牧師室だより 2013年3月31日 人生は選択と決断の連続
人生は選択の連続です。日々刻々、何事かの選択を迫られています。小さなことでは何を着ようか、今晩の夕食は何にしようかということから始まって、大きくはこの人と結婚しようとか、どんな仕事に就くかなど、生きるための選択肢が常に目の前にあって、どれを選択するかの決断を求められます。大きい決断を必要とする時があり、小さな決断ですむこともあります。
あらかじめ計画をしておいたようでも、最終的には何を選択し、実行するかを決断しなければなりません。他人の言いなりに決断するようなことがあったり、ただその時の気分で、その場限りのちゃらんぽらんの決断をしたのでは、後になって人生はこんなはずではなかったと後悔することになりかねません。
重大な人生の岐路に立つ時ほど決断の仕方が結果を左右するのですから、しっかりした自らからの意志に基づいて決断がなされるべきです。かつて教師をしていた時、生徒の進路指導をしました。どの高校を受験するか、悩む子もいます。また、先生からここを受けたらと言われることを望んでいる子もいました。しかし、いろいろな情報を与えはするが、最後は自分で選ぶことが大事だと言ってきました。
なぜなら、自己の責任において決断がなされた結果の人生は、それがどのような人生であれ、満足できます。たとえ失敗したとしても、必ずそこから教訓が与えられ、もう一つ大きく成長することができます。人の言うなりに、あるいは気持ちの赴くままに決断をした結果の人生であれば、どれほどこの世的な幸福が伴っていようとも充足感はないでしょう。いつしか、自分の人生は何だったのだろうかと虚無感に襲われるだろう。
決断はいつも今、現在です。決断の意志が働く時は過去でも未来でもありません。「今、ここ」で何を選択し実行するかを自分の責任で決断する、それが充足感のある人生を作り上げるのです。信仰の決断も同じです。