T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1149話 [ 「女剣士」の読み比べ -4/?- ] 2/27・土曜(晴・曇)

2016-02-26 15:13:26 | 読書

                                 

[ 池波正太郎の「まんぞくまんぞく」 -2/?- ]

「あらすじ」

          ※ 青色、黄色の彩色部分は、私が補足したところ

           ※ 下線は、私が、この章のキーとなる文章と思ったところ。

2.―九年後― (辱めを受けて復讐心に燃え"男"になりきった女剣士)

一 ~ 二 侍を弄ぶ真琴

 ここで、物語は一気に九年後へ飛ぶ。

 安永4年(1775年)の夏のある日の夜更け、五つ半(午後9時)頃。

 料理屋の提灯を手にした酒に酔った上機嫌の二人の侍が、橋の西詰めに現れた。

 いつの間にか、橋の中央で二人の侍の前へ立ち塞がる人影が一つ。夏だというのに頭巾を被り、袴をつけた腰には大小の刀を帯びた小柄の男だ。

 侍の一人が、「退(の)けい」と男に掴みかかった。その瞬間、侍は、欄干を越え堀へ落ち込んでいった。連れの侍が立ち向かうも、敵わずと背を向けたとき、髷を切り落とされる。

 逃げる侍を見て、男は刀を鞘に収め、頭巾を脱いで袂に入れ、歩き出した。

 男は、男でない。女が男のの姿をしているのだ。この男装の女は、堀真琴である。

 真琴のこの夜の所業を見ると、剣術を相当に使うようになったと思ってよいだろう。

 いまも、真琴は、金吾の仇を討とうとしているのだろうか……。しかしながら、二人の侍をなぶりものにしておきながら、その面体を検めようともしなかったではないか。

 真琴から、友治郎のほうへも、無頼浪人はまだ見つからないのかとの督促はなくなっていた。

 二人の無頼浪人も江戸から離れてしまっているようで、この件を友治郎も忘れてしまっている。

 元道も、6年前に江戸を離れていた。

 ―中略―

 二人の侍を翻弄した真琴は、小舟で小梅村の舟着き場につけて、住んでいる百姓家の離れ屋に消えた。

 真琴は、暫くして、井戸端へ来て、頭から水をかぶりはじめた。真琴の肉体は、総体に引き締まっていて、ことに両腕の筋肉はなまじの男より鍛え抜かれている。

 それに、夜食を持ってきた百姓家の母屋の小娘に、「千代、まだ起きていたのか。早く休むがよいに……」と言った真琴の声は、これが女のものとは思えぬ。剣術の稽古で、激烈な気合い声を発するものだから、声帯が変ってしまったのだろう。

 この9年間、真琴は、激しい剣術の修業を続けて今日に至った。

三 剣術修業のため、別邸を離れ百姓家に住む真琴

 真琴が住んでいる離れ屋の百姓家の母屋には、元、堀家に奉公していた老爺・万右衛門と養女となる姪の千代がいて、真琴の世話をしていた。

 真琴が、伯父が立ててくれた離れ屋へ移り住んだのは、剣術修業のために道場を替えざるを得なくなった4年ほど前のことである。

四 ~ 五 真琴の今の姿を知る元道

 元道は3年振りに江戸に帰ってきて、知人の桑田勝蔵の道場に立ち寄った。その道場で、真琴は高弟3人の一人になって代稽古をしていた。 

 元道が、真琴は堀内蔵助の姪で、昔、あの子の危難を救ってやったことがあったのだと告げると、勝蔵は、襲われた件は知らなかったが、元道と2人の師匠である金子孫太郎先生(4年前まで真琴も稽古をしていた道場主)から頼まれて身柄を預かっているのだと経緯を打ち明けた。

 元道も9年前に真琴を救ったことや、真琴に同道していた家来の金吾が殺害されたことを語り始めた。

六 養女の申しつけに、剣術継続の条件を出す真琴

 いまの真琴は、9年前の真琴ではない。

 まず第一に、あの危難にあった後、1年後に、正式に伯父・堀内蔵助の養女になっている。

 内蔵助の長男・三十郎が急死して、内蔵助には他に子が無かったので、内蔵助は、堀家の血を引いた真琴を養女にして、これに婿を迎え、堀家の存続を図ることにした。妻にも打ち明けると、賛成してくれた。

 内蔵助は、本邸に真琴を呼び、養女の縁組について申し聞かせると、真琴は、お願いの筋があると言い、

「これより先も、自分が思うままに、剣術の修業を続けさせてください」

 と、条件を申し出る。

 内蔵助が、金吾の敵討ちを思っているのかと訊ねても答えなかった。

 その時点では、真琴は17歳で、まだ敵討ちを諦めていなかった。真琴は、剣術の腕が上がったら、江戸を離れ、敵討ちの旅に出るつもりでいたのだ。

 養女になったらそのような勝手気ままな行動は許されないのだが、真琴は、(困るのは叔父で、私は知らぬ)と、敵討ちとは別に、自分の父親のことについて、内蔵助が何も話してくれないことへの一種の復讐をするつもりでもいた。

七 内蔵助への不信感か、意固地になっている真琴

 真琴は伯父の内蔵助に対し、強い不信感を抱いていた。それは、真琴の胸に幼い頃から積もり積もってきたものである。いうまでもなく、生母の元と実父の関係を、伯父はいまだ真琴へ打ち明けてくれないのである。

 金吾は、実父の名を佐々木兵馬と教えてくれた。それ以上のことは、真琴が成人したあかつきに、いずれお分かりになるときも、あろうかとぞんじますと、煮え切らぬ口調で密かに囁いていたものだ。伯父は、何度聞いても、わしは知らぬとか、訳の分からぬことばかり言うのみだし、ついには、つまらぬことを、何時までも気にかけているのではないと、声を荒げ、席を立ってしまう。

 ―中略―

 内蔵助は、真琴の養女縁組が整うや、上屋敷に戻るように真琴に命じた。

「では、実の父上のことを、詳しくお話し下されませ。それならば戻りましょう」

 と、真琴が言うので、内蔵助は、いっときも早く真琴に婿を取らせ、上屋敷に戻さねばと思った。しかし、そのうちに、時が数年過ぎていた。

 この間、一日も休まずに、広尾の別邸から湯島の金子道場へ通いつめた。往復三里を、真琴はものともしなかった。そして、真琴の腕前は急速に上達した。

 内蔵助は、何度も孫十郎に頼み、いっときも早く真琴に剣術を止めさせようと図り、孫十郎も賛成で、もはや、わが道場へ来るに及ばぬと思い切って申し渡したのが、4年前のことであった。

 時に真琴は21歳。本邸に帰るどころか、真琴はもはや剣の道から、「離れようとて、離れられぬ……」女となってしまっていたのである。

 そこで、真琴は、かねて知り合いの桑田勝蔵の道場へ通い始めた。住むところも別邸から万右衛門の家の離れ屋に移転した。

 勝蔵は、金子先生から真琴を早く堀家へ返せと言われていたが、どんどん腕上がるので教えるのが面白くなって、手放せなくなるほど上達していた。

―中略―

 これまでに、何度も真琴に縁談があったが、

「私めを打ち負かすほどの男なれば、どなたにてもかまいませぬ。妻になりまする」

 これが、真琴の条件であった。

八 剣術の上達により敵討ちも忘却している慢心の真琴

 いまの真琴は、ことある度に、亡き金吾を偲んでいるけれども、その敵討ちについては諦めていた。諦めが忘却に変っていたのだ。

 一念、敵を討たんがために始めた剣術の修業であったが、励むにつれて上達し、男の剣士たちと闘っても負けをとることは滅多にない。 そうなったときの愉快さ、爽快さは、真琴が女の身だけに層倍のものとなっている。

(油断はならぬ。どこまでも修業じゃ。修業を忘れてはならぬ)

 と、努めて自分の慢心を戒めているが、ともすれば、

(強い。私は、本当に強くなったようだ……) と思わざるを得ないのだ。

 この自信と慢心の差は紙一重なのだが、まだ真琴は、そこまで気づいていない。

 なんとなれば、夜更けの猿子橋で、通りかかった二人の侍をからかい、川に投げたり、投げを切ったりするという悪戯をしてのけたからである。

 このような事を、一年前のいまごろから、ふた月か三月に一回か、ときには月に二度もやってのけては、ひとり、会心の笑みを浮かべる真琴なのである。

 ◆

 真琴は総じて、世の男という生き物に、不審と憎しみを抱いてるようだ。

 自分の実父の兵馬にしても、

(母を騙したうえに、どこかへ逃げ去ってしまったのであろう。なればこそ、伯父上は父のことをお話になさらぬのだ)

 と、思うほどだった。

 また、伯父にしても、真琴の眼から見ると、ひたすらに家名の存続を願い、そのためには、どのようなことでもしてのける男に思える。自分を養女にしたのも、その一念からだと、真琴は思い込んでいるのだ。

(両親の愛情を知らない、操を犯されそうになった少女が、男剣士に負けないほどの女剣士になり、慢心の心が男を憎むほどになる)

                             次章(3.―稲妻―)へ続く

 

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