忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

語り継がねば

2017-05-17 | 平和を

 【 巡りくる5月8日 】 大阪市池田区 ( 女性・85歳 )

[ 私も高齢になり、今年こそ語り継がねばと思う。今治市が昭和20年5月8日に空襲を受け、今治高等女学校(現今治北高)の生徒11人が直撃弾で即死したことを。
 私は大阪から疎開して今治高女に通っていた。その日、登校中に空襲警報が出た。2列縦隊の先頭を2年生の私と林さんが歩いていたが、学校裏の姫坂山の避難場所へ駆け登った。間もなくブルーンという不気味な音とともにB29の編隊がやって来た。
 ザザーっという爆弾の落下音が聞こえ、「今日は今治が狙われている」と恐怖を感じた。落下音が2度続いた瞬間、雷が10個落ちたような耳をつんざく音とともに爆風が来て、土砂と木の枝が降り注いだ。辺りは薄暗く、爆薬の臭いが立ち込めた。同じ所にいた級友3人と無事を確かめ、その場に伏せていた。
 避難所は上空からは見えない林の中のくぼ地、そこへ爆弾が落ち、11人の学友が即死した。見回りに来られた先生は「みんな死んどる」と男泣きされていた。私たちは山を下り、誰が死んだのかも分からないまま帰宅した。並んで登校した林さんは即死だった。彼女の横顔は鮮明に覚えている。
 毎年、慰霊祭が行われているが、助けを借りずにお参りに行けるのも今年が最後と思っている。]

 ( 忘却への扉 )  戦争体験者の人たちの話を私も多く聞いて来たが、侵略地帰りの召集令状で戦争に駆り出された若い人たちの話には、被害と加害のどちらにも犯罪意識をあまり感じなかった。
 だが、高齢になるにつれ、被害と加害のどちらの話も詳細になり、「戦争をしては駄目だ」との国家への批判をあからさまに口にする人が多くなった。
 軍国主義の洗脳が解けたのではなく、敗戦で戦地から帰還できても二十歳前後で関わった戦争は頭に焼き付き話せないほど、心に深い傷あととなって残っていたのだ。
 語らないまま一生を終えるのは嫌だ。との彼らの意地が「戦争はダメだ」の言葉に現れていると思う。国家による本当の戦争を戦争を知る世代が減少したのを利用し、安倍政権(自民・公明+維新)らは、再び戦争をする日本への変貌を推し進める。憲法違反の戦争へ歯止めをかけるためにも、語り継がねばならない。

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