忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

追いつけない山里

2017-01-02 | 追憶

 【 石垣の手直し 】 宇和島市下波 男性( 57歳 )

[ 集落奥の狭い谷間の急斜面に、20段ほどの石垣を積み上げた断面がある。3反足らずだが大豆、麦、桑、イモ、かんきつと何百年もの長い間、わが家の生活を支えてくれた。
 南向きで日当たりが良く毎年、甘いミカンを実らせてくれる。その畑の中ほどにある作業道は、足幅にも満たない石段が上に向かって築かれている。担い棒一本に満身の力を込めて、重い荷物を上げ下ろしした先祖の苦労がしのばれる。勤勉と貧しさの象徴といわれた段畑は、平地の何倍働いても収穫は少なく割に合わない農業だが、この地に生きて行くためには他に選択肢がなかったのであろう。
 長年風雨にさらされた石垣は不規則にゆがみ、所々崩れているので手直しを行った。一つ一つの太さも形も違う石を頑丈に面をそろえて積み上げるのはなかなか難しい。それでもたまにぴったりと石が収まった時の快感はたまらない。泥だらけになりながらの悪戦苦闘で、どうにか仕上がる。
 いつの間にか野鳥が掘り返した土をつついて餌を探している。私は摘み残されたミカンを口に入れ、喉の渇きを満たしながら石垣を眺めている。ここにはお金で買うことのできない懐かしい匂いとゆったりとした時間が流れている。]
                        《 こだま 読者の広場 【 へんろ道 】 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 山林も開墾され、中山間地の傾斜地のほとんどが田畑だった過去が、石垣の段畑で季節ごとに彩りの変化を楽しませてくれた私たちの村。
 山彦がこだましたのも、近隣の畑でのにぎやかな話声、荷を背負い徒歩での山と家との行帰りでの出会い、牛の荷運びや運動。貧しくても、山里と人がが生き生きしていた。
 石垣を積み上げたり、手直しをする時は子どもだった私も手伝った。たかが石垣、とは思わない。祖父も素人だが上手と言われていた。誰でも自分でこなす時代ではあった。
 名人と評判だった石工さんの手伝い(といっても私は材料運び)をしたが、彼は石を選ばず見事に積んだ。わが家にも彼の石垣があり、分かる人は彼の名を当てる。
 彼が大きな石を積み上げた石垣は壊れずにあるが、祖父の積み上げた小さい石で丁寧な石垣は、イノシシに荒らされ畑ごとめちゃめちゃ。私に畑を修復する道具も、石も能力もないのが悔しくもある。昨年は長雨に崩れた石垣修理を業者に頼んだが、その土木会社にさえ、もう、本物の石工と呼べる人材はいない。

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