今日、私が、思うこと。【略して「キョウワタ」】

ハンパな知識でも、今日私が思ったことを、素直に書いてみます。

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No.1323   私のバイブル

2015年07月20日 16時04分35秒 | 日記
このブログでも書いたかもしれない話だが、もう忘れてしまったので書いても構わないだろう。
U+A0
『不動心』という本がある。
本のカバーには
昭和47年初刷
昭和51年34刷
と書いてある。
赤茶けたページが時間を物語っている。
U+A0
京都の大仙院の住職「尾関宗園」というお坊さんが書いた本だ。
兄が中学の修学旅行でこのお寺を訪ねてお話を聞き、本を買ってきた。
本人のサイン入りだ。
プロフィールを読むとなんと昭和7年生まれ。
父と同い年だ。
今もお元気だろうか?
U+A0
この本をおそらく小学校高学年の私が自宅で読んだ(はず)。
そしていたく感動した。
涙しながら、何度も何度も読んだ。
続編まで買って読んだ。
いつのまにか兄から奪い取ったのか、ずっと私の手元にある。
そして人生の時々で開いてみる。
U+A0
辛い時も、開く、
哀しい時も、開く、
苦しい時も、開く、
切ない時も、開く、
そして迷える時も、開く。
U+A0
こんな風に書くとしょっちゅう読んでいるみたいだが、今回はおそらく10年以上ぶりだ。
いや、もっとかもしれない。
U+A0
今読んでも、「実にいい」。
10代の私と変わらぬ感動がそこにはある。
忘れかけていた感覚がよみがえるヨロコビが、ある。
本は同じ内容でも年齢が違うと感じ方が変わると思う。
この本は変わらない。
自分がそのころの自分に戻ってしまう。
「初心」と呼んでもいいのかな?
だから勝手に「バイブル」と呼んでいる。
U+A0
中学時代にしきりにこの本のことを担任の先生に絶賛したところ、突然このお坊さんが我が校に講演にやってきた。
ものすごく嬉しかったが、期待しすぎたのか?内容は本の方がずっと良かった。
残念だったがその「ご縁」をつくりだしてくれた(であろう)素敵な先生方に今頃になって感謝したい。
U+A0
U+A0
私は今回大きく自分に響いたのは下記の章だ。
U+2162 心を空にする
 愚に徹する  ~おろかな自分にエサをやる~
U+A0
養愚=バカな部分にメシを食わす
「人間はどうしても自分の中の「賢」の部分を養いたいものだ。リコウになろう、人よりエラクなろうと考える。だから「賢」の部分にばかり、メシを食わせる。自分の中の「愚」の部分には気づかない。いや、気づいても、それは、ひた隠しにする。愚の部分に触られると恥ずかしい。腹を立てる。こうして。いつも他人の目を意識し、自分本来の生き方を見失ってしまう。
これに対して、自分の中の愚かさを養い、「鈍」な部分にメシを食わせてやれば、誰に見られようと、なんと言われようと、腹も立たない。生活も楽しくなる。「養愚」とは、こういう恐ろしい考え方だ。そのくらいでなければ坊主はつとまらんというのだ。坊主だけではない。現代を生き抜くためには、こういう考え方が、誰にも必要だ。」
U+A0
U+A0
妙に経験を積んで小利口になって、
周りのほとんどの社員が年下になって、
自分がどう思われているんだろうか?
などと人の言葉の裏を読んで・・・
U+A0
アホな自分で、
まっすぐな自分でいればよいものを
小賢しくふるまう自分が本当に悲しい、切ない・・・。
U+A0
バイブルを読んでそんな自分をリセットした。
ちゃんとしたアホに戻ろう!
立派にアホを生きて行こう!
もっともっと愚直に生きたい!
U+A0
ありがとう『不動心』。
コメント (23)
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