コンピューター将棋、米長邦雄永世棋聖を破る (読売新聞) - Yahoo!ニュース
コンピューター将棋「ボンクラーズ」と元名人の米長邦雄永世棋聖(68)が戦う第1回電王戦(中央公論新社など主催)が14日、東京・千駄ヶ谷の将棋会館で行われ、ボンクラーズが113手で勝った。
コンピューター将棋が、公式戦と同じルールで男性プロ棋士に勝ったのは初めて。ボンクラーズは、昨年12月に行われた、持ち時間各15分の早指しによる前哨戦に引き続き、同3時間の本番でも米長永世棋聖を圧倒した。
米長永世棋聖はタイトルを通算19期獲得し、2003年に引退した元トップ棋士で、日本将棋連盟会長。ボンクラーズは会社員の伊藤英紀さん(49)が開発し、昨年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝した実績がある。
将棋の名人に勝ったコンピューターの名前が「ボンクラ」ってのがなんとも皮肉。
ボンクラに漢字をあてると、「盆暗」。
盆の上での勝負、すなわち博打が弱い人をこう呼んだのが始まり。
そこから転じて、勝負に弱い人、さらには頭の働きが鈍く、先の見通しが利かない人をさすようになった。
昔、チェスの世界名人をコンピューターが撃破したころから、
いずれはこうなるだろうな、ということは予感していた。
しかし、だからと言って、コンピューターが人間の脳を凌駕したとはまだまだ言えない。
たとえば、創造性の問題。
偉大なる先人たちを超えるような芸術作品を、コンピューターが作れるかというと、
まだまだそこまで行っていない。
コンピューターの作ったロックがビートルズを超えた、という話は全く聞かないし、
コンピューターが描いた漫画が手塚治虫を過去のものにした、という話もとんと聞かない。
芸術や文化の分野では、コンピューターはまだまだ「道具」に過ぎないのである。
しかし、黒澤明はこういう言葉を残している。
「創造とは、記憶である」
まったくのゼロから、新しいものを創造するのは、まさしく神の領域である。
新しいものが創造されたとき、それらはまったく新しいものに見えて、
実は創造した者の記憶のパッチワークでしかなかったりする。
「でしかなかったりする」というと、なんだか否定的な響きを持ってしまうが、
新しいものなんて、結局そういうものなのである。
そうすると、こういう考えも成り立つ。
もしも黒澤明の言葉が正しいのならば、
コンピューターが記憶したもろもろのことを組み合わせて、
いまだかつてなかったようなものを創造する。
なんてことができるのではないのか。
しかも人間よりもよほど要領よく。
そこで人間は考えなければならない。
そこまで人間の脳を凌駕したコンピューターは、
もはや人間の手に負えるシロモノではないということを。










