今日、私が、思うこと。【略して「キョウワタ」】

ハンパな知識でも、今日私が思ったことを、素直に書いてみます。

No.419    すばらしい笑顔との出逢い

2009年03月31日 22時54分42秒 | Weblog
ある社長さんからすばらしい社長さんを紹介された。
ほぼ偶然に近い。
以前から紹介者の社長さんに「すばらしい人だよ」と聞いていたが、しばらくお話して実感できた。

特に笑顔がいい。
すばらしい!
相手を幸せな気持ちにする笑顔だ。

もちろんその社長さんにもいろんな顔があるだろう。
家庭での顔、
上司としての顔、
友人と騒いでいるときの顔など。

それでもその人の根本にある「品」だけは、作れないと思っている。
私は自分が上品だとは決して思わないが、「品性下劣な人間」になるくらいなら死んだ方がましだ。

どんなにおいしそうなニンジンが鼻先にぶら下げられても、そしてその時どんなに空腹でも、それが「わけあり」だとわかれば満腹な顔してゲップしてやりたい。

そんな「正しい建前」が現代では消えつつあるようで、とてもいやだ。

No.418   覚悟が問われる瞬間

2009年03月30日 18時02分13秒 | Weblog
送別会の帰りに駅でチンピラにからまれた。
考えてみると、あんまり経験の無いことだ。
仲間の足にわざと足をかけて転ばそうとしたのを後ろで目撃し注意したところ、
「覚悟はあるのか?」と問う。
最初何を言っているのかわからなかった。
「覚悟はあるのか?」とやつらは繰り返す。

それは(やったのは俺達だ。文句を言うならそれだけの覚悟があって言っているんだろうな?俺達は強いのだ。)という意味だった。
文句を言うくらいだったら勝負しろ!という脅しである。

こちらは大勢だったが、だんだんやつらがつかみかかろうとしてくるのでみんなでその場を後にした。
何人かにからんできていたが、とにかく去った。
馬鹿馬鹿しいから。

ただこのケースは「国対国」でも起こること。
半島の北の方ではわが国の国民を誘拐・拉致しておいて開き直っている。
その上援助しないならミサイル撃つぞ!だ。

わが国もある意味覚悟を試されている。
つきあいたくないが、逃げるわけにもいかない。
味方を多くしてならず者をつまみ出したいものだ。

No.417 送別会

2009年03月27日 18時26分29秒 | Weblog
自慢ではないが数え切れないほどの「送別会」をしていただいた。
本当にありがたいことだ。

転勤するとき。
異動するとき。
退職するとき。

その数だけ思い出がある。
歳月がたつほど、その意味が増す。

今晩仲間が職場を去る。
その行く末に幸せが多く待ち受けることを祈る。

No.415    『イオンの反省』

2009年03月25日 23時33分06秒 | Weblog
新聞広告で久々にぶったまげた。
全頁を使った2色刷りの広告。
タイトルは「イオンの反省」。
誰が見ても読みたくなるタイトルだ。
いわゆる「つかみはオッケー」だ。

9行のボディーコピーを読んでいく。
少し重たい。
いやっ・・・不祥事を起こしたときの「お詫び広告」に近い!
イオンは何か悪いことをしたのか?

「イオンの反省

私たちイオンは、世の中の変化に対応できず、お客さまを見失っていたことを反省します。百年に一度と言われる不況の中、イオンは、お客さまが本当に求めている商品やサービスを提供できていませんでした。

◎イオンの価格は、他店にくらべて、決して安くはありませんでした。
◎イオンの売場には、欲しいと思える商品が並んでいませんでした。
◎イオンは、お客さまへのサービス改善を、怠っていました。

私たちは、反省します。お客さまの声に深く耳を傾け、他の優れた企業から積極的に学びます。もう一度、お客さまが求める本当の低価格、売場、サービスを取り戻すことに全力を尽くしていきます。」(全文まま)

このコピーのほかには「AEON」のロゴのみである。
相当なインパクトだ。
たしかにイオンは数年ぶりの赤字決算を余儀なくされている。
だがここまで言うのは、普通じゃない。

岡田社長の並々ならぬ意志を感じた。
コピーライターが仕上たであろうこのコピーには、キッチリと経営者の意志が刻まれている。
これは小手先の企画ではない。
岡田社長の本当の「反省」なのだ。
だから力がある。
この企画には「なんちゃって!」も、「実はセールします」もない。

コピーの師匠にメールした。
返信メールにはこう書いてあった。

「イオンの反省」、すばらしいを通り越して凄いですね。
実は事務所の壁に貼付けてあります。
あれが「広告」ですよね。

同じ感覚で受け止めてくれて、心から嬉しかった。

No.414   「サムライ」が勝った意味

2009年03月24日 19時11分23秒 | Weblog
「サムライ・ジャパン」は「星野ジャパン」や「岡田ジャパン」より好きな名前だ。
チームスポーツに監督や特定の有名選手の名前が「冠」になるのはそぐわないとずっと感じているから。

そして「サムライ」は『武士道』を重んじ激しいプレーの中にもまるで「武道」のような「礼儀」を感じるからいい。
それは「おとなしい」とは決して同じではない。
イチローよりもそれは小笠原などに感じる。

私は野球をやっていたのでサッカーのラフスタイルはなじまない。
サッカーをやっていた人間は、野球の堅苦しさが好きでないと聞いたことがある。
それはも生き方の問題にもつながるが、どちらかを否定する気持ちは無い。

ただいつも韓国選手の「神聖なマウンドを汚す行為」だけは許せない。

品の無いチームに堂々と勝利し世界一となった「サムライ・ジャパン」を心から称えたい。

No.413   悪友の東京マラソン

2009年03月23日 17時12分24秒 | Weblog
私の悪友が東京マラソンを完走した。
初のフルマラソンで4時間48分というタイムも大したものだ。
昨日の東京はスタート時点では曇りだったそうだが、ゴールの頃は強風と小雨で大変だったようだ。

思えば昨年秋、東京マラソンを走るのだと聞いた。
1年間練習していると聞いた。
東京マラソンでないといやだ、と言う。
ミーハーな友人だ。

ただ練習だけはホンモノだったようだ。
なぜなら今日ちゃんと出社している!
これはすごいことだ。
私なら筋肉痛でお休みだろう。

「東京の風景を堪能した?」
と聞いたところ、
「そんな余裕は無かったね・・・後半35km過ぎからは死にそうだったよ!」

ハイテクも駆使されている。
足にチップを埋め込んだタグをつけて走るため、自分のゴールシーンの映像がインターネットで映像で再現されるそうだ。
すごい時代だ。
本人いわく「ひどいゴールシーンだったよ・・・」(笑)。

昨秋私は冗談半分に聞いていた。
頑張った悪友を少しだけ見直した。

No.412 死刑はなぜできたか?

2009年03月22日 18時50分08秒 | Weblog
裁判員制度の実施を前に死刑と無期懲役との間に「終身刑」と言う刑を新設しようとしている人たちがいるらしい。
無期懲役との違いは仮釈放がないこと。
死ぬまで刑務所暮らしだ。

裁判員制度が始まった時に刑の重さを決める際、今のままでは極端に差があるから、ということらしいが。


これを機に死刑廃止へのステップを踏もうという輩もいるそうだ。

私の死刑に対する考え方はシンプルだ。
江戸時代までは主君殺しをされた家はその仇討ちを完了するまで御家再興は許されなかった。
だから血眼になって仇討ちが行われた。
それを全ての人が奨励した。

明治に入り先進国の仲間入りをするために「富国強兵」のスローガンの下、国民の数を増やす必要が生じた。
江戸幕府のように仇討ちを奨励していては「殺人の連鎖」が止まらない。
そこで「仇討ちの禁止」が発表される。

罪を犯したものは国家が代わりに処罰する…という趣旨だった。

だから死刑は無くすと「目には目を」の世界へ逆戻りする可能性を恐れる。
自分自身身内の人間が殺されて犯人が死刑にならなかった場合、何をしでかすかわかりはしない。

国家は仇討ちを禁じた経緯と責任を放棄してはいけない。


さて終身刑をどう考えるか?
まずなぜ刑務所を出る可能性がない囚人を税金で生かし続けるのか?と言う疑問がある。
日本の刑法の基本理念は「罪人の反省と更正~社会復帰」を前提にしているそうだがそれにも反する。

かえって残酷なんではないか?

私が罪人なら死刑にしていただきたい。
もちろん自分の罪を認めていた場合だが。

最近は死刑囚のブログが人気だとか。

そんな自己表現を認めてくれる時代になったのか、と思う。

コミュニケーションの重要性が塀の中でも問われる時代になってきた。

キョウワタでしっかり練習しておこう(笑)。

No.411  時間の流れ方

2009年03月21日 13時41分14秒 | Weblog
先日一通の手紙が届いた。
正月にクラス会をやった同級生からだった。
(みんな律儀だな)
と思って封を開けると、そこには意外なことが書かれていた。

その女子は一次会の終了より前に帰りたいと会が始まる前に聞いていた。
会の段取りもそれにあわせて早めた。
みんなにはみんなの都合があって当然。
幹事はできる範囲でみんなを楽しませるのみだ。

全体での記念撮影まで終わってその子が先に帰る案内を告げ、みんなで拍手で送り出した。
その時出口まで見送ったが、鈍感な私は何も気づかなかった。

その手紙には会の開催と写真を送ったことへの御礼が書かれていた。
実は会を非常に楽しみにしていたこと。
ただ入院中のお父さまの病状が急変したことで早退せざるを得なかったこと。
そしてその12日後帰らぬ人となったことが記されていた。

正直驚いた。
人間の時間はすべて並行して動いている。
楽しい時間も、辛い時間も、一つずつ動いてはくれない。
そんな当たり前のことを感じた手紙だった。

メール全盛の時代。
アンジェラ・アキではないけれど「手紙」は人生という時間を考えさせる重要なものだな、と思った。

No.410 いつもそばに

2009年03月20日 19時59分14秒 | Weblog
世の中にはいろんな分野の専門家がいる。
レベルにもいろいろある。
大抵は「点」での付き合いが多く、コンサルティングフィーも高額だ。

私が目指すのは「マーケティング&コミュニケーションコンサルタント」だ。
それは「いつもそばにいてクライアントのマーケティングやコミュニケーションの課題を共に考える」役割を担う。

マクロ経済の中にミクロ経済。
ミクロ経済の中に企業の経営。
経営の中にマーケティング。
マーケティングの中に広告やPRを含むコミュニケーション。

だからクライアントの経営に寄与するためには最低でも「マーケティングコンサルタント」を目指す必要に迫られる。
願わくは経営に関しても知識が必要だ。

世の中に「広告屋」は掃いて捨てるほどいる。
自分の都合で出来合いのものを売り付けるスタンスには立てそうにない。

クライアントの経営に寄与してこそコンサルタント。

道は険しいがそこにしか私の生きる道は無いように思い始めている。