「本来の自分に還れ!」
これは、昔読んだ本を読み返していると、ちょくちょく出てくるフレーズだ。
出てくると言うより、書き込んであるのだが、其の本がニーチェだったりショーペンハウエルだったりで、よくよく考えると、失恋した時期にピッタリ当てはまっていたり・・・尤も、ソレはしょっちゅうのことだったのだが・・・。
(女と見れば直ぐ惚れる!と、学生時代の友人の言)
この場合、心奪われていた自分は、本来の自分じゃない!故に、再起動して元に戻せ!と言っている訳だ。
負け惜しみだ。
が、学んだ事もあり、其れにより成長(と言えるかどうかは別にして)もあった訳だ、経験として。
そして、「脱皮出来ない蛇は滅びる!byニーチェ」の教えに従って、次の・・・・・・・いや、アレだ・・・。
考え方ではあるが、ユングあたりの心理学的な対処法を実践していたとも言えるのだ。(ろうな、たぶん)
大元の、芯の自分をどうするか、何処に置くか似も因るのだが、個人の個性としてのパーソナリティーと、社会的慣習との接点を、どう構築していくかなのだと思う。
いわゆるペルソナは、仮面であるが、それが個性の発露、或いは表現として、外界に対しての防御装甲と為すことによる、自己保身的心の護りにもなるのだ。
この辺は、無意識のうちに使い分けている場合もあろうが、意識的に使う事によって、心の安寧・安静、正常運転を継続できる精神状態を保持する事になる!
バームクーヘンのように層を重ねるのではなく、其々独立した仮面が、芯を中心にしながら、其れを侵すことなく重なり合い防御装甲を纏うのだ。
と、分析していけば、今の生活が楽になる人は多いんじゃなかろうか。
しかし、本来の大元の自分が観得ないものには、馬豚念仏真珠。
聴く耳観る目をもつものだけ、つまり、本来の人だけにしか通用しないけれど。
先ずは、不動の芯足るべき自分を、確保しましょ。