T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1288回 [ 「この嘘がばれないうちに」を読み終えて 8/? ] 4/24・月曜(晴・曇)

2017-04-23 11:22:30 | 読書

そのⅢ ―[母への嘘をばらした数のマドラー]―

 豆を挽く音で、幸雄はカウンターに目を向けた。

 ゴリゴリと豆を挽いているのは、見たこともない、糸のような細い目の大男である。

 店内を見回したが、幸雄のほかにはその大男しかいなかった。幸雄は、すぐに、

 (本当に過去に戻って来たのか?)という疑問を抱いたが、確かめる方法は思いつかなかった。

 絹代が入院したのは半年前の春だと京子に聞いていたので、幸雄は、「今は、何年何月ですか?」と聞くために、「あの」と大男に声をかけた。

 カランコロン。

「あ……」

 絹代の姿を目の前にした瞬間、幸雄は、絹代から見えないように顔を伏せた。

 (入院直前に来てしまったのか……)

 目の前に現れた絹代は、「あら……。どうしたの?」

 京都に居るはずの幸雄が、突然この喫茶店に現れたことに驚いた。

「元気そうだね。ちょっとね」と、幸雄も笑顔で返した。

「流さん、私にコーヒーをこちらにお願いできますか」と告げて、幸雄の座るテーブル席に向かって行き、向かいの席に腰を下ろした。

 絹代は、何十年も前からの常連である。この席に座っている幸雄が未来から来たことは言わなくても理解しているだろう。幸雄は、この状況で、未来から来た理由を聞かれるのだけは避けたかった。

 (亡くなった母に会いに来た……)なんて、口が裂けても言えるわけがない。

 幸雄はとにかく何か話さなくてはとあせってしまい、つい、

「ちょっと、痩せた?」と口走ってしまった。

「あらそう。嬉しい」と言って、頬を両手で押さえ、喜びの仕草を見せた。

 幸雄はその反応を見て、

 (もしかして、まだ、自分の病気の事を知らないのかもしれない……)と思って(よかった)とほっとした。

「あんたもちょっと痩せたんじゃない? ご飯、ちゃんと食べてる?」

「食べているよ。最近はちゃんと自炊も始めたんだ」

 (幸雄は、絹代の訃報を聞いてから、まともな食事をしていなかったんだ)

「洗濯は?」

「ちゃんとやっている」

 (もう1か月近く、同じ服を着ている。分かったかな)

「どんなに疲れても、ちゃんとお布団で寝るのよ」

「分かってる」

 (自宅アパートはもう解約済みなんだ)

「お金に困ったら、人に借りずに、ちゃんと言うのよ。沢山は出せないけど、少しなら何とかなるから」

「大丈夫……」

 自己破産の手続きは昨日終わった。もう、多額の借金で、絹代や京子に迷惑をかけることはない。

 幸雄はただ、最後に絹代の顔を見たいだけだった。

 幸雄は生きる意味を見失っていた。

 絹代を悲しませたくない。その一心だけで、騙されても、どんなに苦しい状況になっても踏ん張ってきた。

 親より先に死ぬわけにはいかないと、前を向いて生きてきた。だが、その絹代は、現実に戻れば、もういない……。

「俺、やっと陶芸家として自分の窯が持てることになったんだ」

「本当に? ……よかった」

 絹代の目から涙があふれ出た。幸雄は、

「だから、これ……」と、絹代の前に差し出した。幸雄が京都に旅発つときに、絹代から渡された通帳と印鑑だった。

 どんなに生活が苦しくても、このお金だけは使うことができなかった。陶芸家として成功したら返そうと心に決めていた。

「でも、これは……」

「いいんだ。これがあったから、どんなに辛いことがあっても乗り越えてこれたんだ。これを母さんに返すために頑張ってきたんだから……」

 嘘ではなかった。

「受け取ってほしい」

 幸雄は深く頭を下げた。

 (これで、思い残すことはない。あとは、コーヒーが冷めるのを待つだけでいい)

 幸雄は最初から、現実に戻る気はなかった。

 絹代が死んだと聞かされてから、この瞬間だけを思い描いて生きながらえた。ただ死ぬわけいかない。借金を残せば、家族に迷惑がかかる。

 幸雄は、この1か月、必死で自己破産の準備を進めてきた。葬儀に出るための交通費すらなかったが、日雇いのバイトを繰り返し、弁護士に支払うだけのお金と、ここに来るだけの交通費を捻出した。

 すべてはこの瞬間のためだった。

 今、幸雄の心には、(よかった)という満足感と、(これで楽になれる)という解放感だけがあった。

 その時である。

 ピピピピ、ピピピピ……。

 幸雄のカップから小さなアラームが鳴り響いた。

 音が鳴ったことで、数の言葉を思い出した。幸雄は、音のなっているマドラーをカップから取り出しながら、

「そういえば、ここのウエイトレスさんが母さんによろしく伝えてくれって……」と、数から託された言葉を絹代に伝えた。

「数ちゃんが……?」

 絹代は一瞬表情を曇らせたが、すぐに、にこやかな顔を幸雄に向けた。

「絹代さん……」

 カウンターの中から、流が青い顔をして絹代に声をかけた。絹代は微笑んで、

「分かっている」とだけ答えた。

 ―中略―

 絹代が、なんとなく幸雄に尋ねた。

「その席に座っていた白いワンピースを着た女性がいたでしょ」

「うん?」

「彼女は亡くなった旦那さんに会いに行ったんだけど、過去に戻って、どんなやり取りがあったかは誰にも分からないのだが、戻って来なかったの……」

「……」

「そのとき、コ―ヒーを入れたのは、当時7歳だった数ちゃんなの……」

「……そうなんだ」

 幸雄は興味なさそうに呟いた。絹代は続けて、

「数ちゃんは戻って来なかった彼女と母娘なのよ。数ちゃんは、それからは、死んだ人に会いに行く人のカップには、そのマドラーを入れるの。コーヒーが冷めきってしまう前に鳴るのよ……」

「え?」

「数ちゃんはね。私にしかできない最後の仕事をくれたのよ。……戻るのよ、未来に……」

 絹代は優しくそう言って、微笑んだ。

「嫌だ」

「さっきの、通帳と印鑑、あんたの気持ちが詰まったものだから、母さんも使わずにお墓まで持ってくわ」

 カランコロン。

「母さん……」

 絹代は、優しい笑顔で幸雄の目を見た。

「数ちゃんに、ありがと、って伝えてくれる」

「……」

 幸雄は(わかった)と返事をしたつもりだっだ、息を飲むと、震える手でカップを持ち上げた。

 ―中略―

 幸雄は、(自分が死ねば全てが終わる)と、思っていた。死んだ絹代には関係ない、と。だが、それは違ったのだ。死んでも母であることに変わりはない。想いに変わりはない。

 (死んだ母をも悲しませるところだった)

 幸雄は一気にコーヒーを飲みほした。

 ぐらりと目まいがして、体が湯気になる。

 幸雄のまわりの景色が上から下へと流れ始めた。時間が過去から未来へと戻っていく。

 ―中略―

 (もし、あのとき、アラームが鳴らなかったら……あのまま、コーヒーが冷めるのを待っていたら、母さんを最後まで不幸にするところだった……)

 (陶芸家を目指して、成功に捉われ、騙され、自分ばかりが、なぜこんな不幸な目に合わなければならないのかと、嘆き苦しんだけど、自分がそれ以上の苦しみを母さんに与えるところだった……)

 (生きよう……何があっても……最後の最後まで、自分の幸せを願ってやまなかった母さんのために……)

   

 トイレからワンピースの女が戻って来た。

「どいて」と、不服そうに呟いた。

 ―中略―

 幸雄は、数の背に向かって声をかけた。

「母が……あなたに感謝していました」

「そうですか……」

「私も……」と、幸雄は深く頭を下げた。

                     

                              

      第三話「恋人」に続く

 

 

 

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