ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

8/9、焼けた線路

2017-08-09 17:57:45 | 日常
本日仕事は休み。
雨ぽちぽち。
バス待ちしていると寒くて風邪引きそうだ。


・・・・・

今日8/9は焼けた線路の事を思い出す。
日記ブログの8/9は毎年同じ記事を書く。
今、去年書いた記事を読み返していた。

(ぱんくず日記「8/9、焼けた線路」2016-08-09 20:33:35)
  私に長崎の話をした人が帰天して何年になるだろう。
  行き倒れた母親を線路脇に残し、
  たった一人で焼けた線路の上を歩き続けた人だ。
  毎年8/9にその人が私に語った事を思い出す。
  この日記ブログに最初に書いたのは2007年だった。
  毎年8/9には同じ記事を載せている。

  その人は近所のカトリックの信徒の方で、長崎の浦上出身だった。
  ご近所で顔見知りになってよく立ち話をした。
  その頃私がたまたま入院して手術を受けたのを聞いて
  わざわざ病室までお見舞いに来て下さった。
  カトリックの信者の方と知り合うと私は興味を持って聞く。

  「貴方は成人洗礼を受けたのですか、それとも幼児洗礼でしたか?」

  私の無遠慮な質問に対して、その人は
  ご自分が洗礼を受けたいきさつを話してくれた。

  その人には母親しか家族がいなかった。
  どんな家庭の事情で母一人子一人になったのか自分でもわからないと言った。
  母親は結核だったためにずっと療養所暮らしで、
  キリスト教の信者である事は親類縁者には隠していたという。
  幼いその人は親類縁者や里親の間を行ったり来たりして育った。

  ある時、母親は療養所を出て娘を連れて函館から長崎に行こうとした。
  その人は当時まだ10歳になっていなかった。

  「今思うとね、母は死期を悟って
    私の行く先を教会に頼もうとしたのかも知れないわ。」

  汽車の長旅で母親がどんどん衰弱していくのが子供の目にもわかった。
  ところがあと少しで長崎に着くと思っていたら突然汽車が動かなくなってしまった。
  どうして汽車が動かないのか何時になれば再び動き出すのか目途が全く立たず、
  母親は娘を連れて汽車を降り、長崎を目指し線路伝いに歩き始めた。
  道の途中で、母親は何度か血を吐いた。
  そして力尽き、線路脇に倒れ込みながら母親は娘に言った。

   「お母さんはもうすぐ死ぬわ。
   死んだら顔を手拭いで巻いて結びなさい。
    お母さんは結核だから、死んだらこの口から悪い菌がどんどん出て来る。
   だから必ずそうして口を塞ぐのよ。
   お母さんはもう一緒に行けないから、あなたは一人で長崎に行きなさい。
   長崎に行ったら教会を訪ねるのよ。
   必ず教会を訪ねなさい。
    お母さんがここで死んでいる事とあなたが生まれた時に洗礼を受けた事を
    そこで言いなさい。
    必ず。」

  幼い娘の目の前で母親はやがて息をしなくなり、動かなくなった。
  言われた通りに荷物の中から手拭いを取り出し、
  母親の顔に巻き付けて後ろでしっかり結んだ。
  その時の心境を、私にあっけらかんと話してくれた。

  「お母さんは死んでしまったし、
   私にはもう行く所がない、
   ああ、これから私はどうしよう、って思ったわ。」

  しばらく死んだ母親の遺体の傍でぼーっとしていたが、
  言われた通り歩き出すより他になかった。
  女の子は一人で荷物を担いで線路伝いに歩き始めた。
  母親に言われた通り、長崎に向かって一人で歩き出した時の
  小さな女の子の気持ちは想像もつかない。

  その時既に長崎は原爆を落とされていた。
  一人で線路を辿って歩き続けてやっと行き着いた長崎市内の、
  一面瓦礫と焼け焦げた死体の山になった街をその人は途方に暮れながら
  母親に言われた通りに、場所も知らない教会を探して歩き続けた。

  幼い娘をたった一人この世に残し線路脇で力尽き死んで行った母親の無念と、
  母親の亡骸を後に一人ぼっちで線路伝いに長崎に向かって歩いた先で、
  原爆を落とされ焼野原と化した長崎を見た時の女の子の絶望とを思う。

  10歳にならない小さな子供がたった一人で焼けた線路を辿って
  原爆投下直後の焼野原を、行き倒れもせずに長崎市内に入る事が出来ただけでも
  奇跡としか言いようがない。
  瓦礫の中を彷徨ううちに浦上の教会を知る人と出会って、
  辛うじて生き残った司祭の一人と会わせて貰う事が出来たが、
  洗礼台帳も何もかも焼けてしまって、
  この人の幼児洗礼を証明する記録は残っておらず受洗を確認する事はできなかった。
  司祭はその人に言った。

   「あなたのお母さんの仰った事は、私は本当だと信じます。
    ただ貴方はまだあまりにも幼いから、
   もし万一という事があっても大丈夫であるように」

  と言って小さな女の子にその場で洗礼を授けた。
  これが私の入院先に見舞いに来てくれた人の受洗のいきさつだった。
  洗礼名の「アグネス」は「子羊」という意味だ。

  私の所属教会の教派メノナイトは歴史的に再洗礼派の末裔として位置付けられており
  あくまで自分の意志で信仰告白をした者にしか洗礼は授けず、
  自分の意志でない洗礼は無効であるとして幼児洗礼を認めない考え方をする。
  それによって少数派だったメノナイトが迫害の歴史を歩んできたのも歴史的な事実だ。
  もっとも私達が実際に迫害を受けた訳でも何でもないが、
  今でも私達の教会は幼児洗礼に対して批判的な考え方をする立場にある。

  しかしこの人にとって「幼児洗礼か成人洗礼か」など、どうでもいい事だ。
  私は「幼児洗礼か成人洗礼か」とこの人に尋ねた自分の卑しさを痛感する。
  本当に恥ずかしい、愚劣な質問をしたと思う。
  天の御父がその人と片時も離れずにいらした事を私は目の前で示された気がした。
  幼かったこの人が行き倒れもせず命を落とす事無く教会で保護されたのは、
  主なる神が小さな子供を御手の中に大切に守って運ばれたからだと確信する。
  子供は瓦礫の中で行き倒れずに、生き延びて何十年も経った後に私と出会った。
  そして自分が辿った焼けた線路を私に語ってくれた。
  その人は私に言った。

   「毎朝、お祈りをするのよ。
   今日一日、
   私に出会わせて下さる人、
    擦れ違う人、
   全員が天国に迎えられますように。」

  どんな経歴でどんな道のりを歩いて来たかを知らなければ、
  この祈りは如何にも取って付けたような敬虔で信心深い祈りの言葉、
  模範的な優等生信者の台詞の如く出来過ぎて鼻に付く白々しい文言にしか聞こえない。
  しかし私は知っている。
  この祈りは10歳にもならない子供だった人が目にした、惨い光景の只中の祈りである。
  線路脇に行き倒れて死んでいった母親や、
  道の途中の至る所で焼け焦げた人々の無残な死体の前で

   「みんな天国に迎えられますように」

  と祈った幼い子供の祈りである。
  真っ黒に焼け焦げて死んで行った人々を大勢見た事だろう。
  焼かれて死にきれず息絶え絶えの、惨たらしい状態の人々をも女の子は見た事だろう。
  小さい子供の幼い魂を天の御父は守り、
  司祭と出会うまでの道程を御手の中で大事に運ばれた。
  そして何十年も経って後に、
  田舎の小さい教会の花壇の傍で出会い、ご近所だと言って立ち話をしていた私達は
  当時まだあった鐘楼の鐘が鳴るのを並んで聞いた。

  毎年8/9にはその人の語った事を思い出す。
  私がまだこの世に生まれてもいなかった日の、
  決して見た筈のない光景が、ありありと目に浮かぶ。
  真夏の炎天下、足元の砂利は熱を帯び、陽炎が立っている。
  焼けてぐんにゃり曲がった線路の上を子供が歩いている。
  一人で、体に不釣り合いなほど大きな荷物を担いで
  俯きながら、歩いている。
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