「力の行使」限定的に認める…“体罰”訴訟の最高裁判決(読売新聞) - goo ニュース
「力の行使」限定的に認める…“体罰”訴訟の最高裁判決 2009年4月28日(火)14:48 熊本県天草市の小学校で、児童の胸元をつかんだ教師の行為の是非が争われた訴訟で、最高裁判決は28日、教育的配慮があれば、教師が児童生徒に一定の「力」を行使しても、やむを得ない場合があると判断した。
文部科学省の調査では、近年、児童・生徒や教師に暴力を振るう子供たちが増えている。判決は、体罰批判を過度に恐れ、遠慮がちに子供と接している教師に、 毅然 ( きぜん ) とした対応をちゅうちょする必要はないことを示したと言える。一方、判決は、体罰に当たるかどうかを判断する指標として、行為の目的と態様、継続時間を挙げた。極めて限定的に「力の行使」を認めたもので、体罰を容認したものではない。
男児の母親は教師を刑事告訴しており、判決も「男児の母親が長期にわたり、学校関係者に対して極めて激しい抗議行動を続けた」と言及、訴訟の背景に保護者の過剰なクレームがあったことを示唆した。同じようなケースが起きた時、「力の行使」が妥当なものだったか学校側が説明を尽くすとともに、保護者側も冷静に耳を傾ける姿勢が求められている。(足立大)
他のニュースを見てみると、「事件」が発生したのは2002年、7年前のことだ。
当時小学2年生の男子生徒が他の生徒にわるふざけしていたのを臨時教師が注意した。
するとその生徒は、教師の尻を2回蹴って逃げようとしたという。
そこで教師は生徒の胸ぐらをつかみ壁に押しつけて、「もう、すんなよ」と大声で注意したという。
そのためにこの生徒は夜中に泣き出したり、食欲が低下したりと、つまりPTSDになったという。
そのへんの事情は、朝日新聞がくわしいので。
抜粋して引用します。
判決によると、生徒は小2だった02年、休み時間中に廊下で友達と一緒に通りかかった女児をけり、さらに、注意した講師の尻をけった。講師は追いかけて捕まえ、洋服をつかんで壁に押しつけ、「もう、すんなよ」としかった。生徒は講師から怒られた後に食欲が低下するなどして通学できず、03年2月に病院で心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。その後、回復して元気に学校に通うようになったが、生徒の母親は学校側の説明に納得せず、学校や市教育委員会に極めて激しく抗議を続けた。
生徒は05年に提訴。約350万円の賠償請求に対し、一審・熊本地裁は市に65万円の賠償を命じた。二審・福岡高裁はPTSDとの診断結果を否定したものの、講師の行為が体罰に当たるとして約21万円の支払いを命じたため、市が「教育的指導の範囲内だ」として上告していた。
文中の「極めて激しく抗議」というのが気にかかる。
たぶん地元の人はみんな知っているだろう。
「あー、それは○○町の◎◎さんですバイ」とね。
で、おそらくそのあとには、その「◎◎さん」に対するマイナス評価のオンパレードが続くに違いない。
あんまりプライバシーめいた話はしたくないが、その保護者は地域から孤立しているものと思われるからだ。
なぜそう思うのかというと、あまくさみたいな田舎では、必ずこういう行動をとる保護者にはどこかでブレーキがかかるものだからだ。
昔ほどではないにせよ、田舎にはまだコミュニティーというものが残っている。
「あの人が出てきたら、矛ば収めにゃでけんバイ」という人が、まだまだいる。
だからこういう時にはそうした仲裁者が、「まあまあそこまでしなくても」と間に入ったりしてくれるものだ。
それが結局、訴訟にまで発展したのは、地域社会というブレーキがきかなかったからに他ならない。
要するに地域から孤立していたということになる。
ところで、ワタクシは別な点から考える。
この男子生徒は、どうなってしまったのだろう。
02年に小学2年生だったというから、今では高校生ぐらいの年頃である。
この裁判にもめげず、きちんと育ってくれてたらよいが。
もし育ってくれていたら、ぜひ頑張って小学校の先生になってほしい。
そして、あの先生と同じシチュエーションに遭遇したら、自分だったらどうするか、よく考えてほしい。
そのほうが絶対に彼のためになる。
でも。
ひょっとしたら、どうしようもなくグレてしまっているかもしれない。
「裁判に負けたからって、いい気になるなよ! こんどお前がオレを叱ったら、また裁判起こすぞ! リベンジだあ!」
って言って教師に毒づいているかもしれない。今頃。
もしもそうなっていたら、そしてワタクシが彼の担任ならこう言いたい。
「毒づく暇があったら勉強しろよ」。










