あまくさ人のひとりごち

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第718回 いずれも巨人がらみの訃報を3つ

2010-01-18 20:02:27 | スポーツ

“鬼の寮長”帰らぬ人に…巨人元寮長の武宮敏明さん死去(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
小林繁氏急死…球界衝撃 57歳早すぎる(スポーツニッポン) - goo ニュース
<火災>桑田真澄さんの父が死亡 浜松で住宅全焼(毎日新聞) - Yahoo!ニュース


先週末から今週の初めにかけて、野球関係者の訃報が相次ぐ。
今朝出勤する途中のラジオで、スポーツライターの永谷脩が述べていたように、
3人とも何らかの形で巨人と縁が深かった存在だ。


くまもと出身の武宮敏明は、その昔、巨人の若手から「鬼の寮長」と恐れられた人だった。
多摩川宿舎の寮長として、門限破りをした選手には容赦なく鉄拳制裁を下した。
特に殴られた選手は、王貞治、柴田勲、堀内恒夫だった。
いずれも巨人黄金時代を担った名選手ばかりだ。
もちろん殴るばかりでない。
河埜、定岡、西本、篠塚、原、吉村(みんな懐かしい!)といった名選手を育てた「名伯楽」でもあった。
巨人が優勝を宿命づけられていたのには、陰にこういう人の存在があったからだ。
巨人の選手が紳士たりえたのには、こういう肥後の猛者がいたからだ。
そのことはくまもとの人として、誇りに思ってよいと思う。


さて、ワタクシは巨人の選手は好きだし、チームとしての巨人も嫌いではないが、
上に「読売」がつくと、とたんにイヤになる。
巨人が勝った日の日本テレビのはしゃぎようには辟易するくらいだ。
たぶん、ワタクシが嫌悪感を抱くのは、
一つにはあの「江川事件」があったからだと思う。


その「江川事件」で一躍悲劇のヒーローとして、世間の同情を買ったのが
小林繁
江川事件の詳細に関しては、ここをクリック


長嶋巨人軍時代のエースを担っていた男が
球団やコミッショナーの思惑で
まだプロで一球も投げていない男と同等に扱われ、トレードさせられたのだ。
世間が怒るのは当然だろう。



“球世主”だった小林氏 トレード拒否なら球界分裂も(夕刊フジ) - goo ニュース


数年前の「一リーグ騒動」にも出てきたこの話。
あわや球界分裂という危機を救ったのは、小林繁だった。



「相手はいくら才能のある投手かもしれないが、プロでは1勝もしていない投手だ。オレを出して失敗だったということを巨人に思い知らせてやる。勝負の世界だから、変な同情はいらない」(上記記事より)


そう言って、小林繁は阪神へと移籍し、
対巨人戦8連勝という偉業を達成する。


その小林繁が引退して数年後、甲子園を湧かせた桑田真澄と清原和博がドラフト指名された。
桑田真澄の父親が火事で亡くなったという報道を聞いて、
そういえば桑田真澄が巨人に入団するときも、いろいろ揉めたなあ。
ということを思い出した。
あの時。
大学進学を決めていた桑田真澄を、巨人が強行指名し、
おかげで巨人入りがほぼ確定しかけていた清原和博が西武入りした。
このときの清原和博・涙の会見は彼が引退するとき、繰り返し放送されたっけ。
それだけに1987年、西武が巨人をくだして日本一になったときに、
その日本一を決めた試合が終わる直前、
守備についていた清原が
感極まって涙を流したことは今でも語りぐさである。


まったくの偶然であろうけれど、
川上~長嶋~王時代の巨人ゆかりの人たちが相次いで亡くなった。
冥福をお祈りしたい。 


 


 

 




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