できないじゃない、やるの

2012-01-23 | 社労士日記
ときどきは頭をかすめていたけれど…

年始の大掃除のときに道村先生の記事が出てきた

TVも買ったことだし、ビデオをつないで『にっぽんの現場』でも見直そうかな…って、テープを探すのが難儀だな



***** 日経夕刊(1/23)「駆ける魂」より ここから *****
電車で「野口健さんですよね」と念を押されたことがある。山に登り、映像でよく見るということで、間違えた人は、ごちゃ混ぜになっているのだが、どこか、栗城史多(29)と野口には共通点が感じられる。

野口とは何度か食事もしたという。「生き方が普通じゃない。若い頃の不良から始まって、世界7大陸最高峰登頂最年少記録。清掃登山から、今は遺骨収集など自分がこうだと思ったらとことんやるところが、すごいなあと思う」

同じ道を行くわけではない。が、刺激はたっぷり受けている。栗城はエベレスト単独無酸素登頂をめざし、ヒマラヤ登山のインターネットでの生中継を通じて「冒険の共有」という新ジャンルの輪を広げている。

世の多くのアルピニストはこの2人を「異端」視する。プロの古典的な山男とは違うにおいがするからだろう。冒険家・三浦雄一郎は「現代において若者が命懸けで挑むことの大切さ、山の修練を積んだ高度に洗練されたものとは違う斬新な姿があるのではないか」と見ている。

栗城は北海道道南の檜山北高を卒業、ハチャメチャな高校生活から夢を求めて東京に出たという。「本当は演劇の劇作家になりたかったが、その夢はすぐ挫折して……」

1年間の東京暮らしを経て札幌の大学に入る。高3の時から付き合っていた2歳上の彼女から①車を持つ②大学に入る③公務員になる------の3条件を突き付けられたからだ。結局、2年間で恋は破れた。この間、ニートや引きこもりのような空白の時期もあった、と話す。

このままではいけないと思っていたころ、友人が通う大学に遊びに行った。山岳部のドアの前に「部員募集中」の貼り紙を見る。そういえば彼女の趣味は山だった。どうしてあんな危険なところに行くのか、どうして山に登るのか急に答えが知りたくなり、名前と電話番号を書いたという。

その山岳部の先輩と北海道の厳しい山行について登っているうちに、できる、できないは自分で勝手に決めていたことだと気づく。

「そこで初めて何か心の壁を越えたというか、何かを一生懸命生きる、頑張るということが初めてできた。それが山だった」

その時の充実感はこれまで経験したことのないものだった。

大学3年の2004年5月、北米最高峰のマッキンリー(6194メートル)に単独で挑もうと決意する。初めての海外旅行がマッキンリーとあって、だれもが無謀だと止めた。

「不可能だ」「死ぬぞ」

大学からも危険な行為として退学を勧告された。

当日、新千歳空港に見送る者は誰一人なかった。旅立つ直前、携帯電話が鳴った。父敏雄からだった。「帰ってきなさい」と言われたらやめようかと心は揺れていたが、そうではなかった。

「おまえを信じているから」

その言葉に栗城は涙を抑えることができなかった。「父のあの言葉があったから今の自分があると思う」。そこから栗城の冒険のテーマ「夢を否定しない」が生まれた。
(登山家 栗城史多)
***** 日経夕刊(1/23)「駆ける魂」より ここから *****



「できる」「できない」ではなくて、「できた」「できなかった」だよね

「できなかった」であれば、次に向けて進むしかないし

にしても、『にっぽんの現場』は約5年前か…あまり進歩してないのかな

まぁ4年近く前進できてないわけだし、その行動も中途半端だったわけで

自分も壁を越えてみたいものです…って、越えるだけか



新しいイスは安かったけど、意外に快適…ウシシ

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