ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

告別の日

2014-07-08 22:58:45 | 日常
告別式の朝、よく晴れている。


耳元に携帯を置いて休んでいたがアラームが鳴る前に目が覚めた。
牧師夫妻が妹夫婦と私とに朝食を用意して一緒に食卓を囲んで下さった。
トーストとバター、自家製ジャム、野菜サラダ、珈琲。
窓から日が差して明るい、穏やかな優しい朝。
教会家族の食卓。
告別の日なのにどうしてこんなに明るいのだろう。


告別式まで時間がある。
棺の上にじじの小学校の校歌のオルゴールを乗せて鳴らしている。
止まったらネジを巻き。


じじのもう一人の夜学の級友に昨日連絡取れなかったので今朝知らせた。
今日の告別式に駆けつけてくれると言う。


礼拝堂の前列に座ってずっとじじの小学校の校歌のオルゴールを聴いている。


時間だ。
皆、週日の朝なのに集まってくれた。


  黙祷

  讃美歌285 主よ御手もて引かせ給え

  祈り

  讃美歌461 主我を愛す、主は強ければ我弱くとも恐れはあらじ…
        …御国の門を開きて我を招き給えり、勇みて昇らん…

  聖書朗読 ヨハネ14:1~3

  説教 「天に住まいを備えて下さる主」 

  讃美歌405 神共にいまして行く道を守り…
        …また会う日まで、また会う日まで…

  頌栄539 天地こぞりて畏み讃えよ、御恵み溢るる父御子聖霊を

  喪主挨拶

  献花

  出棺


棺の中のじじは安らかな顔で眠っている。
花に埋もれた顔を触るとドライアイスで冷却されて手に痛いほど冷たい。
この世で顔を見るのはこれが最後。


お疲れ様でした。
苦しかったけどよく頑張ったね。
さようなら。
お父さん。
今までありがとう。
そしてごめんなさい。
色々な事を、あの事もこの事もごめんなさい、許して下さい。
最後の時に一緒にいなくてごめん。
一番辛かった時にいなくて、本当にごめん。


お父さん。
さようなら。


葬儀社の人達が棺の蓋を乗せ、上から掛け布で覆った。
皆で霊柩バスに乗る。
空は快晴。
日差しが強い。
太陽に頭を焼かれるようだ。
これから火葬場に向かう葬列なのに、何て明るく眩しいのだろう。
バスが動き出した。
じじの亡き旧友の奥さんと、今朝聞いて駆けつけてくれた旧友とが
並んでこちらを見送っている。
じじの若き日の、定時制高校の級友達。


市の郊外の森林の中に火葬場はある。
建物は何処も彼処もガラス張りと大理石でピカピカ、
高級ホテルのロビーみたいで面食らった。
じじの棺がカートに乗せられて、火葬窯に向かって進む。
その後に私達は付いて行く。
葬儀社の担当者が一つ一つ丁寧に説明してくれる。
窯の前でじじの棺を見送る。
銀色の自動扉が開いて、じじの棺が中に入って行った。
扉が閉まる。
この世ではもう二度とじじの顔を見る事は無いのだ。
さようなら。
お父さん。


私達は控室に案内されて、収骨までの時間に休憩と昼食をとる。
お弁当と飲み物が出てくる。
幕の内みたいな弁当だけど美味かった。
ものを食べるとどうもダメだ。
じじが焼き魚をよく食べた事や食にまつわる諸々のエピソードが記憶に甦って辛い。
大笑いした、楽しかった記憶ほど、辛い。
教会の仲間達が寛いでお喋りしていると辛気臭くならず、助かる。


収骨の準備が整ったというアナウンスが入った。
自分の親の骨を、私は初めて拾う。
葬儀社の担当者の指示と補足説明を聞きながら私達は足の方から
じじの骨を拾い集め、骨壺に入れる。
ガリガリの餓死死体のように痩せていたが、じじの骨は意外に頑丈で太い。
白木の箱に納められ、白絹の袋を被せられた。


私が遺骨を抱き、妹が遺影を持って霊柩バスに乗る。
教会で牧師先生が最後の祈りを捧げた。


遺骨になったじじを連れ帰った。
妹は夫のいるうちにレンタカーを借りてじじ宅で使えるものを私の自宅に運ぶと言う。
狭い私の部屋にテレビやDVDデッキを搬入し、配線もしてくれた。
その後、車を返す前に三人で市内を散歩した。
行くと言っても海に行くにはもう夕方だし、
普段の私の散歩コースの崖や浜を回って車を返し、見晴らしのいい高台から市内を眺めた。














夕食に私がいつも行く小さい食堂で牡蠣塩ラーメンや各種刺身、牡蠣フライを食べた。
じじがいたら、もっと高級な料亭で大盤振る舞いしただろうな。


三人でじじ宅に戻った。
何だかくたくたに疲れた。
(私はまたすぐに睡沈したらしい。)