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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

うつくしま未来博、福島が輝いた日―再掲

2017年07月13日 | 日記
11/23/15うつくしま未来博、福島が輝いた日
 今から14年くらい前、2001年(平成13年)、夏。福島県須賀川市の郊外で、福島県の博覧会「うつくしま未来博」が開かれた。ふくしま国体に並び、何年も前から計画が練り上げられ、周到な準備の元、開かれた博覧会だった。
 うつくしま未来博へは、母と一緒に行ったが、入場料が割と高かった気がしたのを覚えている。
 中に入ると、とても広かった。とても暑くて母とわたしは、かき氷のストローで差した飲み物を早速買った。
 母は、その時から何か木工だか植物だか陶芸だかに興味があり、そこの場所で何かのブースのコーナーで係りの人に聞くと、その日はたまたまその先生がいない日で、何も聞けずに残念そうだった。
 わたしも、急いで中を早足で駆け巡り、焦っているようで、怒っているようでもあった。その日はわたしはなぜか不機嫌であり、母が勧めるパビリオンには進んでは行かず、わざと混んでいるからと辞退してしまった。
 しかし、帰り際、地元の新聞社、福島民報のパビリオンに入り、少し興味深く見入った。そこでは、昔の新聞紙一面を、日付を言えば無料でもらえるサービスを行っていた。わたしは、母の誕生日の新聞を所望し、母もわたしの誕生日をリクエストした。
 それをじっくり見ると、母の時代は、戦時中の、時代がかった日本の歴史が映し出されていた。しかし、わたしの誕生日といえば、ろくに事件も何もなく、平々凡々とした平和な昭和の、ニュースらしいニュースがない一日だった。ただ、暑い日だったらしい。
 未来博会場で催された音楽・歌謡ショー、臨時ラジオ局などを見て、夏の日を一身に浴びながら、その場を後にした。
 その後、バスで須賀川駅前まで帰り、夜の真っ暗な中、駅前のもう今はないが平凡だが、当日は未来博がえりの客で混んだ店で丼物(どんぶりもの)の夕食を食べて、帰路に着いた。
 佐藤栄佐久県知事と県民が共に成し遂げた未来博。あの頃のふくしまは、間違いなく輝いていた。今は終わらない原発事故の後処理と、悪意の風評被害に悩み苦しむ福島県だが、この地が再び輝きを取り戻し、笑顔あふれるふくしまになって欲しいと念ずるのみ。また、いつでも復活する、復活できると信じている。

 私の家にあった、「うつくしま未来博、公式ガイドブック」。今では貴重品だ。
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