鶴岡法斎のブログ

それでも生きてます

ジャンプマンガの美学は「まとまりのなさ」か?

2005-03-13 19:20:24 | マンガ
いや唐突に「キン肉マン」のことを思い出して。
キャラクターを読者から募集しているからってこともあるけど悪魔超人の統一感のなさって驚異的だとなあ、と。
七人の悪魔超人なんて自分がそういう設定を与えられたら「七人」ってことに気を使ってしまって何か整合性や統一感を作ろうとしてしまうんだと思う。「曜日」とか「北斗七星」とか。
それが、だ。実際に登場したのは、
「ラジカセ」「宇宙」「エジプト」「山」「半魚人」「バネ」「牛」という連中。
すごくまとまりないのな。
その後の悪魔騎士も、
「惑星」「鰐」「凶器」「忍者」「阿修羅」「ビルの外見で砂」というシロモノ。
けん玉とネジに「俺たちは完璧超人だ」っていわれても「そうかなあ」と思ってしまうわけだけどね。もうそんなことも気にならなくなるくらい物語は力技の説得。
「男塾」の鎮守廊三人衆のまとまりのなさも素晴らしい。男爵ディーノが途中からキャラが変わってしまうところも含めて。
こういうまとまらないものをつくりあげてしまう力量というのは何処から来るんだろうか。キャラを作る時に小さくまとまってしまうのが気になる人間としては、ね。

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1 コメント

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Unknown (けろーん)
2005-03-17 16:13:07
今回のブログを読んでから数日、何か引っかかるものがあったのです。で、今日、歩きながら気が付きました。



物やらなんやらの超人化って、電車や法律、貨幣の萌えキャラ化と同じベクトルなのでしょうか。

「○○マン」が「○○タン」になったと。



スプリングマンはスプリングタン。

ジャンクマンはジャンクタン。



…アシュラタンあたりは、すでにいそうですねぇ。
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