鶴岡法斎のブログ

それでも生きてます

根本敬『命名 「千摺」と書いてたろうと読む。』書評

2006-03-13 13:52:49 | 原稿再録
 その日はクリスマス・イヴだったのだけどこんな稼業にとっては年末進行の1日でしかななく、非常に疲れていて壊れていて、もう何も書きたくないなあ、と逃避気味に街を徘徊していた。街は当然のようにクリスマスなんだからクリスマス気分。いつもよりにぎやかだ。いつもなら女性しかいないピアスやらアクセサリーの売り場に男がうろうろしてプレゼントを物色している姿もなかなか異様ではある。そんな時に自分は妙に世界と隔離されたような気分。辛かったり悪意を感じたりはしないのだが全世界に対して生半可な感想しか抱けないというか。いまになって思えば軽い鬱だったのかもしれぬ。
 街の景色が、何か嘘くさい。コンビニの店員のサンタのコスプレが似合っていないのが腹は立たないにしても何か違和感を。何だこりゃ、と思いながら深夜までやっている本屋に入る。この夜にここで立ち読みをしている人はどういう状態なのだろうか。自分も含めて。
 で、新刊書が四方八方のそこをうろうろしていると一際、異様な光を放っている本があったので手に取る。それが特殊マンガ大統領根本敬の4年ぶりの「マンガの」新刊である『命名 「千摺」と書いてたろうと読む。』(青林工藝舎)だった。さて内容はというともう説明不可能。もうモノカキとしての職業放棄か。かつてのマンガ作品を大胆にコラージュ、再構成したシロモノでストーリーはあるようなないような。高熱時の悪夢というか、最も悪質なドラッグによるトリップ体験をそのまま印刷機(無論、性能はよくない。コンビニのコピー機程度)にぶち込んでしまったかの如く。ただそんな混沌したマンガが自分にとっては妙に心地よかった。ここ数年、イラストと文章の仕事が多かった根本敬が濃縮して迫ってきた。かつてこれほど下品で意味不明なマンガはなかっただろう。しかしこれに癒された。証拠にそれまでぼんやりとしていたタマシイがシャンとした。それまで感じていた違和感は消えた。断絶することによって孤独が消えた。変なの。世界と自分は絶対に交わらないという確信とともに自分は世界の一部であるという事実を確認。救われた。ああ、サンタクロースはいるんだな、と勝手に思い込んだ聖夜。こうして夜は更けていき、自分の自宅の近くで殺人事件があったらしいのだがそれは別の話だ。

※04年の年末に執筆。で明けて05年のバチェラーに掲載される。
自分にとって根本敬という人がここ数年でまたかなり気になる存在になってきたことも含めて、ここに再録。

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