永遠の生命、安心

永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します。

体を正す (きらく仙女さんの日記の転載)

2017年08月13日 | 日記
こちらは暑さが続きます。皆様の所は如何でしょうか?
大雨や突風、火災等で大変な状況の方も居られるでしょう。
この場をお借りしまして、慎んでお見舞いを申し上げます。

現実に、大変な状況は他人事ではなく何処にでも起こり得ます。
生死に係わる判断を迫られる事態に直面したような時ほど、慌てず、
先ず呼吸を整えて、気持ちを平静にしてから行動したいものです。

普段から心坐の練習をしていますと、イザという時に自然な行動が
出てくるはずです。必ずしも、それで絶対に身体が安全であるとは
断言できませんが、必ず最適の選択が可能であるとは言えるでしょう。

そして、その選択に従って直ちに身体が動いてくれることが必要ですね。
心身が自然に連携してこそ、その場その時に適正な対応が可能になります。
その意味でも、なるべく真坐に親しみつつ身体を正す習慣は有意義です。

この「正す」には、身体の調子を運動や食事、休息などで改善するとか、
問題のある個所を医療的施術で正常化する、等の方法も含まれるでしょう。
けれども、最も重要な意味は「炁気が働きやすいようにする」ことです。

道院の経典中(真経未―3)に、「必ず先に体を正すべし」とあります。
その体とは、現実の身体のことでしょう。また霊的な本体(真霊)を指す、
或いは「体と用」という言い方の主体の義である、とも解釈できますが、

いずれの体も、正すことは大事でしょう。団体組織の運営や各種競技の
場面でも、「体が崩れる」、「体を立て直す」などの表現がありますね。
真霊の修養も現実の身体と切り離せません。真霊も現身も重要です。

そもそも、この世界で修養するという事は、現実の身体を使って行う
という事が一番の特徴で、リスクはあってもリターン大と謂われます。
それ故に大勢の修行者が現世の特に今の地球に来られているようです。

修坐に関して申しますと、実際に簡単な健康法の実行などによって、
坐の効能が補われます。又、形坐をしていて、例えば身体の筋肉疲労、
血流不良の部分が気になってきて、その修正が必然的に促進されます。

私も最近、心坐ストレッチをしていました時、仙骨あたりの関節が
僅かに移動、修正されました。その個所には殆んど違和感は無くて、
日常生活に支障も感じないまま長年過ごしてきたのですけれど、

その変化の後、急に身体が軽く楽になり、気の通りも改善している
と感じました。「体を正す」というのはこういう事、という実例を、
坐の指導神霊からご教示頂いたと感じました。身体は面白いですね。

ただ、現実の身体を使って生活しておりますと、色々な所が故障し、
機能も衰えてまいります。注意して暮らしていても事故にも遭います。
高齢になりますと尚更、色々な問題発生を避け難いのが世の常でしょう。

私の本の読者の中にも、私が肉食をしない事や健康診断を受けない事を
心配されて、血圧計や血糖値測定機などを送ってくる方が居られます。
お気遣いは有り難いですけれど、坐の力を実感されていないのでは?

やはり道院の坐は、我々の日々の健康管理上、簡単で有効で安全な
最高の方法と申すべきと思います。その坐に縁を得られた方々には、
その価値が十分発揮されるよう、積極的に活用して頂きたいものです。

この修坐の主目標は霊的な進化ですけれど、できるだけ現身を正せば
霊的修養の効果も増大しますし、坐で心身の感受性が高まるにつれて、
より微妙な心身のメンテナンスが可能になる、という当然の道理です。

但し、公的客観的な証拠として実験データ化することは中々困難です。
例えば私が毎日、坐と血圧や血糖値の関係を測定、記録したとしても、
単なる個人的な資料に過ぎず、サンプルとしても少数過ぎるでしょう。

たとえ膨大な研究データが集まり医学的に証明できたとしても、やはり
修養は、他ならぬ自己が実践して実感して実証してこそ意味があります。
私の提案や参考情報も、何か感じて活用されるよう願っております。

ともあれ、自心自身の微機に気付く事は、何時何処で生きるにも
有意義でしょう。その気付きに直結する「体を正す」ことは
静かな楽しみでもある――この夏、特にそう感じます。
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