっくりした。正面大祭壇の後方に立派なステンドグラス、その下に、木製の壁面を覆いつくすように、聖人像の彫刻が並ぶ【写真3】。落ち着いた木製の壁に囲まれ、会堂内は荘厳な静けさに包まれていた。
 
次はぶらぶら歩きの時間。
寄り添うように建っている家々は、木組み、れんが、石造りとバラエティーに富み【写真4】、ほとんどが一階部分に店舗を構えている。片端から覗いて歩いた。収穫は名作童話「クマのプーさん」のイラスト絵葉書を買えたこと。これまでも、見かける度に2枚3枚と買ってきたが、ここで、こんなにたくさんめぐり逢えるとは・・・もちろんディズニーのではなくて、オリジナル絵本に添えられている「E・H・シェパード」の愛らしい挿絵の絵葉書。
 「こんなに出回るのは今が最後ですよ」という店主の口車?に乗せられて、全種類を一枚ずつ買い、安い値段で(たしか1枚50円くらい)コレクションが充実!ほくほく顔の私達だった。
  しかし、ここにきてミチが体調を壊してしまった。頭痛がして食欲も無いと言うミチは先にホテルへ帰り、私はもう少し買物等をしてから、郊外のホテルまで歩いて帰った。ミチは「どうも風邪らしいわぁ~」とベッドで寝ていた。日本から持参した薬を飲ませ、夕食は一人でホテルのレストランへ。ミチへはスープと軽いビスケットを貰って帰った。
  このホテルは、着いた早々に問題が発生した。通された部屋にはシャワーだけでバスタブが無かったのだ。予約時に明記しておいた条件だったので部屋をかえてもらった。ところが、部屋が変わったら、今度はシャワーから水しか出てこない。またまたホテルマンがやってきて、しばらく水栓のあたりをガタガタいわせていたが、自分では直せないから工事人を呼ぶとの事。
 「出かけてください。帰って来られる頃にはお湯が出るようになってますよ」の声に送られて出かけたが、ミチは「ああは云っても、たぶん直ってないと思うよ」と予言し、その通りになった。結局、滞在中最後まで直らなかったと言うより、直す気が無かったように見受けられた。ミチに言わせると、「これがイギリス流」なのだそうだ。バスタブだけでもよしとしよう。
  もう一つホテルの話題を…到着した時に出迎えてくれた男性、シャワーを直しに来た男性、レスランで注文をとりに来た男性そして出来上がった料理を運んで来た男性全てが、なんと同じ人物だったのだ。見上げるばかりの大柄で、ビール好きの体型をした彼は、マメマメしく一人で何役もこなす働き者だったのだ。
  明日、ミチの体調が快復することを願ってベッドに入った。

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16 ヘイ・オン・ワイ(Hay-on-Wye 古書の町)パート2 6月21(水)

2011-10-14 12:27:01 | イギリス旅行記
 
 夕方5時頃、修道院廃墟を目指して宿を出発した。
山に向かう、車がやっと一台通れる小道は、最初は林間道だったが、やがて樹木が少なくなり、頂上は木が一本もない平らな牧草地になっていた。登ってきた道は頂上を貫いて続いているが、ストンと谷に落ち込んでいるらしく、先は見えない。
 車から外に出ると、相当の強さで風が吹いている。頭上の雲が風に吹き飛ばされて、すごいスピードで流れ、それにつれて陽が射したりサーッと曇ったりと、目まぐるしく変化した。谷の向こうに山また山が奥深く連なり、山国ウェールズを実感した。
 時間が遅いので、辺りは誰一人見当たらない。聞こえるのは風の音だけ・・・不安と畏敬の念に捕らわれてしばらく立ち尽くしていた(写真1)。
  
 ところが、ふと気が付くと緑の中に点々と白い物が見えた。羊だった。こんな山の中にまでとびっくりした。風の中でぢっとうずくまって身動きもせず、おだやかな目で私たちを見た。この出会いで少しばかりほっとした気分になり、羊たちに“さよなら”と声をかけて山頂を離れた。
 先へ進むと、道は反対側の麓を目指して急勾配の下り坂になった。再び樹木が増え始め、林の中を走っていると、一軒の小さな家と出合った。庭に傾いた古いお墓が数個見えたので、教会と察せられた(写真2)。 
 厚い木の扉は押すとスーっと開いて、中は10人くらい入ればいっぱいになりそうな可愛らしい礼拝室。レースが掛かった小さなテーブルに十字架と花が置いてあった。清潔で手入れが行き届いているのは、長年にわたって、地元の人達が大切に守ってきたからに違いない。夕闇の中そっと無人の教会に別れを告げ先へ進んだ。
 
 突然、緑豊かな牧草地が開け、修道院廃墟が目の前に現れた。屋根や壁のほとんどが抜けてしまい、柱の部分だけが立ち並び、まるで恐竜が立ちすくんでいるかのようだ(写真3)。
 
 時刻は7pm。空には未だ明るさが残っているものの、やはりここも風が強く、雲の動きにつれて、建物が黄金色に輝いたかとおもうと、黒々と陰気な色になってしまう。廃墟を駆け抜ける風の音を聞いていると、ヒタヒタと寂しさに襲われ、早々に立ち去ろうとして気がつくと、廃墟の片隅、そこだけがどうやら家の体裁を残している一角から灯りが漏れていた(写真3中央、柱と柱の間)。
 石段を下りて半地下になった扉から覗いてみると、木製のテーブルと椅子があり、奥にはカウンターも見える。どうやらパブらしい。
 
 聞いてみると食事も出来るとのこと。夕食は戻ってからと思っていたが、ここで済ませることにして、ビーフシチューをオーダーした。
 見回すと、壁も天井も石で出来ていて、まるで洞窟の中にいるようだ。客は一番奥の席で老人が二人静かに話しこんでいるだけ・・・壁に扉があって別室に続いている様子。聞くと、B&Bになっているとのことだ(写真4)。
 こんな処に泊まったら、夜は風の音ばかりでさぞ不気味だろうな、しかし、そこが人々を惹きつけるのかもしれないな・・・等と考えながら、ボリュームたっぷりの肉料理とじゃがいもの丸焼を頬ばっていると、続々と人が集まり始めた。パーティーか何かの打ち合わせをしているらしく、皆、話に熱中している。男女ともびっくりするくらい体躯が大きい。やがて店内は満員になり熱気がムンムンしてきた。
 何を話しているのかと非常に興味をそそられ、耳をそばだてていたが、私はもちろんミチにも、強いウェールズ訛りは聞き取れない。よほど“何を話し合ってるのですか?”とミチに聞いてほしかったが、彼女は、返事が聞き取れないだろうからと遠慮してしまったのは、今思うとちょっと残念。
 
 1時間あまり過ごしてパブから出ると(8pm)、さすがに辺りは薄暗く、同じ道を引き返すと山の頂上で真っ暗になってしまいそうだ。遠くても平地を行こうと車を先に進めるうちに、山から抜け出し一般道路に出た。それからは道路地図と首っ引きで、少ない標識に不安を募らせつつ、やっと暗闇の中に街の灯が近づいて見えたときはほっとした。
 
 この日見た神秘的な風景、貴重な小冒険は、旅行の中でもひときわ印象深いものであった。
 
 が、今これを書きながら思うことは・・・
「すぐそこよ」と云った宿の奥さん(イギリス人はすぐこう云うのでご用心!)の言葉通りに夕方から出発してしまったが、何かアクシデントが起こっていたら(あの頃はまだ、携帯電話も持っていなかった)どうなっていただろうと、10年経った今になって胸をなで下ろしている。

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