教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

甲子園出場の熊本工教諭、覚せい剤で逮捕

2009年08月27日 14時12分39秒 | 受験・学校

『熊本県警は27日、熊本市健軍3、県立熊本工業高校教諭里野寿一容疑者(33)を覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕した。
 発表によると、里野容疑者は8月中旬頃、覚せい剤を使用した疑い。
 里野容疑者は26日午前10時頃、熊本市新屋敷2のマンションで、面識のない男子大学院生(23)方に「かくまってくれ」と上がり込み、トイレに約2時間閉じこもるなどし、県警が住居侵入容疑で現行犯逮捕。尿検査で覚せい剤の陽性反応が出たため、27日、同法違反容疑で再逮捕した。里野容疑者は「注射器で打った」と使用を認めているという。県警は、一連の行動は覚せい剤使用による幻覚症状とみている。 同校によると、里野容疑者は2000年4月から実習助手として同校に勤務し、07年4月に教諭として採用。繊維工業科で教えていた。同校野球部OBでもあり、1994年に選抜高校野球大会に出場した時の中心選手の一人だった。2000年から7年間は野球部コーチを務めていた。同校は今夏も甲子園に出場し、一回戦で三重に敗退している。 山本隆生県教育長は「行為に至った原因や背景を早急に究明し、対策を講じたい」とのコメントを発表した。』讀賣新聞 8月27日 忍び寄る覚せい剤の恐怖で、従来考えられなかった学校の先生の覚せい剤常用者が現実には増えて来ているのではとも考えられます。東京の中学校では、副校長も逮捕されています。なぜ選抜高校野球大会に出場し活躍した元選手で、7年間も熊本県立熊本工業高校の野球部コーチをした先生が覚せい剤常用者になったのか原因は分かりません。大麻と同様覚せい剤も教育現場に知らないうちに忍ぴよって来ているのかも分かりません。学校の先生の覚せい剤使用の実態数は今の所分かりませんが。学校の先生も覚せい剤の標的ととして、既に狙われているのかも分かりませんね。学校の先生の覚せい剤使用が広がれば、今度は生徒の覚せい剤使用者や中毒者が、学校に増える危険性も有りますす。最初は、ほんの心の緩みからストレス解消や疲労回復の薬として騙されて使われたのかも分かりませんが。残念ながら覚せい剤中毒者への第一歩を踏み出されてしまいました。今の内に文部科学省や厚生労働省、各都道府県教育委員会が協力して、大麻の使用と覚醒剤使用の問題に取り組むべきです。大麻や覚せい剤の使用が、低年齢化し取り返しの付かないことになることも考えられます。学校での大麻や覚せい剤の使用の拡大が起きないように対策を立てるべきだと思います。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より引用

☆熊本県立熊本工業高等学校

過去の名称 熊本県工業學校
熊本県立工業學校
熊本県立工業高等学校 設置者 熊本県

校訓

明朗真摯
創意工夫
友愛協調

設立年月日

1898年4月

男女共学

課程

全日制
定時制

学年制

設置学科

機械科
電気科
電子科
工業化学科
繊維工業科
土木科
建築科
材料技術科
インテリア科
情報システム科

所在地

熊本県熊本市上京塚町5番1号

電話番号

096-383-2105

FAX番号

096-385-4482

熊本県立熊本工業高等学校(くまもとけんりつ くまもとこうぎょうこうとうがっこう)は、熊本県熊本市上京塚町にキャンパスを置く、1898年(明治31年)に創立された県立の工業高等学校。現在の名称となったのは戦後の1951年(昭和26年)であり、それまでは数回の改称を経ている。略称は熊本工または熊工(くまこう)

熊工野球部という名前を全国区に押し上げたものとして、吹奏楽部(特に全日本マーチングコンテストでは金賞5回、銀賞6回受賞)、陸上部、駅伝部、バレー部、卓球部などの全国クラスの実力を誇る部活動の存在は大きい。その中でも、やはり野球部が第一に挙げられる。2007年現在でセンバツ20回、夏18回の計38回の甲子園出場を誇り、これは熊本県内の高校の中では、ダントツの甲子園出場回数となる。甲子園春夏通算勝敗は44勝38敗(春夏通算の甲子園出場回数、勝星数、九州大会優勝回数はすべて九州No.1の好成績)で、準優勝3回・ベスト4が5回。往年は「強打の熊工」の言葉が定着していて、「伝統の熊工打線」と言われる凄まじい強力打線を売り物としていた感があったが、1996年の夏の甲子園準優勝(対松山商戦)を境にして、最近は打撃の方はやや非力な印象は否めない。なお、通算勝利数が40勝以上でありながら、春夏を通じて甲子園の優勝経験がないのは、全国でも宮城県の東北高校と熊本工業高校だけである(両校とも準優勝の経験はある)。

これまでプロ野球界へ輩出した数は62名にも達し、公立高校の中では全国1位。川上哲治吉原正喜後藤次男山森雅文伊東勤井上真二緒方耕一前田智徳塩崎真田中秀太荒木雅博をはじめ、数多くの名選手を生んでいる。熊工は2008年度に創立110周年を迎えており、その記念事業の一環として、野球殿堂入りした川上哲治と吉原正喜の両名を称えるモニュメントが同校敷地内に建立されている。

甲子園の砂 敗退したチームの選手が涙を流しながら、甲子園の砂を持ち帰る姿が一つの風物詩のようになった昨今だが、実はこの砂を持ち帰る行為こそ、1937年中京商業学校との夏の選手権大会決勝戦で敗れた熊本県立工業学校の当時のエース川上哲治が思い出にと、熊工のグラウンドに撒くために、甲子園の土を記念にポケットに入れた行為が起源と言われている。

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