T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

「奈落の水」を読み終えて!

2011-09-29 16:55:45 | 読書

澤田ふじ子の時代小説。京都の公事宿事件書留帳シリーズ第四弾。

 7編のあらすじを本書の解説文に沿って、以下に紹介する。

「奈落の水」

 鯉屋の向かい側の公事宿橘屋が、今、手こずっている争いを持っていた。お蔦という貧しい酌婦が育てている千代という娘をめぐる争いだ。

 千代はじつはお蔦の朋輩のお稲が、炭問屋伊勢屋八郎右衛門に生まされた子で、お稲は捨てられ間もなく病没したため、天明の大火でお稲とともに孤児になり、お互いに助け合い苦労したお蔦が引き取って育ててきたのだ。

 お稲と千代を捨てておいて、ここへきて伊勢屋八郎右衛門は、妻に子供ができないため、千代を奪おうとして争いになっているのだ。

 しかも、白洲の初めての対決で、伊勢屋と橘屋手代が、お蔦に養育の礼を述べるどころか、場末の酌婦が子供をろくに育てられるはずがないと言ったためになるものもならなくなった。

 長屋の子持ちの甚七夫婦に千代を預け、一膳飯屋で働くお蔦に最近怪しい男が付きまとい今晩も来ていた、何やら物騒な気配でお蔦を殺して千代を奪おうという悪巧みかと思ったが、菊太郎には、伊勢屋の女房の立場に立てば、そんな単純なものでないとひらめいた。同席していた友人の寺侍・赤松綱にその場を任せて、千代を助けに長屋に走った。

 伊勢屋の女房の言いつけで手代が甚七の家に来ていて、千代を殺そうとしていた。菊太郎は手代を悶絶させたところへお蔦も駆けつけてきた。

 お蔦は甚七から差し出された柄杓の水を飲みほして、奈落で生きてきたけど、奈落の水も美味しいと言う。

 伊勢屋の女房は自分の縁続きのものを跡継ぎにしようと思っていたのだ。

「厄介な虫」

 菊太郎が恋仲のお信の長屋を訪ねると、人品卑しからざる老人の先客があった。

 関東御呉服所の後藤家という立派な店に奉公し、総番頭にまで出世し、今は相談役という人も羨む境遇の老人だが、ただ一つ不幸のタネは子宝に恵まれなかったことだ。

 しかも、かっては悋気深かった妻が、外で生ませた子供が居たら引き取ると言いつのっているという。

 実をいうと老人は若かりし頃、後藤家の奥女中のお徳という女と浮気したことがあったが、子供の件は不明のままだということだ。

 鯉屋の公事として菊太郎は関係者の協力を得て捜したところ、男女の誰もが多少なりとも持つ厄介な虫を両人が気まぐれになだめただけで、子供はできなかったようだった。

 お徳は、その後も、金持ちの男と一時的な付き合いしながら金を貯めて、今では料理屋を営んでいたことが解った。

 お徳は、板前修業に出していた腹を痛めた息子を引き取り、母子で料理屋をやっているというのだったが、実際は若いツバメで、しかも、その若いツバメは別に惚れた女がいて、お徳の金を狙っていたのだ。

 ある時、お徳は若いツバメとその女の寝込みを襲い殺傷さして牢に入れられた。

「いずこの銭」

 下京の裏長屋に小判が投げ込みが相次ぎ、表沙汰になっただけでも十数件で、中には貧乏人から薬料を取らない町医者に数回に分けて80両もの大金を投げ込まれたという。

 時を同じくして、二軒の問屋の大店が蔵破りの被害にあい大金を盗まれるという事件が起きた。しかし、菊太郎はある点に不審を持った。蔵の中に金が残っていたのだ。

 菊太郎と赤松綱が検索した結果、二つの事件には直接関係が無く、投げ込み小判騒ぎに乗じて、二軒の大店の主が家のものに内緒で妾を囲うために、それに必要な金を自分で蔵から持ち出したのだ。

 小判の投げ込みのほうは、隠居の老婆が、跡取りの息子が飲む打つ買うの三拍子そろった道楽者だから、いずれ店が潰れるだろうから、それなら機嫌よく散財したほうが良いだろうと小間使いを使って長屋などに投げ込ませたのだ。

 菊太郎たちは、いずれ二軒の大店の主には、特別強いお灸をすえねばと相談していた。

「黄金の朝顔」

 黄金の花を咲かせるという触れ込みの世にも珍しい朝顔の苗を、蔦屋の奉公人が高価な値段で購入してきて丹精込めて育てていた。

 苗が成長してできた蕾や種子の数に応じて、買い戻してもらえるとのことだし、売り手は売りつけているわけでないのに、買い手はぜひにと頼み込んで求めているということだ。

 売り手は苗場に番小屋を立てて見張り人を置くという厳重な警戒ぶりだったが、ある日、その見張り人の勘助が殺害された。

 菊太郎や奉行所の者たちに勘助の妹が話すには、弥七という人から珍しい色の花を咲かせる朝顔の植え付けを頼まれ、苗が生えた時に焼き物問屋の森田屋清兵衛がぜひ売ってくれと言われ、弥七は尊い人から頼まれたので駄目だというのを無理に分けてあげたところが、それが噂になって多くの人が買いにやってきたということだ。

 森田屋清兵衛は責任の一端は自分にもあるので、苗を購入した人たちの苗代を肩代わりさせてもらうということを申し入れた。

 菊太郎の発案で、弥七は多くの人に見られているので似顔絵を描いて京の町に配った。

 数日して、もらい火して全焼した呉服問屋の手代が自首してきた。手代は手早く金が入用だったので企てたとのことだった。

「飛落人一件」

 清水の舞台から老人が飛び降り自殺した。餅屋松葉屋の隠居・太兵衛と判明し、以前、鯉屋に公事相談に来たこともあったが、手付金が無く引き返した老人だった。

 太兵衛は店を息子に譲って隠居したが、その息子が急死した。すると、嫁・お重にいびられ、太兵衛は追い出さられて、暖簾分けをした元の奉公人の家に厄介になっていたが、居なくなった数日後の自殺だった。

 元の奉公人にその顛末を聞いた菊太郎は、ほっておいては世の中の道理が立たぬと、その奉公人の名で目安状をしたためた。

 だが二日後に、お重の代理人の住職から奉行所に書状が届けられた。内容は松葉屋から離縁させてもらい身代はすべて放棄し、松葉屋から退去したいとのこと。お重としては公家侍との情事もあっては、土俵から逃げ出さざるを得なかったのだ。

「末の松山」

 奈良大工の吉野家といえば腕のいい職人ばかりを揃えた棟梁だったが、普請を任されていた彦根藩の京屋敷の工事を、途中で一方的に中止を通告された。

 職人たちは面目丸潰れだ。そこで、京都の町奉行に彦根藩の横暴を訴えるため、その公事を同業が嫌う中で鯉屋が担当することになった。職人が雄藩を訴えるという異例中の異例の訴訟だ。

 内情を調べると、彦根藩領内の御用大工たちが京の彦根藩御用達商人を通じて留守居役へ袖の下を掴ませ、自分たちに請負変更させたのだ。

 その頃、京で盆栽の盗難事件が相次いでいた。盆栽は当時いい値段で売れた。料亭重阿弥でも「末の松山」と名付けて主人が愛玩していた高価な盆栽が被害に遭う。犯人は間もなく挙り、下肥の汲み取り人の与吉と分かった。

 与吉は捨て子や身寄りのない年寄りなどをたくさん引き取って世話をしていたが、その食費にも困るようになって盗みを働いたのだという。

 重阿弥は菊太郎に相談し調査をしてもらうと真実だったので、減刑の嘆願書を出した。

 奉行は内々に目付屋敷に彦根藩と吉野家の関係者を呼んで、吉野家に非はない。しかし、元に戻すのは留守居役の面目が立たないので、予定した工事を別の形で依頼してほしいと言い、仔細は菊太郎が申し述べた。

 菊太郎は与吉の行為を話しして、寺の空き地に捨て子たちの家を彦根藩持ちで吉野家が請け負うことを申し出て一件落着となった。

「狐の扇」

 貸本屋徳右衛門は、ある日、伏見稲荷の茶店で強請りたかりを生業とする疫病神のような男・三次が手にしていた扇に目を留めた。その扇面は紛れもなく光悦と宗達の金銀泥絵和歌だった。

 三次はもちろんその価値など知らない。徳右衛門は一分金一つでそれを手に入れた。買えば20両もする高価な品だ。

 徳右衛門は番頭に命じて表具師に扇の修理を依頼したが、その際、変な詮索をされてはかなわぬと、これは偽物だと言い添えたのだが、もちろん表具師の目は騙せなかった。

 表具師は、これが偽物とみているならと、偽物を作り徳右衛門に渡した。本物も修理して他に売りつけて、番頭を巻き込み手元に入った金を山分けした。

 ある日、茶会で徳右衛門は本物が軸物になっていることを知った。それで、番頭に本当のことを言ってくれ、この店から縄付きを出したくないと言われ、番頭は困って、思案に悩んだ末、菊太郎に一切を告白した。

 菊太郎は伏見稲荷の茶店の少女からの話で、徳右衛門が三次を騙し他人の無知に付け込んだ欲深い行為が元であったことを知った。

 菊太郎は、稲荷の狐が三次から扇子を受け取り駕籠に乗る徳右衛門を見つめる絵を描いた扇子を出して、自分の店から縄付きを出さないように自分の行為を考えろと諭した。

 

 

   

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