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神奈川県開成町へ引っ越す―再掲

2017年07月13日 | 日記
11/18/15 神奈川県開成町へ引っ越す
 両親は、神奈川県足柄上郡開成町へ引っ越した。子供の私が生まれた。家の前には、東海編物という工場があった。
 ドブが流れていたが、ドブの川の水はきれいで、鯉やフナが泳いでいた。周りは田んぼである。
 窓の外には、富士山が額縁つきの観光写真そのままに見えた。来た親戚は一同、その景観に驚いた。
 小田急線が近くを走っていたが、当時近くに駅はなく遠く、バスを二回乗り換えないと小田急の駅、新松田へは行けず、かなり田舎な土地だった。
 ここで父はゴム会社に勤め出し、何度か仕事も変えたが、落ち着いた。犬は、土佐犬を飼い、幼い私がその犬に乗せられた写真が我が家に残っている。土佐犬は凶暴なので、今から考えると怖い。しかし、我が家の住人の子供の一人だとおそらく犬のほうでもわかっていて、噛まれたりもせずに、大人しかった。犬の名前はダイといった。
 隣の社宅に、一人暮らしの同僚がいて、車で静岡まで連れて行ってもらい、そのおじさんに、帰りに竹でできたうぐいすの笛やへびのおもちゃなどを買ってもらった。
 私が三歳になるかならぬうちに、父は交通事故に遭う。地元の病院に行くがラチが開かず、県北の病院に転院した。
 父はその後病状が悪化し、川崎で寝たきりになる。(後に歩けるまでに回復。)そのお見舞いに、母と幼い私は、毎日のように開成町から川崎まで、最初にバスを二回乗り換え、小田原に出て、余裕のある時は新幹線で新横浜、普段は東海道線で横浜まで行き、乗り換えて川崎の病院まで夏の暑い日も冬の寒い時も見舞い続けた。
 父は我が儘であり、ろくに見舞いに来た私たちにはいい顔もせず、冷たかった。むしろ、あの金はどうした、示談して自分たちで逃げるつもりだろう、とありもしない悪態をつき、私どもを悩ませた。
 開成町の近くの小川に、わたしと母は時々出かけた。わたしは覚えていないが、母によるとわたしも母も泣いていたという。この親子一家に対する過酷な運命の仕打ちを、親子で必死に乗り越えようとしていた。
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