「あらすじ」
第一話の続き
[五郎との過去を思い出す二美子]
二美子が五郎と出会ったのは2年前の春だった。
二美子が出向した勤務先に、別の会社から出向してきた五郎がいた。二美子はその出向先のプロジェクトでチーフを任されていた。
五郎はチームで一番若いにもかからわず誰よりも仕事ができた。エンジニアとしてのスキルは高く、黙々と仕事をこなす姿は二美子でさえ頼もしく思ったほどである。
ある時、納期のせまった案件に手痛いバグが見つかった。
納期まで一週間。対応に最低でも一か月はかかるミスの発覚に、二美子も辞表を出す覚悟を決めていた。
そんな中、五郎が出向先に姿を見せなくなった。連絡もつかない。それゆえ、誰でもが、バグは五郎のミスではないかと勘ぐり始めた。
その五郎が、連絡が取れなくなってから四日目、バグが見つかったと言って現れた。難問の解決を一人で成し遂げて見せたのだ。
二美子は、五郎に感謝の気持ちを伝え、一瞬でも五郎のミスだと思ったことを謝った。
だが、頭を下げた二美子に五郎は笑顔で、「じゃ、コーヒーでも奢ってください」と言っただけだった。
二美子が恋に落ちた瞬間である。
仕事でもなんでもそうだが、五郎は一つのことを黙々とやるタイプである。目標に向かうとそれしか見えなくなる。
五郎は、アメリカのゲーム会社TIP・Gへ入社することが夢だった。その夢を語る五郎を見て、二美子は私と夢とどちらを選ぶのだろうと不安になっていた。
時は流れ、この春、五郎はTIP・Gへの入社を勝ち取り、夢を叶えたのだ。
二美子の不安は的中した。五郎はアメリカ行きを選んだ。二美子がそのことを知らされたのは一週間前の、この喫茶店である。
[過去に戻った二美子。喫茶店・フニクリフニクラに五郎が現れる]
二美子は夢から覚めるように、朦朧としたまま目を開ける。
すると、魂が湯気のように揺らめいていた間隔はパッと消えさり、あいまいだった手足の感覚が戻ってきた。
気がつくと、目の前に、自分の姿を怪訝そうに見つめる男がいた。間違いなければ五郎である。
二美子は、本当に過去に戻ってきたことを実感した。
五郎が怪訝そうな顔をしている理由はすぐに理解できた。
店内の様子も、一っ週間前に戻っていたが、一つだけ違うことがある。
二美子はワンピースの女が座っていた席にいて、そのテーブルの向かいに五郎がいるのだ。
「じゃ、俺、時間なんで……」
五郎が一度聞いたセリフを吐いた。
「あ、大丈夫時間がないんだよね? 私もないから(コーヒーが冷めない間)……」
「なに?」
「ごめん……」
会話が嚙み合っていない。
二美子は、まず落ち着こうと、五郎の顔色をうかがいながらコーヒーを一口飲んだ。
「このコーヒーぬるいわ! こんなのすぐ冷めちゃうじゃない。それに、にがい」と言って、カップに砂糖を入れた。
そして、「……とにかく、ちゃんと話をしておきたいの」と言う。
五郎がまた時計を見た。
二美子は味見のためにコーヒーを一口飲んで、うんうんと頷いて、五郎を見ながら、
「なんでこいつ、こんな大事な時にコーヒーなんか飲んでんだよって顔してる……」と言う。
「……してないよ」
「してるよ! 君の考えてることは顔見れば分かるもの」
二美子はキーキー声で反論した。
「……」
「……」
案の定、会話が途切れ、二美子は後悔した。
五郎は気まずそうに立ち上がると、カウンターの中にいる数に、「いくらですか?」と声をかけた。
「待って! こんなこと言うために来たんじゃないのよ」
「は?」
(行かないで) (と、二美子の心は叫ぶ、しかし、口からは)
「なんで相談してくれなかったの?」 (との言葉が出る。)
(行ってほしくない) 〃
「君が仕事のこと大事にしているの知っている……」 〃
「別にアメリカに行くのはいいよ、反対もしない……」 〃
(ずっと一緒にいられると思ってた) 〃
「でも、せめて」 〃
(そう思ってたのは、私だけだったの?) 〃
「相談してほしかった……」 〃
「相談もなく、かってに行っちゃうなんて」 〃
(私はあなたを本気で) 〃
「なんか、それってちょっと」 〃
(愛していたの) 〃
「さみしくなって……」 〃
五郎は、「……」
「それだけ」
現実が変わらないなら、正直に言ってしまえと二美子は思ったが、言えなかった。
仕事と私、どっちを取るの? そういっているようで嫌だった。三つ年下の彼氏にそんな女々しいことを言っている自分になりたくなかった。仕事でも先を行かれた。プライドもあったし、素直になれなかった。だが、何もかもがもう遅い。
「いいよ、行って、もういいや……どうせ、なに言っても、君がアメリカに行っちゃうことは変わらないんだし……」
二美子はそう言うと、コーヒーを一気に飲みほした。
そして、(何をしに来たんだろう)と思ったときだった。
五郎が一言つぶやいた。
「ずっと、僕は、君にふさわしい男でないと……そう思ってた」
二美子は五郎がなにを言っているのか、とっさには理解ができなかった。
「僕はこんなだから」
そう言って、五郎は前髪をかきあげた。前髪で隠れていた右眉の上から右耳にかけて、大きな火傷の跡があった。
「君に出会うまで、女の人は、気味悪がって話しかけてもくれなかったから……」
「(そんなこと気にしたことなんてない)」
「君はいつか……他のカッコいい男性を好きになると……」
「(ありえない)」
二美子は、初めて聞く五郎の告白にショックを受けていた。
(まさか、そんなことを気にしていたなんて……。私は、彼の気持ちなんて、ちっとも分っていなかった)
五郎は伝票を取り上げ、レジ前に向かって歩き出した。
二美子は、真っ赤になった目をゆっくりと閉じようとした。
その時、五郎が二美子に背を向けたままつぶやいた。
「……3年待ってほしい……必ず帰ってくるから」
五郎の小さな声は、二美子の耳にはっきり聞き取れた。
「帰ってきたら……」
五郎は二美子に背を向けたままボソボソと何か言った。
「……え?」
その瞬間、二美子の意識は、揺らめく湯気のようにその場から消え去った。
意識が消える間際、喫茶店を出る前に振り向いた五郎の顔が見えた。
[現実の喫茶店に戻った二美子]
気がつくと、一人きりで例の席に座っていた。
口の中は甘ったるい。目の前のコーヒーは空になっていた。
「どいて! 」
妙に迫力のある低い声がした。ワンピースの女がトイレから戻って来たのだ。
いまだ、夢心地のような感覚は消えていない。
「いかがでしたか? 」
数のこの一言で、二美子はやはり自分は過去に戻っていたんだと実感した。
(だとすれば)だと思いながら、
「現実はなにも変わらないんだよね。でも、これからのことは? 」と、数に聞いた。
数は、二美子に向き直り、
「未来は、まだおとずれてませんから、それはお客様次第かと……」と、ニッコリと笑顔を見せた。
二美子は支払いを終えて、「……ありがと」と、数に深々と頭を下げた。そして、もう一度、喫茶店自体に頭を下げて颯爽と出て行った。
カランコロン
終
第二話の「あらすじ」に続く