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「PerformenVI~Paradiso~」 意欲的な劇でした

2011年05月09日 01時17分47秒 | 素人の劇評
「PerformenVI~Paradiso~」
電動夏子安置システム
5/8 14:00 Sバージョン
吉祥寺シアター

劇団のサイトには

「≪Performenの概要≫
「Performen」とは一種の英語はであるが、
「perform(規則的・持続的行動を成す)」+「men(者ども)」に由来する造語である。
なお、これは複数形であり、単数形では「Performan(パフォーマン)」となる。
パフォーマンとは、特定のシステムに縛られ延々と同じ動きを繰り返す「律動人型」の事である。
人は毎日、同じ事を繰り返し、生きている。
それが当然であると思われるかもしれないが、まさにそれこそがシステムであり、自覚とは無関係に自我を支配するまさに絶対的宇宙真理にして普遍の法則、『理(レゴラ)』と呼ばれる。
つまり『理』とは、時に「神」とか「運命」と呼ばれる創造主によって造られた律動人型が、その思惑通りに動かされ、考えさせられ、生活をおくらされる為のシステムとも言える。
創造主は「単調さ」を最もの善と価値づけるがゆえに、「単調さ」を否定する者を憎む。
「Performen」では、「運命・奇跡・偶然」それら類の事を、言い換えて、森羅万象を支配するのは『理(レゴラ)』と呼ばれるプログラミングと、それを施行するシステムの事であると定義した。
これは、この世に偶然や運命的という事象は何一つ無く、すべてはプログラミングされた当然かつ必然的事象しか存在しないという事を意味する。
「人は誰かに動かされていても、自分で動いていると感じる事が多い。」
大いなる錯覚である。
それが人である事の悲しき宿命ともいえる。」
という解説が載っていました。しかし、私にはよく理解できない。

大きな展開の中に、オムニバスコントをまぶして、客を飽きさせない、長い上演時間(2時間ちょっと)を感じさせない工夫が随所にありました。この「挿入」が意味あるものだったのかは、私にはよくわかりません。コントというよりも、「お笑い言葉ゲーム」といった感じで、それなりに面白いのですが、「人間の運命とは」を追求する劇の中で、意義があったのかは、やや疑問でした。(しかし、みなさんとともに私も笑っていましたが)
大人数の出演で、テンポの速さや動きの機敏さなど、よく練習していたと思わせるものでした。
「人間の運命」という大命題については、この劇を見終わったあとも、私には分からずじまいでした。これは当然のことですが、その手がかりをつかむきっかけを、先に述べた挿入コントが阻止してしまったのかもしれません。そのたびに思考が停止してしまうのですから。
大胆な実験としては、なかなか面白い劇でした。
コメント
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