正さん日記

世の中思いにつれて

三笠宮崩御、平和主義者の昭和天皇の末弟

2016-10-29 14:12:09 | 社会

 昭和天皇の末弟三笠宮崇仁親王が10月27日に100歳で亡くなった。近年の天皇家では最も長生きした親王だった。

 軍人で従軍も経験したが、天皇家としては先の大戦に批判的だったと言われている。具体的には、太平洋戦争を推進した東条英機内閣に対し一部軍人と組んでクーデターを企てたが、余りに過激すぎることを懸念し挫折した。

 戦争終結についても、兄である昭和天皇に面会を申し出て昭和天皇を不安がらせた。また、敗色濃厚の中で、徹底抗戦を天皇に上申した阿南唯幾陸軍大将を叱責した。

 三笠宮は、昭和天皇4兄弟の末弟で、上の3人と年が離れていて皇位継承も下のランクで、当時としてはかなり自由奔放にふるまったとのことだ。

 戦後も、戦争に対する反省から、学問として古代オリエント史を学び、東京女子大の講師をきっかけに、青山大、専修大、天理大、拓大などで教鞭をとり、日本オリエント学会の会長も務めた。

 1950年年代後半から紀元節の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者・歴史学者としての立場から、神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、積極的に復活反対の論陣を張った。             

 このため「赤い宮様」と揶揄され、右翼団体の構成員が宮邸に押しかけて面会を強要した事件も起きている。

 このように天皇家としては異色の存在だったようだが、それだけ、宮様らしくない言動で庶民からは愛された。

 子供男3人、女2人の内、男3人には先立たれる不運も経験された。三笠宮は、皇位継承順位が5位だったが、これで皇位継承者は4人となった。

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