逝きし世の面影

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曖昧な脳死判定(脳死は脳の死に疑問点)

2009年08月08日 | 臓器移植法

『脳死=人格の死』には、すべての皆さんの考え方は一致しているので、これは間違いないでしょう。
脳死判定とは、
(1)深昏睡。(2)瞳孔固定。 (3)脳幹反射の喪失。(4)平坦脳波。(5)自発呼吸の消失。の五つであるがこれ等では確かに脳の機能停止(自己の喪失)状態の判定は出来る。
しかし『機能停止=死んでいる』と言えるだろうか。?
例えば、指が動かないからといって、血流が満足に行われて指の組織が健在なら『指が死んでいる』とはならない。
下半身不随で全く動かないからと言って(足が)『死んでいる』と思う人は誰もいない。
これ等、からだの『部分』が死んでいると看做されるのは、其の部分の血行が止まり壊死した時だけです。
そして体の一部分の血行が止まって壊死した場合には、速やかに壊死した部分を切除する手術を行う必要がある。
ところが脳死患者の脳だけは例外扱いである。
脳死患者の脳は『機能停止状態』に陥っているが、脳細胞には血流が有り十分に生きている可能性が有るのです。
マスコミで賛成者が『脳死状態では脳が解けてどろどろに』などの俗論を述べているが、たしかに脳内の血流が止まれば脳細胞は死滅(壊死)して『脳がどろどろ』状態になって仕舞うが、其の場合には速やかに全身に波及して死に至る。
其の状態では幾等人工呼吸器などがあっても数週間も数ヶ月も1年も生きることは有りません。
ですから昔は『脳死患者は 3日以内に心臓死する』と思われていた。
『生命』は一部が壊死したままでは生き長らえる事は難しいことなのです。

『長期脳死患者の存在』

長期の脳死患者の脳の血流は、完全には止まっていない可能性が濃厚です。
これ等の脳死患者の脳は、機能停止状態ですが、個々の脳細胞は未だ死なずに生きている可能性があるのではないでしょうか。?
脳死は人格の死ではあるが、『脳自体の死』は今の5項目の判定では知る事は出来無い。
脳の血流の有無こそ、脳死判定にとって決定的に重用で有ると思うが、何故か臓器移植関係者は採用しようとはしない。
脳にはまだまだ未知の部分があり、ことは人の生死にかかわることで慎重の上にも慎重な判断が求められるが、『どうせ、助からない。助かっても植物状態がせいぜい』と考えて何故か杜撰な判定しか行っていないのが現状ではないか。?
正に、『脳死移植』とは、医者と患者家族とが談合して殺人を合法化する錬金術である可能性が存在しているのです。

『脳死5項目は、脳機能停止の判断基準でしかない』

5項目で判るのは脳の機能が『正常に働いていない』事が判るだけです。
『脳死の定義』イコール『脳の正常な機能の停止』であるなら5項目で『脳死』であると判定できる。
臓器移植法では、『脳が働いていない』だけで『脳死』であると断定しているが、此れにはとんでもなく大きな論理の飛躍、拡大解釈がある。
脳死でも脳は死んでいない可能性が小児では大いにあるのです。
何故なら死んだ脳細胞(壊死した脳などの臓器)で1年間も生けていけるほど生命は鈍感ではない。
長期脳死者の存在自体が現在の5項目の脳死判定の好い加減さを示しています。
脳細胞が生きているか死んでいるかの判断さえあの5項目では無理で、ましてや『人の死』まで判断できるなどは拡大解釈の極みです。
事は人の生き死にですよ。
『死んだと思っていたが実は生きていた』などの曖昧さは許されません。

『脳の血流検査』

本当に脳細胞が死んでいるか生きているかの判定は極簡単で、脳内の血流の有る無しを調べれば誰にでも一目瞭然で、これは一部移植医も認めているが移植関係者たちは何故か『認めよう』とは絶対に成らない。
血流測定などは技術的には極簡単です。
これは技術的な問題ではなく実は調べれ見れば多くの脳死者が『生きている』に判定されかねないからでは無いのか。?
生きているからと言って、現代の医療技術では回復させるのは難しい。
しかも『患者』が生きている限りは契約上の権利は消滅せず、莫大な医療費を保険会社は払い続けなければ成らなくなる。
しかし同じ脳死患者が『生きている』ではなく『死んでいる』と判定出来れば、自動的に権利関係は消滅し、保険会社の支払義務が無くなる。
そこでアメリカでは多くの脳死患者が医療費の削減と廃物利用の為に『死者』と分類して移植のドナーとされている恐ろしい現実が隠されているのです。

『アメリカの移植の現状』

アメリカでドナーとなる脳死患者の半数以上は銃に因る死亡ですが、如何にもアメリカらしい話である。
自殺や他殺で銃で頭部を撃つと理想的な脳死患者(若くて健康で脳だけが損傷している)が発生する。
ところが落ち着いて良く考えてください。
八王子スーパー強盗殺人事件での3人の被害者女性は全員が一発の銃弾で頭部を打ちぬかれ即死しています。
ところがロス疑惑の三浦和義の妻の一美さんは同じ様に頭部に銃弾を受けたが一年以上植物状態の末に亡くなっている。
この違いが何処から発生したかというと、八王子の3人は延髄を撃たれて即死し三浦さんは大脳を撃たれたので死なずに植物状態に成っている。
八王子の犯人は2000年の大晦日に起こった世田谷一家4人皆殺しの犯人と同じ特殊な訓練を受けた殺人のプロ中のプロの犯行かも知れない。(破壊工作が任務の米軍特殊部隊の訓練を受けた可能性)
だから幾等、残留する証拠が多すぎて困るほどでも、公開捜査の証拠の開示も意識的に遅らして犯人が絶対に捕まらない様に巧みに工作する。
ドラマ必殺仕事人でも有るまいし。
大きい大脳と違い、随分小さな体積しかない延髄を狙って確実に撃てる人物はアメリカでもそんなに多くはいません。
此処から何が推測されるかと言うと、
アメリカの銃による脳死患者に、多くの『植物人間』が含まれているかも知れない可能性です。
ふるい脳(延髄)と違い新しい脳である大脳は『生命』が生きていく上でさほど重要ではない。
アメリカでは銃で頭部を撃たれて脳死に成っているが、延髄は随分小さく、頭部(大脳)を撃たれても基本的に植物状態には成っても脳死には成りにくい。
アメリカで脳死と判定されて移植のドナーを打診された後に、日本に帰国後に病状が回復して社会復帰出来た等の不思議な話もアメリカの脳死検査の杜撰さを物語っている。

『脳死判定と狂牛病検査との共通点』

ことは人の生き死にである。曖昧は許されるはずが無い。
絶対に正確な脳死判定が必要なのに、移植関係者は脳の血流検査を行わない。
これはアメリカの農務省が絶対に狂牛病の全頭検査を行わない話と、含んでいる問題点が同じではないでしょうか。?
アメリカ農務省は、『アメリカ牛は安全だから全頭検査をやる必要が無い』との見解ですが、本当に信じてよいのか。?
今度の脳死判定でも、脳死移植賛成者は何故其れほどまでに医者を信用できるのか不思議でなりません。
間違って脳死一歩手前の患者を脳死と判定している例は今までに一回も無かったと言い切れるのか。?
アメリカ側の主張のように1%の検査で、残り99%の全ての牛の狂牛病が判るなどは、到底信じれる話ではありません。
今度の私の血流検査の話は、現在行われている人工呼吸器を外す5項目検査の最期の項目(人工呼吸器を外して結果を見る)に比べて遥かに人道的で患者への負担も少ない。
自分のお子さんを脳死と判定され臓器移植のドナーとなったお医者さんが、『呼吸器を外せば数分間で心停止』の説明を信じていたが実際には30分以上も生き続け、心停止の後に臓器移植するが、この事件の後に自分のドナーカードを破棄し今の移植医療に大して懐疑的になる。
延命装置を外して段々と皮膚の色が変色していく我が子をみて、ヒョとしたら『生きている子供を殺したかも知れない』と考えても不思議でない。
今の5項目の検査方法では、どうしても最期に曖昧さが残るのです。

『対立概念ではない脳死と心臓死』

『脳死=人の死』この考え方は、大事なものを省略したもので『脳の機能停止』と『死』がイコール(=)で結ばれるとする考え方は粗雑で論理の大きな飛躍が見られる。
『脳死=人の死』論者は、脳死という概念と心臓死という概念が二項対立の様に理解していて『人の死は心臓死か、脳死か』と考えている。
しかしこれは対立概念ではない。
これは『部分と全体』の話なのです。
もし死者が若くて健康であったなら、交通事故や銃撃などで頭部だけに打撃を受けると『脳死状態』が先に来て『心臓死』が後回しになる逆転現象が、まれに起こります。
しかし多くの場合には『心臓死』が全ての人に訪れて、『脳死が先に来るなどは極稀な現象。』に過ぎない。
心臓死の中の『死の三兆候』の二つ、瞳孔の散大固定と呼吸の停止は『脳死』脳死判定の5項目の中の二つと一致するので、
全ての死者は『心臓死』していますし、同時に『脳死』していると言える。
これは死の定義の『心臓死』は『死』全体で、『脳死』は其の一部分である事が判ります。
日本では年間100万人以上が必ず死亡(心臓死)するが、脳死状態が発生するのは年間数千例の少なさにすぎないのです。
実際問題、心臓死の患者に対して『五項目の脳死判定』は行えないので、心臓死後に脳死する患者がいないとは言えませんが、心臓死後の脳死の話は考える必要は、ほぼ意味が無いでしょう。
脳死論議とは、極まれに起こる特殊な事例(脳死)を、人々に等しく訪れる『死』の定義で誰でも(脳死患者でも)が最期にはなる『心臓死』ではなく、臓器移植の便宜上、(在り得ない)誰もがなるとは限らない特殊例にするという原則変更で奇怪千万極まりないな話です。

『今までの死の定義は心臓死(三兆候死)』

ただこの脳死移植の話は今までの日本では年間5~6件の特殊例で法案の成果で倍加しても年間10件程度。
一億二千万の人口の日本から見れば問題にも成らない話で(関係者を除けば)大の大人が真面目に論じる話ではありません。
ところが其の関係ない程の例外を人の死の原則とすると自民党議員などが決めたから大問題になっています。
これは例えるなら、戦後民主主義を自虐で有るとする『作る会』の御馬鹿教科書を栃木や愛媛の極一部の県の一部の学校で採用しても日本国全体から見れば何ら問題ではない。
しかし日本最大の自治体の東京都や日本で二番目に人口が多い横浜市が採用するとなると話が全く違ってくるのと似ています。
世の中には『作る会』のお笑い教科書でも極少数なら話のネタに成るが、今度の横浜市の教育委員会のようなことに成ると、途端に全ての日本人の問題と成ります。

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2 コメント

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不思議な話ですね (こしぬけ)
2010-01-13 03:19:51
>アメリカで脳死と判定されて移植のドナーを打診された後に、日本に帰国後に病状が回復して社会復帰出来た等の不思議な話もアメリカの脳死検査の杜撰さを物語っている。

アメリカでも日本と同じような
脳死=全脳死、になっているのでしょうか?
イギリスなどでは脳幹が壊れれば脳死になってしまいますよね

結局、本来はここを超えれば「死」なんてものはどこにも無いのに
法律上の問題から所謂ポイント・オブ・ノーリターンなるものを作る必要があっただけでしょうね
臓器を取り出される患者にすれば
医者のやっている事は治療でなく
単なる暴力ですからね(w
脳死患者はどうせ助からない…
なんて理由で「死体」にされるなら
末期の癌患者も一緒のはずですよ


こしぬけさんへ (逝きし世の面影)
2010-01-13 13:49:00
前回の2回のコメントは削除としました。
ポコチンが岩に擦れると如何なるかはコメントする前に御自分で試して下さい。
また橋下徹大阪府知事の生まれが卑しいのではなく彼の実際の言動が卑しい。だから批判している、
この世には、生まれながらに尊い人もいなければ卑しい人もいないのが民主主義の根本原理です。
レッドカード二枚なので自動的にコメント拒否リストに入れましたが解除しておきます。
ブログは私的なものですが広く一般に公開され誰でもが閲覧出来ることに注意して下さい。何を書いても許される訳ではないのですよ。

自民大敗の政変劇のドサクサに通った新しい臓器移植法では日本もアメリカ基準の『脳死』となっています。
蘇生術の未熟な昔は『脳死患者』は生まれなかった。
生存の限界は脳幹が機能している『植物人間』が限界だったのですが、人工呼吸器などの普及で脳幹が行っていた仕事を機械が代用出来るようになり死の限界点が大きく広がって脳幹が機能していない脳死患者が生まれた。
昔は、死んでいるか生きているかの限界は、脳幹の機能の有無に委ねられていたのです。
脳幹の機能を代用する機械が無い昔は、人の生き死には『脳幹の生き死に』に自動的になっていた。
技術的に医学が未熟だった時代は、脳幹の死イコール人の死だったのです。
ところが医学の進歩で限界点は大きく広がり脳幹などは、それ程問題ではなくなった。
脳幹が機能している植物人間よりも重篤の脳死患者の出現で、一旦は古い基準である脳幹の死は『人の死』ではなくなったのです。
死の限界点は大きく広がった。
ところが、臓器移植という『高額な儲かる医療』の出現で今回もう一度古い時代の『死の定義』がゾンビのように復活するわけです。
新しい高度医療である臓器移植では、心臓死ではぐわいが悪く、どうしても『生きている死体』(生きている臓器)が必要不可欠なのですよ。
それで今までは生きていた脳死患者は今回法律で『死んでいる』と判定される事になりました。
何ともおぞましい限りですね。
しかも年間数千例の脳死移植を行っているアメリカでは脳死患者の中に脳幹の機能している植物人間が混じっている可能性が否定できません。
今の脳死判定には根本的な弱点が含まれているのです。
蘇生術の進歩を悪用したのが現在のアメリカの臓器移植ですが、
その蘇生術の昨今の進歩は目覚しい。
低温療法など以前なら完全に死んでいるとみなされていた心停止後何時間も経っていても低温化では蘇生させることも出来るし今まで不可能だった手術も可能となっています。
今後も死の限界点は広がっていくでしょうが、其の時には今の脳死判定の5項目は邪魔にこそなら良い事は一つもありません。

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