ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

消耗する

2016-10-16 23:39:11 | 日常
明け方、寒くて目が醒めたら5:00で日の出前だった。
目覚ましをセットして二度寝した。

また夢を見た。
父が車に乗っている。
不機嫌で無言のまま猛スピードで市内を、
駅前、中心街から東の方角へ、郊外まで大きく迂回してから陸橋に上がり国道に出て
市の西側へ猛スピードで車を走らせている。
外は東に雷雲が垂れ込め、西から日が差している。
何処に行くのか訊いても父は無言のまま不機嫌にアクセルを踏んだ。
何でこんなに急いで車を飛ばすのだ。
車体が大揺れして危ないと思った。
そういえば私はシートベルトをしていなかった。
シートベルトを締めながら父の不機嫌な横顔を見た。
市の西の外れに教会がある。
あ、そうだ、しばらく教会に行っていないと自覚した瞬間目が醒めた。
今日は礼拝で司会役に当たっていたのだった。
慌てて携帯を見たら6:30、まだアラームは鳴っていなかった。
時間に追われる生活をしているとこういう夢を見る。

起きてベッドから出たが、首と肩が痛む。
どうも睡沈している間にあちこち故障する。
教会まで歩いて行きたいなぁ。
歩くと体調改善するんだけどな。
しかし時間的に無理っぽい。

クラッカーと牛乳で朝食を済ませ、タクシーで教会に行く。
出来るだけ早く行かないと。


父の死後、介護が無くなったら
自分のために時間を使えるようになると思っていた。
休日に職場へ出向くのは自分が自分の仕事をやり易くするための自分の時間だ。
教会行きも?
当然自分で選択した時間だ。
誰からも強制されていない。
にも拘わらず常に追い立てられる気がする。
職場でも教会でも、慇懃に低姿勢で役割を振って来る人があり、
自分は期待される役割を果たそうとする、茶番の力学が働いている。
そして自分は自分のために使えない潰れた休日や空き時間を
さも恵みか何かのように喜ばしくいそいそと時間配分し予定を調整しながら思う。

いつまで続くのだ茶番は。
如何にも有り難げなこの茶番は。
何なのだこのぎっしりと隙間の無い行事予定は。

溜息ばかり出る。
来月はアドヴェントだ。
あっという間に地獄の12月が来る。
楽しそうに幸せそうに、地獄の12月が来る。
地獄が来るから楽しそうに幸せそうにしなければ。

全身が痛だるい。
寝相が悪かったかな。

何と深い青空だ。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編106;1~3
讃美歌(21) 11 409
聖句暗唱 Ⅰコリント3;11
詩篇交読 詩編119;81~96
祈り
讃美歌(21) 481
聖書朗読 ガラテヤ3;23~29
説教
讃美歌(21) 416
献金 65-2
祈り
頌栄 28
祝祷

今日の説教は先日の連休に他所で行われた修養会から
聖書の日本語訳の誤謬について。
パウロ書簡に述べられている「信仰義認」の箇所を長い年月の間、
私達の教会も含め日本のプロテスタント諸派では
“イエス・キリストを信じる信仰によって義とされる”と訳し
実際そのように教えられ解釈して来た。
しかしこの“イエス・キリストを信じる信仰”は
ギリシャ語原典では“イエス・キリストの信仰”と書かれている。
ギリシャ語から英語に訳した聖書でも“イエス・キリストの信仰”と訳されており、
“イエス・キリストを信じる信仰”という訳は日本語訳のみらしい。
自分達は誰の信仰によって義とされたのか、という事。
日本語訳だと我々は自分の信仰によって義とされる、
つまりキリストに対する自分の信仰で自分自身を救っている事になる。
ギリシャ語を日本語に訳す時点でそのような翻訳をしたために
妙な逆選択的な解釈になっているという事をこの度の修養会で神学者達が指摘したと言う。
今でもプロテスタント諸派では多数であろう。
しかし原典からそのまま“イエス・キリストの信仰”と訳した方が自然でしっくりくる。
それは福音書でイエスが語られた言葉から私はそのように受け止めている。
この日記ブログには詳細を書かないが、
例えばルカ22;31、32のイエスの言葉から私はそのように受け止めている。
「自分がキリストを信仰するその信仰によって義とされる」は、
信徒に高いハードルを飛べと要求し、追い立てる。
英神父様が著作『祈りのはこぶね』で指摘した「ミムネ病」の発生源にすらなり得る気がする。
実際、自分が信じる信仰ほど頼りないものはない。
自分自身は鶏が鳴く直前のペトロと同じく情けない者であり、
手放しでただ赦されただけの罪人である。
ルカ22;31、32のイエスの言葉から、私はそのように思う。
結局この度の修養会は神学論議でやたらと難しかったのだな。
参加した人達はお疲れ様な事だ。
訳語を一つ一つ取り上げてギリシャ語と英語と日本語の言葉の違いを照らし合わせる事を奨励し
「聖書を学ぶ」と称し聖書を日本語訳を数種類読み比べろとか英語の聖書を読めとか
方角がどんどん脱線していくのを感じる。
字面を追い言葉尻を分析する事に終始する集会が
日々の生活で精一杯の無学な信者にどれほどの恩恵をもたらすかは知らない。
דׇּבְרをλόγοςとしてしまっている以上は翻訳と解釈というこの字面の問題からは逃れられない。
ただ、言っている事は重要な事であり、実にその通りだと思う。

はー。
(ここまで書いて、甚だ疲れた。
 修養会の日程は休みだったと記憶するが参加しなくて正解だった。
 休日に他所にはるばる出向き2日間も神学談議や聖書の翻訳学に時間を費やすなどあり得ない。
 信仰者と神学者とは別物だと思う。)

礼拝の後、昼食のカレー。

挽肉と豆のカレー。
米飯を半分残してしまった。
ヤキが回ったな。

午後は月一の会議。
来月11月は待降節。
その先の12月の降誕節に向けた行事日程の過密ぶりを見て今朝見た夢を思い出した。
毎年の事ながら12月のこのクリスマス行事の過密は何だろう。
牧師夫妻も教会員達も過労死しないのか心配になるほどだ。
昭和20年代30年代の大昔の、
狭い教会に団塊世代の学生達と大勢の子供達が溢れ返り犇めき合っていた時代の行事を
過疎と高齢化の今の時代になってもまだ同じように続けているからだ。
半世紀前の先人達が青春時代に大盛り上がりして心血注いだものの火を絶やさず
同じく変わらず続けて行きたいのだ牧師先生達も皆も。

会議の最中に強い疲労感を感じた。
消耗感や疲労感と言うよりも、これは背部痛だ。
背部に鈍痛がある。
何だろう。
4日後に内科の定期通院がある。
何か問題あればその時の採血で主治医が指摘してくるだろう。
帰り道を徒歩で、自宅まで歩けば案外よくなるかも知れない。

来月の分担を決めるのに業務日程を確認しなければならず途中職場に電話して確認した。

会議は長く感じたが普段よりも早く終わった。
歩こう。

・・・・・

橋の上に来た。
歩くうちに暑くなってきた。


教会でリンゴを1個頂いた。
甘いリンゴは苦手なので母宅に寄って差し入れにした。
母からは鮭の漬け焼きとキュウリ揉みを貰った。

帰宅。
疲れたので緑茶を淹れた。
茶請けに焼いた梅干し。

赤っぽいのが甘くない赤紫蘇漬け、茶色のが甘い蜂蜜漬け。
焼くと甘くない方のが旨味が出る。

今夜は満月だ。
肉眼的には大きな橙色。



出痔亀買って月の写真撮ろう。
いつか、よっぽど金と暇が出来たらね。

喉が渇いて牛乳を煮立った紅茶で割って飲んだ。
お代わりを作ろうとして小さい珈琲サーバーに湯を少量沸かすつもりで
火にかけたのを忘れてようつべでパラジャーノフの映画「火の馬」に見入ってしまっていた。
火にかけたサーバーが焼け融けて危うく火災になるところだった。
危ない危ない。
珈琲用の小さいサーバー、取っ手がプラスチックなものだから熱で融けた。
新しいのを買わねばならない。
気をつけよう。
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