☆わんこと一緒の想い出と共に☆

シェルティと暮らしていたマールママの記録と記憶のためのページ

叔母と過ごした3週間

2014年11月10日 | 三婆通信

9月初旬に横浜の叔父さんも亡くなり父のきょうだいも埼玉の叔母二人となりました。

 ブログ休暇中 埼玉で今は一人暮らしをしている末のhumi叔母が遊びに来ました。

遊びに来た・・・というより手伝いに来てもらったという方が正しいかも。

 

 

 

庭や畑の仕事が大好き! と お天気がよければ一緒に外仕事

大雑把な私の苦手な こまごまとした仕事をきれいに片づけてくれるし

こんな参謀が いつもそばにいたら どんなに助かるだろうと思う。

二人でジョークを飛ばしながら 一緒に仕事をし

一緒に温泉や食事に出かけたり とても楽しい日々を過ごしました。

 

 

実家の兄夫婦と姉を誘い一緒に温泉にも行ってきました。

帰りに山の公園に行ったら 山栗がいっぱい落ちていて大喜び ♪

 

ワンコたちにも よく言葉をかけるので 家族の一員に認められたようです。

 

「姪の家に3週間も居るなんて よその人がきいたらびっくりするわ!パパがいい人だから来られるけど」と叔母。

そのパパも 明るく賑やかな叔母が大好きで 一緒にビールを飲むのが楽しみ

帰った後 「とぜねぐなったなぁー(さびしくなったなぁ)」と。

 

叔母が帰る前に 手放すことになった私たちが以前住んでいたところを何十年かぶりに見に行きました。

  

「tomiさんにも見せたかったわ・・・喜んだだろうね・・・」

むかし、わたしたちがまだ華やかななりし時代 叔母たちはよくこの家にお手伝いに来てくれました。

そのtomi叔母も3年前に亡くなり いろいろと思い出深いこの建物も人手に渡ります。

私自身は感傷的な思いはほとんどなく 

やっと 大きなお荷物がひとつ片付いたという安堵の気持ちでいっぱいです。

 

叔母も ひとりで暮らしながら 「まだまだ捨てるものがたくさんあるの」と

身辺整理を続けているらしい。

80を過ぎているのに よく動き よく食べ よく眠り よく笑い とても元気で明るい

でも去年よりは 動けなくなったと悔しがる

お出かけするときは ウィッグをつけお化粧もきちんとして おしゃれ心も忘れない

そんな大先輩をみて まだまだ65そこそこの私がとても勇気をもらいましたが、、

 

 くたびれた顔 どうでもいいかっこして畑に夢中になっていた私を見て思ったらしい。

 今日も電話で言われました。

「あまり無理しないで! いつまでも きれいでいなさいよ!」

ドキッ!

 


私の2・26事件簿

2014年02月27日 | 三婆通信

風邪もすっかりよくなって 今日は予約していた 乳がん検診 に行ってきました。

私の身内に乳がんは、かつていなかったのですが3年前に叔母が進行の早い炎症性の乳がんに罹り亡くなりました。

2011年2月26日  

ともすれば父や母の命日だって忘れがちなのに、歴史上の事件とともにこの日は忘れられない命日となりました。

 

その年のお正月明けに始まったその事件は、急務となっていた子どもの居ない2人の叔母の介護の問題に

3月始めまで何かに導かれたように私が関わることとなり

無事に叔母を送ったその後 あの大震災が起き・・・忘れられない出来事となったのです。

 

 

先に旅立った2番目の叔母は決して不幸ではなく残された叔母二人にその後の道筋をつけてくれ様々な問題が良い方向に・・・

あまりにもドラマチックで、私たち身内が集まると、いつもいつもその話で盛り上がるのです。

 

きのうも、姉と電話でその話になり 「tomi叔母さんは 皆に関わってもらい本当に幸せな最後だったよね・・・」と。

突然やってくる老いの介護の現場で起きた様々な出来事、何があったのか、何が出来たのか

いつかは訪れる我が身に重ねて 三婆たちから学ぶ”終活”

 

三年前の記録をあらためて振り返ってみました。

あの頃のことが鮮明に浮かび、その先どうなるのかわからないままドタバタ夢中に走り回っていた自分に

まだ少し若かったからの行動力だったと思いながら、ところどころに写っていた元気な三婆たちの姿に涙し笑いました。

 

私たちの間では ”伝説” となりそうな あの事件の物語を まとめておきたいと思います。

 

      

 

  2011年1月25日  「遠距離ヘルパー」 

      1月28日  「危うい限界暮らし(その1)」

      1月29日  「危うい限界暮らし(その2)」

      1月30日  「危うい限界暮らし(その3)」

      2月 3日  「ヘルプの加減」

      2月 8日  「老老介護」

      2月13日  「まごころホーム」

      2月17日  「三婆その後」

      2月26日  「安らかに」

      3月 4日  「葬送のカタチ」

      3月 5日  「お誕生会」

      3月 6日  「お告げ・・?」

                  (クリックすると見られます)

 

 

 


年寄りの鑑

2013年06月23日 | 三婆通信

母の一周忌に合わせて埼玉の3号(humi)叔母が帰省 

我が家でしばらく滞在して帰りました。

久しく更新のなかった三婆通信も その間に大きな変化がありました。

2号叔母が亡くなってからずっと、残された1号叔母のお世話をしていた3号叔母

昨年暮れに1号叔母の老人ホームへの入所が決まり ひとりで暮らすようになって半年

老々介護の現場を懸念していた周りの者も、心配なこともあるものの以前よりは安心していました。

 

 

3号叔母は、足が悪いもののしっかりしていてよく動き人を頼らず自立していて

一人娘のreiちゃんが、時々訪問しサポートしてくれています。

  いつも仕事の忙しい娘に迷惑はかけられないと頑張っているのです。

定年退職するまでは  と。

そんな、張合いと緊張感が元気の源なのでしょう。

 

好奇心旺盛な明るい性格と謙虚な言動 感謝の気持ちを素直に表現

一緒にいて楽しい 私にとっては母のような姉のような叔母

 

 

昨年の夏遊びに来たときは、ずっと体を休め眠ってばかりいた叔母。

一号叔母のお世話で、とても疲れていたのでしょう。

 

今回は我が家に滞在中 ずっと庭や畑の草取りを手伝ってくれました。

「わたし、こういうことが大好きなの!やらせて!」と。

いいかげんな私と違い とても、きちっときれいな仕事をするのです。

 

 

あまり、あれもこれもダメと言われるのをいやがるので

「無理しないでね!」と言うと

「迷惑かけるといけないし、それはわきまえてやっているから大丈夫よ

ここまでが、私の今日のノルマなんだから!」と 

80にして 「ポジティブに生きなくちゃ~!」なんてことを言いなさる。

夜は、私の夫と野球中継を見ながら熱烈な巨人ファン同志とあって

「わたしパパとは話が合うわ~!」と一杯やって盛り上がり 

野球なんて興味のない私より、ずっと夫も楽しそうに会話をしている。

 

 

 

 

あまりに忙しそうにしている私を見かねて疲れたとも言わず手伝ってくれたけど

いつもの、自由な一人の生活よりは気も使うだろうし とっても疲れていたと思う。

 

畑も庭もすっかり きれいになって 私の事を心配してくれ

藤沢の姉のところで 「ゆっくり休んで来なさい」 と言ってくれた。

おばさん いろいろと ありがとね 

 

あなたのような 年寄りに私もなりたいです。

 

 


夏の来客第三弾

2012年08月23日 | 三婆通信

連日 厳しい残暑が続いています。

 

そんな暑い!暑い!日に 埼玉の3号(humi)叔母とその娘Reiちゃんがやってきました。

お葬式に来れなかったので、どうしても母のお参りがしたいと。

なかなか休みが取れないキャリアウーマンのReiちゃんは、子どもの時以来の“母娘旅”

三年ぶりに田舎の実家に帰ってきた80歳になった叔母でしたが、その間に亡くなった

実家の母、従兄のYo兄、長姉の旦那さんの仏前にお参りをしました。

ちょうどその夜、『西馬音内の盆踊』(国指定重要無形民族文化財)があるので

なかなかないチャンス!ぜひ見せてあげたいと思っていました。

足の悪い叔母は杖をついて歩いているので混み合う会場の近くまで連れて行けるかが問題でしたが

湯沢市に住むYo兄の姉Yorikoさんに電話をして相談したら西馬音内の友だちが

Yorikoさん宅まで行けば連れて行ってくれるとのこと!

おかげで思いがけなく 伝統のある優雅な盆踊り を見ることが出来

叔母もReiちゃんも大感激でした。

 

 

夜、遅くまで見入って深夜に帰宅しましたが、いつもは早寝の夫が起きて待っていました。

久々に会う Reiちゃんに会うのが楽しみだったのです♪

彼女は翌々日、田沢湖駅から帰ることにしていたので我が家へのお泊りはその夜だけでした。

翌日も、32℃にも気温は上がり暑くて観光どころではなく午後に我が家を出て

角館や田沢湖を観て その夜3人で 温泉に泊まりました。 

 

 

三婆が湯治に来た思い出の場所です。こちら

Reiちゃんは私のブログで 写真で見ていたものを、現場で「あの時の、あの場所ね!」と。

今は亡き 2号叔母や母もよく訪れていた温泉です。

 満天の星空を眺めながらの 露天風呂は 極楽気分でした 

翌日、彼女は田沢湖駅から帰りましたが叔母さんは我が家でゆっくりしたいと

私と一緒に帰って来て今日まで滞在、埼玉にひとりで帰りました。

無事着いたとの連絡が入りホッとしたところです。

よく寝て・よく食べて・よくおしゃべりをして

「あっという間の 6日間 楽しかったわ~!」 

とても喜んでくれ ぜひまた来たい!と。

田舎に来ることを内緒にしてきた90歳の姉はショートステイ中

“老々介護の夏休み”が終わりました。

 

 

また、こんど来る日を楽しみに元気で頑張ってね~!

 


東京も寒っ!!

2012年01月22日 | 三婆通信

ワンコの、おとーさんは金曜日の夜 無事に帰ってきました。

翌日 入れ替わりに、私が『大人の休日倶楽部パス』を利用して

東京行きの新幹線に乗り藤沢の姉宅に来ています。

昨日は、埼玉の叔母宅を訪問し

昨年亡くなった2号叔母の一周忌の供養のお食事会をしてきました。

1号叔母は少し風邪気味なものの3号叔母ともども元気で

姉・従妹のR嬢と私の新三婆の5人で

楽しいひと時を過ごしました。

 

おばさまたちは お肉がお好き 

改革派の新三婆は、お寺さんでの供養ではなく 焼き肉やさんで 

お墓の方向に向かい手を合わせ 食事を終えて帰ってから仏壇で拝ませてもらいました。

二人の叔母も、よくお墓参りに行っているからいいのよと。

亡き2号おばちゃんからも「寒いからいいのよ~」との声がきこえてきそう。

これからは、生きてる者のお互いに無理のないお付き合いで

形式よりも心がこもっていれば通じるのだと考えることにしました。

ただし、同じ考えの人同士の間でなければ通用しませんけどね。

 

 

1ヶ月以上、カラカラ天気が続いていたという関東地方

雨が降り、さむい!さむい!

きょうは、姉と一緒に横浜の従妹と ランチ 

あすは、と・あるところに 日帰りバス旅行に行き 

あさっては、大宮で友達と会って帰ります。

そんなことで、詳しいレポートは帰宅後に・・・ということで

とりあえずの ご報告でした~!

 

 

 

 


案ずるより・・・

2011年09月13日 | 三婆通信

1週間のショートステイを終えた埼玉の 1の叔母

どうしたかと電話してみたら とてもご機嫌で帰ってきたようです。

行き慣れたホームの方たちに 優しくしてもらい 

いつも正常なわけではない 認知症がかかっているご本人とっては

「3日も1週間も10日も 終わってみれば同じだね~!」と 介護する側の 3の叔母 

帰ってこれる家があり、それも待つ人がいる家だからこそのショートステイ。

3の叔母が倒れたら そうはいかなくなるのだから 

「月に一度は自宅に帰ってゆっくりした方がいいわ」と進言した。

 

 

思えば、三婆が田舎に帰りたいとやってきたのはまだ2年前のことだった。

実家の母の入所していた施設を訪問し「こんなところに入れられて可哀そうに・・・」と。

たぶんあの時、初めて介護施設というものを 訪問した叔母たち。

ひとつの社会見学も かねていたような。

あの時、こんな日がすぐに訪れるとは 誰しも考えも及ばず現実に重ねることを恐れていたと思う。

でも湯治場での様子や埼玉を訪問したときの三婆の様子からして

このままでは絶対に大変なことになると私は危惧していた。

三婆通信の備忘録を読み返してみて本当に準備万端に、よくぞここまで・・・と感慨深いものがある。

あの時点だからこそ私もあそこまで動くことが出来たけど。

この2年で、私を含め廻りのみんなも大きく変わった。

時は まったなしに 確かに進んでいる。

そして、これから先どんなシナリオが待ちうけてているのかは誰にもわからない。

なにごとにも不安はつきものであるが、案ずるより・・・なんとやら。

 

 

1の叔母のショートスティ中に 横浜のおばさんと娘のKさんが 面会に来てくれたとのこと。

みんなに心配してもらって 本当に幸せ者な叔母である。

3の叔母に電話で 「とてもアットホームで良いところね~」と話してくれたらしい。

横浜の叔父さん夫婦も高齢となり これから施設のお世話になることもあるかもしれない。

 

他人事と思っていた介護についてのことを何も知らずにいる人も

ある日 突然困ったことになる前に、

身近なお年寄りの生活から 学ぶことって たくさんあるような気がする。

 

 

 

 


介護する側 される側

2011年09月09日 | 三婆通信

ショートステイ中の1番叔母に面会に行ったとき

「わたし、10日もここに置かれるみたいよ・・・」と言う叔母。

「そうね、F叔母さんが病院に行くし手術ができないかわりに1週間くらい電気かけたり治療に通うみたいよ」と

嘘も方便で、1叔母の納得がいくように「F叔母さんに、きちんと治してもらわないと叔母さんが一番困るものね」と私。

他のことはコロっと忘れるのに、1週間のショートスティのことが10日と頭の中にガッツリ入ってしまい

家でも機嫌が悪く、口を利かなかったらしい。

でも、病院に治療に通う話をしたら「そうしなさい!」と解ってくれたとのこと。

1の叔母も ホームでの生活が苦痛なわけではなく、楽しみにして出かけていく。

ただ、お泊りとなると難色を示すのである。

 

 

誰しも、住み慣れた家の お布団で休みたいのは同じ。

それは、介護している 3の叔母にとって もっと切実だと思う。

耳が遠い1の叔母はテレビの音はガンガン!!2階の部屋でも眠れないほど。

やさしく かわいい叔母だが、ガンコな部分もあり姉としての威厳は保っている。

施設から具合が悪いところがあると、病院に連れて行くように言われても言うことを聞かない。

介護する側というのは、まわりのひとが何気なく言った言葉に傷ついていることがよくある。

「おばさん、施設に長く置かれるなんてかわいそう・・・」

介護される側の気持ちを考えて言った言葉が、介護する側にはグサッと突き刺さる。

介護の経験のある人は絶対に、そんなことは言わないのだが。。

「だったら、あなたにお願いしようかしら。かわりにお世話してくださる?」そう言いたくなる。

相手の人は、そんなつもりで言ったのではないこともわかっているのに

施設に預けることは、手を抜いているみたい・・・そんな呵責に悩んでしまうのである。

そんなことが、このところ続き 3の叔母は「自信が無くなった」とひどく落ち込んでいた。

話を聞いてやり、ショートスティを利用し少し自宅で休むようにと伝えたら

ケアマネージャーのNさんが「Fさん!ひとりで抱え込まないで何でも相談して下さいね!」

と言ってくれたと、うれしそうな電話がかかってきた。

「おばさん!来週わたし “大人の休日パス” 使えるから行ってみるね!美味しいものでも食べに行きましょ!」

「そうして!うれしいわ~♪ 楽しみにしてるね~」

 

 

介護される側は、施設でも多くの人に守られているが、介護する側は孤独に頑張っている場合が多い。

そして精神的に、少しずつ自分を責めていって 暗い気持ちになってしまうのだ。

いつか自分も通る道

介護する側 される側 どちらの気持ちも 経験しなければわからないことではあるけれど

大変な中 がんばっている人には いたわりと感謝の気持ちを伝えたい。

 

 


慰労会

2011年09月08日 | 三婆通信

2番目の叔母が亡くなって半年余り・・・

3月の大震災以来、ずっと訪問していなかった埼玉の叔母宅に行ってきました。

大宮の駅で姉と待ち合わせをして

1番叔母がショートスティで お世話になっているホームへ面会に

 

ちょっと驚いた顔 

「わたし誰かわかる?」という姉に ちょっと間を置き

「みっちゃん でしょ?」と。 私にも「よく、来てくれたわねぇ・・・」と。

帰りは玄関まで出て送ってくれました。

たぶん一緒に家に帰りたい気持ちなのでしょう。「これから藤沢に行くの」と言って バイバイ

ホームの中では、とても認知症があるようには見えないしっかりしたお話しぶり

でも家に帰ると プッツンしてしまうことが多々あるのです。

そんな日常の知られざる一面を施設の方に連絡帳に書いてやろうとすると

それを、しっかり読んで「余計なことは書かないで!」と怒るらしいから

 幼稚園の連絡帳とは 大きな違いがあるわけです(笑)

しっかりしている面と すっかり抜け落ちる面 時に激しく怒り 時に優しくいじらしく

いかに姉妹とはいえ、その両方をつぶさに見て接し、日々生活を共にするというのは大変なこと。

89歳の姉をみるのが 79歳の妹という 老々介護

 

あれから、ずっと 残された1番叔母のお世話係として付き添っていてくれた3番叔母

自身も足が悪く月に一度の通院時だけ自宅に帰るという日が続いていました。

電話で愚痴を聞いてやることしかできなかったけど、ストレスもピークに達していることが感じ取れ

1番叔母は1週間のショートステイにお願いして 自宅でゆっくりしてもらうことにし

今回は慰労会をしてあげようと 私と姉・3番叔母の娘R嬢の 新三婆  が 企画しました。

忙しい中 最近は2週間に1度 母と叔母の陣中見舞いに訪問しているR嬢が

大宮駅前のホテルの 中国料理のお店 に案内してくれました。

「母に一度 北京ダックと フカヒレのスープを食べさせてあげたいの」と。

私と姉もご相伴にあずかり、楽しいお食事とおしゃべりの時間を過ごしました。

 

 

 

蟹の卵入りフカヒレスープ  「おいし~~い!!」

 

北京ダック

 

 

 

ホタテと鶏肉のブラックビーンズ炒め      車海老の二種盛り

牛肉の柔らか煮   豚肉と野菜のビーフン炒め

次々と運ばれてくるお料理は どれも美味しく

叔母も 嬉しそうに しっかりといただきながら 

私たちの知らなかった”今だから話せる昔のお話し”などを聞くこともでき

とても 貴重な時間でもありました。

 

 

大宮の駅まで出てきたのは2年前 三婆で田沢湖から帰って来て以来という叔母 こちら(クリック) 

 

杖をつきながら、やっと歩いてきたけれど

「とても楽しかった♪ ほんとに ありがとう」 と何度も口にし嬉しそうでした。

また これからも大変なこともあると思うけど、「こんどまた来ようね」と

母を送って行く娘と お別れしました。

叔母にとっても 忘れられない楽しい一日であったと思います。

 

 

 

 

 

 


納 骨

2011年04月05日 | 三婆通信

2月の末に亡くなった 叔母の四十九日の法要と納骨を 

日曜日に無事済ますことができたとの報告が従妹のR嬢から届きました。

あれからわずか2週間後に、あのような巨大地震が起きて

世の中を揺るがすことになることを知ってか知らずか

叔母は、さっさとあの世に旅立ちました。 

今はお墓に入ることができてホッとしているのではないでしょうか?

本来ならば私も同席する予定でしたが新幹線もまだ復旧していなく あきらめ

近郊に住む身内の人たちが集ってお寺で執り行うことができました。

ご住職から叔母にふさわしい良い戒名もいただき

故人もきっと喜んでいると思います。

 

このごろ ふと、あの人はもうこの世にいないのだ・・・と。。

現場でドタバタしていた時には、そんな気持ちの余裕もありませんでした。

 

 

叔母の病気や介護のことで 何度も利用した東北新幹線  

今回の地震で仙台駅の新幹線のホームがズタズタになっている様子をテレビで見ました。

地震の発生時、乗客を乗せて走っていた27本の新幹線は太平洋沿岸に設置された地震計の「早期地震検知システム」が

揺れをいち早く検知して一斉に非常ブレーキをかけて減速し脱線はまぬがれたのだそうです。

4月末には全線復旧の予定のようですが 桜の満開の時期に、たくさんの観光客と元気を

東北に運んできて欲しいと願っています。

 

 


お告げ・・・?

2011年03月06日 | 三婆通信

早朝 姉から メールが届いていた。

『今 夢の中でTmおばさんが出てきて お金を〇〇温泉で なんだかイロイロな使い方があるんだよと話してた

 

 

亡くなった叔母が 誰にも何も言わないまま あの世に行ってしまい わからないことがたくさんあった。

特に 昨年の暮れ 11月と12月 病気が発覚する少し前 多額の現金が引き出されカードの不正使用も発覚した。

病気にならなければ・・・私が上京し、気付かなければ・・・・ 預金の残高はすっかり無くなっていただろうと思う。

1の叔母が、いつも通帳を広げ「お金が無くなったしまったのよ・・・」と頭を抱えていたのを認知症の症状だと笑っていたけれど

3の叔母が、二人の居ない間に片づけて出てきた古い通帳や預かった通帳をチェックして驚いてしまった!

1の叔母が言っていたことは本当だったのだ。 

昨年になって急に引き出す額が大きくなって何度も下ろされていた。

1の叔母が、2の叔母に頼んで引き出していたらしく、その保管を頼まれていた2の叔母が失くしてしまうらしいのだ。

1の叔母に、それをいつも言われ続けていた2の叔母はそれがストレスになっていたのだと思う。

一人で出かける近場の 〇〇温泉だけが 2の叔母の解放される場所だったのかな?・・・と姉と話していた。

二人の通帳から引き出された多額の現金はどこに消えたのだろう・・・?

家の片づけもだいたい済んだが出てこないところをみるとオレオレ詐欺のような手口にでも引っかかったのだろうか?

 

大体の人は 歳をとるとお金に執着するようだが 認知症になると特に顕著になる。

田舎に帰りたいとやってきたころから、その兆候はみられた。

いつも手元にまとまったお金を持っていないと不安なようで、そのお金の置きどころを忘れてよく探していた。 

しかし、そのことを認めたくない2の叔母は「失くした」とは決して言わなかった。

 

幸い入院前まだ動けるうちに 残った預金も引き出しに行ったしカードの不正使用の手続きも出来た。

病床の叔母には「お金のことは心配しなくていいのよ!」と伝えると

「あなたが手続きしてくれたからでしょう?もう戻らないと思っていたの・・使ってちょうだいね」と言った。

 

本当に、あの時 私は呼ばれて行ったような気がする。

姉夫婦ともに、この間 10数回 叔母のもとに足を運んでいる。

さまざまなシーンが、まるで準備されていたように スムーズに運び 叔母は亡くなった。

 

 

無事にお葬式も済み あれから一週間

消えたおカネ のことで 様々な 憶測をしている私たちに 叔母は夢枕で

そのお金は私が使ったのよ!」とメッセージを伝えたのかもしれない。

そうだよね! 余分なお金は争いのもと! 

 これにて一件落着~~!

 

4月3日(日)に 法要と偲ぶ会 が行われることが決まった。

みんなで 仲良く 叔母を偲び 冥土の旅に送ることにいたしましょう。

 

姉は昨日から 孫のベビーシッターとして 忙しそうだ。

そろそろ わたしも フツーの生活 に復帰しなければ・・・